悟りの窓

魂とつながる日本固有の自己成長の道

生まれてきた意味を知るために自分の本質や才能を活かす

約8分

ただなんとなく生きるのではなく、意識的に人生を生きている人なら、多かれ少なかれ、自分が生まれてきた意味が気になるのではないでしょうか。

生まれて、歳をとって、死んでいく。

誰しもが必ず通る道であり、死が共通の終着点だからこそ(少なくとも目に見える形では)、果たして人生に意味があるのかないのか、問いかけたくなるのかもしれません。

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1.人生は無意味と思ってみる

(1)鮭の一生はくだらない

ある上座仏教の長老がブログにこんな記事を書かれていました。

川に生まれ、海に降り、3年食べ続けて成長し、生まれた川に戻って卵を産んで死ぬ。生まれて、食べて、子孫を残す。

ただそれだけを繰り返す鮭の一生を、美しいではなく、なんて悲しいんだ、なんてくだらないんだと思って欲しいと。

熊に食べられたり、怪我をしたり、急流を登ったり、そうまでして、命をつなぐ営みを素晴らしいと捉えるのは人間の側で勝手に作ったストーリーです。

テレビのドキュメンタリーなんかだと、感動的なナレーションや音楽で盛り上げるので、ついついそんな目で見る習慣がついています。

もちろん自然の営みがこの上なく崇高なものであることは、その長老は百も承知だと思います。

その上で、あえてこんなことをおっしゃるのは、人間ならばそれ以上で生きようよという呼びかけです。

学校を出て、社会に出て仕事をし、結婚して子供を作り、家のローンのために働き続けて、老後はゲートボールをして死ぬ。

それじゃあ、鮭と変わらんじゃないかということです。

人間ならば、周りの人に優しくして元気付けたり、感情に振り回されなくなったり、死ぬ時は生まれた時より少しでも愛の方に近づき、高まれる生き方をしましょうとおっしゃっています。

仏教では、「人身受け難し」と言って、人間に生まれるのは大変貴重で有り難いことという考え方があります。

本当にそのとおりだと思います。

(2)人間は特別という考えの誤り

しかしながら、陰と陽、プラスとマイナスがバランスするのが人の世の常です。

このような考え方にはプラスの面がある一方、マイナス面もあるのです。以下でいくつか挙げてみます。

①人間の方が偉い

一つ目は、鮭の一生がくだらなくて、人間の人生に価値があると思うなら、人間の方が偉いという誤解を助長してしまうかもしれません。

もちろん仏教ではそんなことは一言も言っていませんよ。

立派な頭を持つ人として生まれたなら、ただ生きるだけじゃあんまりもったいないじゃないか、せっかくの得難い機会を心を高めることに使いましょう、ということだと思います。

そして、思考して主体的に選択できるからこそ、人間は自然に対し、その恩恵に感謝して謙虚になり、良きパートナーであり、お世話係であるべきなのです。

ところが現状を見るにつけ、人間が主人で自然が下僕であるように、思いのままに振舞っています。

②こんな生き方をする人は偉い

一方、今度は人間同士を比べてみて、(鮭のように)ただ生きている人より、心を高める生き方をする人は優れている、そんな生き方をしている自分は偉いという勘違いを生みがちです。

スピリチュアルにはまって周りが見えなくなっている人にありがちな、スピリチュアルエゴの類と言ってもいいでしょう。

完全に自己肯定できる人はほとんどいないので、誰もが他人と比較して自分が優れていると思うことで自分には価値がないという思いを癒やそうという欲求を持っています。

世の中のために尽くしているつもりで、実は気づかないままその種のエゴに動かされている人も多くいます。

純粋な動機と混じり合うものでもあり、始末がわるく、本当に気をつけていないとすぐにワナに引っかかってしまいます。

③未来に意識が飛ぶ人生になる

例えば「心を高めること」を目標にしてしまうと、今ここがお留守になる可能性も少なくなりません。

昭和的な頑張る価値観で育った世代は特に注意が必要です。

目標を立てること自体は悪くないのですが、そうすると、目標達成する未来のために、大切な今を我慢して耐えることに使ってしまいがちです。

達成による目標の喪失感や燃え尽きのようなデメリットもあります。

 

それを避けるためには、常に新しい目標に向かって自分を駆り立て続けなければなりません。

疲弊してしまったり、そもそもこんなことを続けて意味があるのかと、むなしくなることもあるでしょう。

(3)人間の一生もまたくだらない

人間が心を高めるということは別の視点から見ると、実はそれほど価値があることではありません。

死んでも魂は不滅で、生まれ変わりを繰り返しながら、魂を成長させるという考え方にしたところで、結論は同じです。

なぜなら、人はもともと神の一部であり、今もそうだからです。

完全な一なる愛が、自分自身を体験したいために、わざわざ分離して不完全な愛ならざるものを作り出したのがこの世界です。

ただし、よく言われるようにそれは幻想であり、本質は一つであり、元の完全なままあるのです。

だとしたら、魂を成長させるような生き方も別に何の意味もないということになり、人間の人生も、鮭の一生と何ら変わりなく、「ただそうなっているだけ」と言えるのです。

一旦このように考えてみることで、人間が特別とする考え方から解放されます

そして、上に見た3つのデメリットを解消することができます。

すなわち、①人間の方が偉い ②心を高める生き方をする人は偉い ③今に意識がない の3つです。

2.人生を意味のあるものにするために

(1)それでも生きていく

このように考えてきて、再び人生には意味がないところに戻ってきました。

どうしましょうということなんですが、元の木阿弥ではありません。

大きなヒントをすでに得ていることに気づかれているでしょうか。

それは自然の営みも、人間の人生も、ストーリーや意味づけを外していくと、「ただそうなっている」ということです。

「ただそうなっている」

意味があろうとなかろうと、私たちは生きているし、生きていくのです。

まずはそれだけで十分とは言えないでしょうか。

そこから始めてみてはいかがでしょうか。

(2)本質、才能を活かす

生きているから生きていく。

これは「ある」ものに目を向ける考え方です。

生命が「ある」から生きていくのです。

だとしたら、他に「ある」ものは何でしょうか。

それが私たちが生まれながらに持っている「本質」であり「才能」です。

生まれつき持っているものを活かすという考え方です。

そして、もし生まれてきた目的や使命というものがあると仮定するならば、当然、その目的に応じたスペックとして「本質、才能」を備えているはずです。

ということは、「本質、才能」を辿っていく、つまりそれらを活かして生きることで、生まれてきた意味が見えてくる可能性があるのではないでしょうか。

(3)本質、才能を見出すために

とはいえ、自分の本質や才能がわからなくて困っている。

そんな声も聞こえてきそうです。

そこでご自分の本質や才能を見つけるためのヒントを書いておきます。

それは「自分で長年短所と思っていることに注目する」ことです。

なぜなら今の価値観、教育制度の下で、多くの人が親や教師から欠点を指摘されて成長するからです。

自分の本質は幼い頃はダイヤの原石みたいなものです。粗削りなので欠点も目立ちます。

すると欠点として、直しなさいと言われてしまいます。

ところが、欠点は、自分の本質の日の当たらない面です。本質とは持って生まれたもので絶対に消すことはできません。

だから、欠点を直せないと悩むのです。

しかも、本当にまずいのはここからです。

欠点を直すのに躍起になる結果、自分の本質までなかったことにしてしまいます。

そうすると、自分が何者だかわからなくなり、本質に付随する長所まで消えてしまいます。

(4)本質、才能を見出した具体例

一例を挙げます。

ある会社員は、自分の意見をしっかり持てないことに悩んでいました。いろんな人の意見を聴くと、どれもすぐれたところがあって甲乙つけ難くなってしまうのです。

これは自分や自分の部署にとって有利となる意見を押し通すことで評価されるところがある企業社会を生きていくにはハンデとなる性質でした。

また、何かを選択する際に決めかねて優柔不断なところがあるのも悩みでした。

ところが、この人の本質というのは意外なものでした。

それは人や物事を「調和」させる才能だったのです。

大きな木が日陰を作ってどんな人にも憩いの場を提供するように、相手がどうであっても懐深く受け容れて安心を与える。

この人には、受け容れて調和する本質を活かして、人を癒したり元気付けたりする才能があったのです。

そうすると、競争社会である企業に勤めるのが果たしてどうなのかということになりますね。

この人は勤めていた会社を辞め、ヒーラーとして独立を果たしました。

気づかれたかもしれませんが、この会社員は私自身のことです。

3.まとめ

私たちは望んだわけでもなく(魂レベルでは望んだとも言われていますが)、この世に生きています。

そして、死ぬまで生きます。

生きる意味があるのかないのか、そんなことは死ぬまでわかりませんが、もしあるのなら探究してみるのはいかがでしょうか。

その探究を通じて、生きる意味に近づけるかもしれませんよ。

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この記事を書いた人

祇場 駿矢(しば しゅんや)
幼い頃から「人は何のために生きるのか」「人はどこからきてどこへ行くのか」「ここは自分がいる場所ではない」などと考える子供だった。

ところが、昭和の成功の常識に染まり、京大法学部からメガバンクに。バブル崩壊からITバブル、リーマンショックなど日本経済の栄枯盛衰を経験。

忙しい毎日を送りつつも、目に見えるモノ(物質、金銭、地位、肩書き)では、決して心が満たされることはないことに気づく。

世間的なうたかたの価値に見切りをつけ、人間が生きることの本質的価値を探究して2014年に銀行を退職、起業する。

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