悟りの窓

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生きづらさの根本原因!承認欲求という心の病

約12分
生きづらさの根本原因!承認欲求という心の病

承認欲求というと少しむずかしく聞こえるかもしれませんが、要するに他人に認めて欲しい、評価されたいという気持ちのことです。

「自分を見て」「自分に注目して欲しい」という自己顕示欲とも密接に関わっています。

誰にでもあると思われている承認欲求ですが、現代社会では大きすぎる承認欲求が様々な原因となっています。

承認欲求に対するほとんどの人が陥っている誤解を紐解き、承認欲求にうまく対処して、人の目が気になる状態からより自由に生きられるようになる方法についてまとめました。

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1.承認欲求に従順な現代社会

先日ネットで「『承認欲求の強い人』は認められず、逆に『承認欲求のない人』ほど評価されるという皮肉。」というタイトルの記事を見かけました。

私はかねがね承認欲求が個人レベルでも社会のレベルでもいろんな問題を生み出していると考えていたので、興味が湧いたのです。

もちろん、このタイトルは、しごく当たり前のことです。

「俺ってすごいだろう、ほめて。ほめて」という人は認められず、実際にすごいのに謙虚な人は放っておいても評価されるものです。

当たり前のことを記事にする以上、どんなふうにひねってあるんだろうと期待したのですが、失礼ながら大した内容があるものではありませんでした。

ただ、そのなかで紹介されていた「認められたい」というタイトルの、元引きこもりの精神科医の人が書いた本が気になりました。

Amazonで本の内容とレビューを見てみたら、だいたいどんな内容かがわかったので購入には至りませんでした(またまた失礼!!)

いくつかのレビューによると、高いコミュニケーション力や、他人から羨ましがられるようなスキル、容姿を備えることが有効ということが書かれているようでした。

一言でいえば、承認欲求とうまく付き合う方法という切り口のようです。

今の社会で承認欲求をできるだけ満たし、幸せに暮らすにはどうしたらいいかという話で、いわば上手に世渡りするための技術です。

2.承認欲求に市民権を与えた考え方とは

承認欲求に関するこうした理解の背景となる考え方として、有名なアブラハム・マズローの欲求5段階説という考え方があります。

ご存知の方も多いと思いますが、おさらいとして挙げておくと以下のようになります。

  1. 生理的欲求|食欲、睡眠欲
  2. 安全欲求|危機を避けたい、安全・安心に暮らしたい
  3. 社会的欲求(帰属欲求)|集団に属したい、仲間が欲しい
  4. 承認欲求(尊厳欲求)|認められたい、尊敬されたい
  5. 自己実現欲求|能力を引き出し創造的活動がしたい

このうち承認欲求は、第四段階の比較的高次の欲求として位置付けられています。

食欲や睡眠欲、安全の欲求など、生物的ないし本能的な欲求と並列してあることから、人間なら誰しも持っていて当たり前という理解になっているようです。

少し変わった言い方かもしれませんが、この考え方のおかげで承認欲求は市民権を得た、つまりあるのが当たり前で、それが問題という発想は出てきにくくなりました。

私はそのようなパラダイムのもと、承認欲求が野放しにされていることが問題ではないかと考えます。

実のところ、承認欲求は人間にとって特段必要なものではなく、むしろ、人格を高めるプロセスにおいて小さくできればできるほど、より目的に近づける性質があります。

まずは承認欲求がさまざまな問題の原因であること、そして、できるだけ小さくしたいものだという認識に改めたいところです。

3.承認欲求がさまざまな問題の原因

東大卒の僧侶として知られ、多くの著作がある小池龍之介さんの「坊主失格」という本を読むと、大きすぎる承認欲求が人生を蝕み、破滅をもたらしかねないことに気づかされます。

この本は、小池さんが、物心ついた頃から、「足りない」、「枯渇している」という思いから、周りから承認や注目を浴びていたくて仕方がなく、それが満たされずにどんどん苦しみの沼にはまっていった心情が赤裸々に書かれています。

承認や注目を得れども得れども満たされず、それを得るための行動がどんどんエスカレートしていき、自分と関わる多くの人を傷付け続けた痛みに満ちた半生でした。

今の社会では、東大に入れるくらいの頭脳があれば、何らかの形で他人からの承認をもらうことは比較的容易いといえます。

でも、彼の承認欲求はそんなレベルをはるかに超えて、いわば病的なものでした。

大人になって改善するどころか、大事な人を傷つけたり、突拍子もない行動に走ったりを自分の意志では制御できないところにまで追い詰められています。

***

では、普通のレベルなら承認欲求があっても問題ないと考えるのは早計です。今日の社会における問題の数々がこの承認欲求によるものと考えられるからです。

タイトルの承認欲求は「心の病気」という捉え方は、そのような理解からくるものです。

個人のレベルでは、承認されたいのに満たされないという理想と現実のギャップを生み、限られた承認や賞賛の奪い合いは人間関係の緊張やトラブルの主要な要因です。

これにより、他人の承認がなければ自分を愛せないという馬鹿げた状態になってしまい、ウツを発症したり、不登校、欠勤、退職などのきっかけになったりすることが起きています

社会的には昨今問題になっている、学校でのイジメ、職場でのパワハラ、過労死・過労自殺、公務員や大企業の不祥事なども、根っこのところに承認欲求が横たわっています。

家庭、学校、職場、あらゆるコミュニティ、果ては国と国まで、承認を求めての争いが際限なく繰り広げられているのです。

承認欲求は一度満たされると終わりではありません。時間が経つとともに欲求が戻ってきますし、上を見ればキリがなく、もっともっとと貪るところに行きやすいのです。

そういう意味で、現代の社会全体が承認欲求に関する欲求不満に陥っているとみることができるでしょう。

おまけに、人から承認を得るために自分を曲げることが常套手段となるので、承認欲求を満たそうとすればするほど本来の自分からかけ離れていくという泥沼化しやすい性質があります。

本来の自分から離れすぎてしまうと、自分というものがわからなくなります。

「やりたいことがわからない」というよく聞かれる悩みの最大の原因です。

こうなると、いったい誰の人生を生きているのかわからないという笑えない状況です。

承認欲求に根ざした問題が社会全体を大きく覆っていて、つまり、ありふれすぎているが故に問題として意識されないという状況です。

しかし、実のところは、承認欲求が多くの「普通」の人を無意識のうちに振り回して、さまざまな問題を引き起こしているのです。

4.承認欲求を否定するアプローチ

一方で、このような承認欲求を問題とする考え方もあります。

数年前「嫌われる勇気」という本が大ヒットしたアドラー心理学では、承認欲求を否定することを説いています。

「アドラー心理学では他者から承認を求めることを否定します。他者から承認される必要などありません。むしろ、承認を求めてはいけない。・・・われわれは他者の『期待を満たすために生きているのではない』のです」
(「嫌われる勇気」岸見一郎・古賀史健著より引用)

そして、自分と他人との間に一線を引いて(課題の分離)、他人の期待に応えるのはやめましょうと呼びかけます。

そもそも承認するかどうかは他人の一存で決まることであり、そこに自分の価値の源泉を置いていると構造的に他人に依存することになります(上述のとおり泥沼化します)。

これでは、主体的に人生を生きるのがむずかしくなってしまう。だから、人生の主導権を自分の手に取り戻しましょうというということです。

「嫌われる勇気」という言葉が、そのまま核心を表している感じです。

誰も問題とさえ思わないものを取り上げて、あえて逆らうことを勧める。そういう意味では画期的なアプローチといえます。

日本のように周囲の目を気にする社会では、他人の評価に過敏になりがちです。

特に、今日のように他人の評価を気にするあまり自縄自縛に陥り、社会の閉塞感が強まっている状況が、この本をベストセラーにした要因であったと考えられます。

***

けれど、ここで大きな問題があります。

たとえば、先ほど述べた小池龍之介さんのような人の場合、ほとんど病的に意志のコントロールを超えて、承認欲求に突き動かされていました。

小池さんの場合は、そんな承認欲求の地獄みたいな状況から、出家した上での10年以上にわたる座禅修行の末に、やっとのことで脱することができました。

おそらく悩んでいた当時の小池さんが、アドラーの教えにしたがって、承認欲求を否定するのはまず不可能であったはずです。

では、それ以外のいわゆる普通の人の場合はどうでしょう。

小池さんはかなり重篤なケースですが、私はそうでない人であっても、ただ単に意志の力のみで承認欲求を否定するのは容易ではないと思います。

今の社会では、完全に無縁な人を探す方がむずかしいぐらい、多かれ少なかれ他者承認に精神的に依存している人が多いように見えるからです。

承認欲求が普通のレベルであっても、欲求を押さえつけると、顕在意識と潜在意識の乖離が葛藤を生み出したり、無意識的な言動に反動が現れたりすることが考えられます。

***

上の考察には、もう一つほとんど考慮されない要素が隠れています。

それは承認欲求の程度が人によって大きく異なるということです。

その差はなぜ生まれるのか?

程度が違うということは、なんらかの働きかけで承認欲求自体を小さくすることは可能なのか?

次章ではそのような視点から、承認欲求にしたがうのでも、完全に拒否するのでもないアプローチを探ってみます。

5.承認欲求に対する第3のアプローチ

承認欲求に逆らわず、うまくやっていくにせよ、(元引きこもりの精神科医流)

承認欲求にしたがわず、否定するにせよ、(アドラー流)

本来個人差が大きい承認欲求を画一的に捉えて解決法を論じても、しようがなくはないでしょうか。

実際、承認欲求そのものに焦点を当てると、いろんなことがわかってきます。

承認欲求の特徴として、個人差が大きく一律で論じても意味がないことのほか、満たしてもすぐに不足を感じてキリがないこと、本来の自分から離れるという泥沼化にハマりやすいことなどがあります。

ここから導かれるのは、承認欲求自体をどうにかするしかないということです。

***

ではどうするのかというと、自分で自分を承認し欲求を満たすのです。

つまり、自己承認です。

そんなことが可能なのか?と思われるかもしれません。

はい。可能です。

というか、理想的な条件下においては、人間とは本来わざわざ他者の承認など必要としない生き物なのです。

その秘密は子供の頃の育ち方にあります。

子供の頃に無条件の愛を感じられたらなら、子供の心は満たされ安心して成長できます。

すると、「自分には愛される価値がある」、「世界は安全で愛に満ちたところ」という基礎信念が作られます。

誰の人生も順風満帆とはいきません。しかし、その信念があれば、多くの困難は乗り越えやすくなります。

また、どんな結果も自分が精一杯やった結果として前向きに受け止めることができます。

引き寄せの法則という点からも、よりポジティブなものが現実化しやすいのは、明らかでしょう。

「三つ子の魂百まで」という言葉がありますが、本当にそのとおりで、自分を愛して、しっかりと自分の人生を生きていく基本的姿勢が自然と育まれるのです。

逆もまた然りで、つまり、承認を求めて競い合い、奪い合うのが世の中という見方を子供の頃に身につけてしまうと、それが一生続くということです。

そして、残念ながら、現代では後者のケースが圧倒的に多くなってしまっているということです。

6.承認欲求を小さくする育ち直し

無条件の愛を感じて成長することで、承認欲求が極めて小さくなる(可能性が高い)とはいっても、私たちはもう大人になってしまっています。

今さら、子供時代には戻れませんし、親を恨んでも仕方ありません。

親もまた理想的な条件下では育っていませんから、自分の子供に理想的な子育てをするのはむずかしいのです。

だから、今から、自分の心を自分自身が育て、新しい基礎信念を創るのです。

そうすることで、不完全な子育ての連鎖を断ち切り、自分の子供や後の世代に、よりよい状態で世の中を渡っていく環境を手渡すことができます。

ご想像のとおり、それは容易いことではないかもしれません。

しかし、特定の原因や合理的な理由がわからないような、どんよりとした曇り空のような不安な気持ち、自分は不十分だという漠然とした思いをなんとかするには、大元を見ないわけにはいきません。

***

具体的には、承認欲求そのものではなく、承認欲求を生み出す元になっているものにアプローチすることが有効でしょう。

言い換えると、子供の頃の心の傷、トラウマを癒すことです。

子供の頃の傷ついた体験や満たされなかった欲求がトラウマの原因です。

そのトラウマはインナーチャイルドと呼ばれるもので、潜在意識の深いところにあって変化しにくい性質があります。

しかし、小池龍之介さんが長きにわたる座禅修行の末に、承認欲求を克服したことに見られるように、インナーチャイルドは癒すことができます。

承認欲求に苦しんでいるなら、そして、根本的解決を望むなら、インナーチャイルドに焦点を当てて癒すことを考えてはいかがでしょうか。

その方法はいろいろあります。それぞれ長所短所があるのを別記事にまとめましたので、よかったらそちらもお読みください。(最後にリンクを貼っておきます)

7.まとめ

この記事で一番言いたかったのは、第一に、承認欲求は人間にとって普遍的なものではない、人として高まっていくほどなくなっていくということです。

食欲、睡眠欲などは、生きている限りなくならないのと対比すると違いがよくわかると思います。

承認欲求はあるのが当たり前としていると、意識することなく振り回されることになるので、認識を新たにしましょうということです。

そして、第二に、承認欲求を改善して振り回されなくなるのは簡単ではないけど方法はあるということです。

鍵を握るのが、子供の頃の心の傷であるインナーチャイルドの癒しです。

理由がないのに不安感に悩まされる、他人の目が気になる、何をやっても改善しないという場合は試してみる価値があると思います。

以上

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この記事を書いた人

祇場 駿矢(しば しゅんや)
幼い頃から「人は何のために生きるのか」「人はどこからきてどこへ行くのか」「ここは自分がいる場所ではない」などと考える子供だった。

ところが、昭和の成功の常識に染まり、京大法学部からメガバンクに。バブル崩壊からITバブル、リーマンショックなど日本経済の栄枯盛衰を経験。

忙しい毎日を送りつつも、目に見えるモノ(物質、金銭、地位、肩書き)では、決して心が満たされることはないことに気づく。

世間的なうたかたの価値に見切りをつけ、人間が生きることの本質的価値を探究して2014年に銀行を退職、起業する。

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