悟りの窓

魂とつながる日本固有の自己成長の道

今の世の中が生きづらい5つの本質的理由

約9分
今の世の中が生きづらい5つの本質的理由

現在の日本は、長い歴史の中でも、過去に例を見ないほど物質的には豊かで恵まれた国です。

しかし、ひょっとすると、過去に類を見ないほど生きづらい世の中になのかもしれません。

年間の自殺者は3万人を超え、若者の引きこもりは50万人だそうです。

引きこもりというと若い人というイメージがありますが長期化する傾向にあり、先ごろ国が初めて行った調査では中高年の引きこもりが若年層を上回る60万人という結果が出ました。

無縁社会と言われ、人間関係が限りなく希薄化するなかで、しかし同時に、お互いに対する寛容度は下がり、自由に生きるのがむずかしいと感じる人が増えているようです。

いろんな見方があると思いますが、本質的見地から、生きづらさの理由を5つにまとめました。

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1. 生きづらい世の中の実情

まず、今の生きづらい世の中の状態を一言で表すとしたら、「承認欲求による呪縛」です。

承認欲求とはつまり、誰かから認められたい、もしくは、認められている状態を壊したくないという欲求です。

家庭教育と並んで人格形成の大きな部分を占める学校教育では、みんな平等・みんな一緒が正義とされます。

人と違うこと、目立つことはなぜか悪とされ、集団の規律を乱すものとして忌み嫌われます。

社会に出てからも同じで、普通が一番であり、人と同じでなければならないという同調圧力がかかり、多くの人はそこから外れることに恐ろしさを感じます。

人から認められることが、自分の価値を証明する上での何よりの証拠となるので、人の評価を気にして自分を曲げてしまいます。

また、人間関係が希薄で、不安や不信が蔓延する世の中では、安定が何よりも尊ばれます。

進学、就職も、自分の意思というよりも、安定という親や社会の価値観で、この方が有利、周りから一目置かれるといった理由でよく考えることもなく決定されます。

自分の人生なのに、ちっとも自分で意思決定していないということです。

これでは、自分で自分に価値を見出せない人が増えるのも致し方ないでしょう。

そのため、ますます他人の承認を求め、人の目を気にして、さらに自分がわからなくなり、という悪循環に陥っているのです。

2. 世の中が生きづらくなった理由

(1) 意外に生きやすかった江戸時代

ところで、日本の社会がこんなに生きにくくなってしまったのはいつからでしょうか。

敗戦により、長いこと日本の社会を支えた伝統が失われたという話はよく聞きます。

しかし、私はもう少し先まで遡る必要があると考えています。

明治社会は、司馬遼太郎が歴史小説の中で描いたところでは、希望に満ちた明るい世の中というイメージです。

大河ドラマでも、坂本龍馬や西郷隆盛らヒーローの活躍で、民が虐げられて苦しめられる暗黒の江戸時代に幕が引かれたという描き方がされます。

以前はそんなものかと思っていましたが、今は施政者にとって都合のいい一方的な解釈ではなかろうかと、感じるようになりました。

むしろ、江戸時代、特に平和が長く続いた中期以降は、庶民も含めた人々にとって、とても生きやすい時代だったと考えています。

江戸末期からその余韻が残る明治初期に日本を訪れた西洋人が残した手記によると、「日本は子供の天国、楽園」といういうのが一致した見方であったようです。

子供が自由に楽しく幸せそうに、しかも、礼儀正しく、思いやりがあり、親や年長者を敬い、賢く、向上心高く、理想的と思えるような育ち方をしていたのです。

子供が笑顔で生きられる社会は、大人にとっても暮らしやすい世の中と言われますが、当時の日本も例外ではありませんでした。

満ち足りて、笑いが絶えず、幸せそうな表情を浮かべた日本の人々に、日本を訪れた外国人はとても驚いたのです。

そして、ある予言をした人たちがいます。

それは西洋の文明を受け入れた日本が、今後苦難の道を辿るであろうということでした。

残念なことのその予言は的中し、明治維新からわずか77年後、東京、大阪をはじめとする日本の大都市はほとんどが焼け野原となってしまいました。

そして、敗戦から74年経った今、日本は米国の属国のような状況から抜け出せていないとも言われています。

尊王攘夷を掲げた明治維新とは、いったいなんだったのでしょうか。

それは本論ではないのでさておいて、幕末の「生きやすい」社会がなぜ変化したのか、その理由を見ていきます。

(2) 近代学校教育の弊害

生きづらい世の中となった最初の理由です。

江戸時代までの「生きやすい」日本の社会を支えたものの一つは、素晴らしい子育て、教育方法でした。

詳しい内容の説明は別の機会に譲りますが、要するに、親や社会が十二分に愛情を注ぐことで子供の自尊心を育てました。

また、子供達は、親の姿をとおして、自分たちを生かしている見えない存在への畏敬の心を養い、自己を律して主体的に向上する生き方を身につけたのです。

ところが、明治になると、殖産興業、富国強兵のために、従順に上の言うことを聞く、優秀な労働者や兵士が必要とされ、そのために国が主導して近代学校教育が行われました。

この学校教育は当時からあまり変わっていないので、説明は不要なのではないでしょうか。

子供は詰め込みと減点主義、短所を矯正する教育では、自分に価値を感じられなくなります。

そうして育った子が成長して家庭を持つと家庭教育もだんだんおかしくなっていきます。

そうやって、明治の初めまで見られた、大人も子供も幸せそうな日本は消えてしまったのです。

(3) 近代の果実「自由と平等」の虚実

次に、生きづらい世の中となった二番目の理由です。

近代になって西洋からもたらされた恩恵といえば、人権・自由・平等と言われます。

封建君主制の身分制度を打ちこわし、人々を解放したように思われています。

しかし、実は、案外そうでもないようなのです。

かつて日本人は身分という枠組みの中を受け入れつつも、主体的に生きていました。

たとえば、主人に仕えつつも、ただ言われたことを実行するのではなく、奉仕する立場で主人にとって最善と思われることを主張しし、実行したのです。

奉公人としての立場を受け入れ、それに誇りを持って忠義を尽くしたのであり、決して奴隷ではありませんでした。

しかし、戦前の軍隊や戦後の会社で下位者に求められたのは、命令への絶対服従であり、煎じ詰めると隷属でした。

指示待ち族などという言葉も、自分の頭で考えることを放棄し、上の命令を忠実にこなすだけのロボットや奴隷みたいな状態を表していると思います。

自由や平等の美辞麗句と引き換えに、多くの人は自分の思い入れを込めて仕事をする誇りを失ってしまったとも考えられます。

特に、近年は、建前として機会の平等は開かれているかもしれませんが、実際には、経済的事情、家庭環境などから貧困から抜け出すのは容易ではないという状況もよく聞くところです。

機会は均等なのにそれを生かせないのは、個人の資質や努力の問題、つまり自己責任に帰されてしまいます。

夢や可能性を見せるだけ見せて現実には手が届くことがないなら、ことによると希望をもたせる分だけ残酷だし、しかもそれが自己責任だと言われてしまえば、絶望の度が深まるように思います。

結局、名目上の自由とは裏腹に、心理的には奴隷になってしまったたようもので、これでは生きる意欲が失われるのも仕方がない気がします。

(4) 身近な共同体の崩壊

理由の三番目です。

それは村など個人にとって身近な共同体の崩壊により安心感が持てなくなったことです。

かつては、よほどのことをして共同体から相手にされなくなった人以外は、食うに困るようなことはなかったようなのです。

飢饉はありましたが災害と同じで、誰しもが避けられないことでした。

人は、自分だけが貧しくて食べていけない方が苦しく辛いのです。

かつて、年中行事や、しきたり、儀礼などをとおして、密接だった人と人とのつながりは希薄になり、共同体は崩壊しました。

人はバラバラになり、お互いに助け合うことも忘れ、将来を不安に思いながら、孤独のなかに引きこもるようになってしまいました。

(5) 美しい自然の破壊

日本が生きづらい社会となった理由の四つ目です。

日本人は上古の昔から自然すべてのなかに神を見、大切にするとともに恐れ敬ってきました。

しかし、自然は征服し利用するものという西洋流の考えのもと、人々は近代科学を万能と誤解し、傲慢になりました。

人の都合を優先し、自分たちの儲けや楽しみのために、平気で自然を汚したり壊したりするようにったのです。

かつて美しい自然、自然と人の営みが調和を持って溶け合った風景は、都市も農村も絵のように美しいものでした。

その景色は、心の澱を浄化し、浮世の辛さを忘れさせ、生きる上での新たな元気を与えてくれていたのです。

人々を元気づけ、この世を生きやすい場所にしていた自然の景色もまた失われてしまったのです。

(6) 大いなる存在との繋がりの喪失

最後に五番目の理由です。

縄文時代から伝わる、古神道に源流をおく日本人の高い精神性の基本を成すベースとも言えるものです。

大元にあるのは、自然すべてが神の表れであり、万物同根、人は神の子であり本性は善であるという性善説にたった人間観です。

人間の魂は神の御霊(みたま)を分け与えられたものであり、明るさや笑いを大切にする生き方をよしとしました。

そして、普段の生活や四季折々の年中行事をとおして、自然と感応し自然に感謝しつつ、怠け心を戒め、己を高める生き方を目指したのです。

そういう意味で古神道は、宗教というより、人がよりよく生きるための知恵そのものでした。

自然をとおして、己が生かされていることを知るのは理屈ではなく、自然の言葉にならない美しさや人知を超えた精妙な営みを体感するものです。

しかし、このような知恵も、自然の破壊、儀礼や年中行事に象徴される礼節の破壊によって失われてしまいました。

それと同時に、現代人は生きる意味さえ見失うことになってしまったのです。

3. まとめ

江戸から明治、そして、現代まで続く流れのなかで見渡すと、現代の日本が生きづらいのもむべなるかなという気がします。

同時に、上で見たようにその理由もはっきりしているように思われます。

原因がわかれば、対処法も見えてきます。

生きづらい社会を変え、みんなが笑顔で幸せに暮らせる日本を取り戻すにはどうしたらいいのか。

続編ではそれを考えてみたいと思います。

以上

<続きはこちらからどうぞ>

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この記事を書いた人

祇場 駿矢(しば しゅんや)
幼い頃から「人は何のために生きるのか」「人はどこからきてどこへ行くのか」「ここは自分がいる場所ではない」などと考える子供だった。

ところが、昭和の成功の常識に染まり、京大法学部からメガバンクに。バブル崩壊からITバブル、リーマンショックなど日本経済の栄枯盛衰を経験。

忙しい毎日を送りつつも、目に見えるモノ(物質、金銭、地位、肩書き)では、決して心が満たされることはないことに気づく。

世間的なうたかたの価値に見切りをつけ、人間が生きることの本質的価値を探究して2014年に銀行を退職、起業する。

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