悟りの窓

魂とつながる日本固有の自己成長の道

今生きる意味がわからない人も必ず生きる意味が見つかる

約10分
今生きる意味がわからない人も必ず生きる意味が見つかる

まず初めに、今生きる意味がわからなくなっていたとしても、誰でも自分の人生に生きる意味を見つけることができます。

もちろん、投げやりにとか刹那的な意味ではなく真剣かつ真面目に。
ただし、あきらめなければという前提がつきます。

生きる意味を問うのは必ずしもラクではないし、インスタントにすぐに見つかるものでもないので、それなりの覚悟は必要かもしれません。

でも、現在の人生の延長上に明るさを感じられず、ふと生きている意味がわからないことに気づいて立ち止まってしまったなら、今がそのタイミングかもしれません。

八方塞がりと思っていた現実の中に、最高の人生への扉は隠れていますよ。

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1.生きる意味がわからないという悩みを持つ人が増えている?


今の世の中、自覚しているかどうかは別にして、「生きる意味がわからない」という人が多くなっている気がします。

普段から「生きる意味がわからない」と思い悩む人に限らず、考えても仕方がないと心に蓋をしたり、手近な楽しみで気を紛らわしたりする人も含めて。

ある日の『はてな匿名ダイアリー』に投稿された「みんな何のために生きてるの?」というトピックとそれに集まったコメントを読んで、そんな思いを抱きました。

(1)生きる意味がわからないという悩み


その投稿の内容は以下のようでした。

「生きる意味が本気でわからなくなってきた」という投稿者。
「子供や結婚にも興味がない。仕事でも成し遂げたいことがないことからほどほどに働いてる」と。

こうなりたい、これをしたいという理想もなく、「生きることはそこそこ楽しいし、そこそこ辛い。」けれど、どちらかというと辛いことの方が多く、「わざわざ辛さを味わうために私は生きているのか。この辛さを乗り越えた先に一体何があるっていうんだ」と続きます。

それでも自殺をしていないのは親が生きているからに尽きる、「多分だけど、自分の子供に先立たれるのはつらいと思う」からとしています。

「こんなこと周りの人には絶対言えない」から、ここに投稿している、みんなの意見が聞きたいということです。

 

言葉の端々にリアリティを感じます。
それは「周りには絶対に言えない」というところ。

この方も、日々仕事をこなし、仕事終わりや休日には友達と遊んだりして、社会人としてフツーに生活しているのでしょう。

でも、遊ぶ友達はいても、こういう人生に関わる真面目な話をする友人はいないことが伺えます。

そして、「多分だけど、自分の子供に先立たれるのは辛いと思う」とか。
「多分」じゃなくて、普通の親だったら絶対に辛いですよ。

もしかすると今はそんなことも確信が持てないぐらい、親子関係も希薄なのかもしれません。まぁ昔から親の心子知らずとは言いますが。

(2)共感のコメント

これに対して、投稿主に対する共感のコメントがいくつも寄せられています。

  • まあ似たようなことを思いながら生きてる。 若い頃はそれなりに色々とあって楽しかったけど、今はスイカの赤いとこ食べきって白い部分だけ食べてるような人生。
  • わかる。子供の頃、両親に「なんのために生きてるかわからない」と言って困らせたことがある。・・・自分は死ぬために生きてる。・・・その終わりを迎える時に「そこそこいい人生だったな」と思えればいいかな、と思って生きてる。
  • 別に生きてない 死んでないだけ 親が死んだら自殺する予定

あとは、自分は生きる意味があるとするものも、美味しいものを食べるためだったり、セックスするためだったり、ゲームするためだったり、漫画を読むためだったり、拾った猫のためだったり。

逆に、生きる意味なんかないとするものは、惰性派、、、

死んでないだけ。そして死ぬ勇気もない。

  • 俺はビビって飛び降りたり電車に飛び込んだりできないだけで、理由なく生きてる。 死ぬ度胸がないのって本当惨め。なんで死にたい時に死なないんだろうな
  • 生きてるっていうか、生かされてるって感じ。病気も事故も、いつなるかわからないんだし、死ぬときは死ぬでしょ。生きられるうちは生きてるってそれだけよ。
  • ちょいちょい出てくるテーマだが、いつも疑問。 なんで意味を求めるのやら。ないよ意味なんか。 いつかすべて終わって消える。人類どころか地球、 太陽、宇宙でさえ永遠じゃない。

一つだけ、幸せになるためにがんばっていますという前向きなコメントがありましたが、総じて刹那的だったり、虚無的だったり、自分以外のためだったり、投げやりなものを感じました。

まとめてみると、こんな姿が透けて見える気がします。

  •  仕事、結婚をはじめ興味や強い関心があるものがない
  •  やりたいこと、こうなりたいという理想がない
  •  まぁまぁの人生だけど、どちらかというと辛い
  •  積極的に生きていたいわけじゃないけど惰性で生きている
  •  親をはじめ自分以外の存在のために生きている
  •  周りには言えないので一人で抱えている

(3)あの大文豪も生きる意味について悩んでいた


ロシアの大文豪トルストイも人生の意味について悩んだ一人です。生きる意味に悩んだとき、彼が考えた生き方は次の4つ。

  1.  無知無識の道 人生の意味なんて考えもしない生き方です。けれど、魂からの呼び掛けに一度気づいてしまったら、もはや知らないことにはできないと言っています。
  2.  快楽の道 人生に疑問を持ちつつも、真実を直視せず、享楽にふけっている人々。人生の虚しさを飲酒、セックス、賭博などの快楽で埋める生き方。動物のような生き方であり、とても真似はできないと。
  3. 自殺(自死)の道 「強いしっかりした性格の少数の人が、こういう生き方をする」と著書に。その結果、トルストイ信奉者の自殺が社会問題となり、その本は発禁になったと言われています。でも、トルストイ自身は自殺を選び(選べ?)ませんでした。
  4. 弱気の道 生きたくもない、だからといって死ぬこともできない。惰性でただ生きているという状態で、トルストイ自身は自分をこのように見ていたようです。

結局、トルストイはこの悩みからの出口を見出せないまま家出をし、数日後に田舎の駅で肺炎で亡くなるという不幸な人生の終わりを迎えました。

生きる意味が見つからないという問題は、今に始まったことではないことがわかりますね。

しかもトルストイは伯爵家という名門貴族の生まれで、文豪として名声の名声もあり、すべてに恵まれた人でした。

恵まれているといえば、菩提樹の下で悟りを開いたという超有名な人がいましたね。そうです、釈迦です。彼もまた王子として生まれ、世俗的には極めて恵まれた環境でした。

現代日本の例とは原因が異なるように見える事例ですが、次にその原因を推測して共通点を探ってみましょう。

2.生きる意味が見出せない原因

(1)現代日本のケース

現代に生きる日本人が、生きる意味を問うきっかけは人間関係や仕事のつまずき、お金の問題などさまざまな問題による「生きづらさ」があるのではないかと思います。

本当の意味で毎日楽しく充実して生きている人は、生きる意味なんて考えていないでしょう。

また、生きる上での「ある程度の余裕」も必要でしょう。

戦時中や今の最貧国の状況を考えると分かりますが、生き延びるのに本当に精一杯な時、人は生きる意味を考える前にとにかく必死で生き抜こうとするものです。

そして、成長過程で自分を律することを怠り、「怠惰」を習慣とし惰性で生きてきたことも大きな原因という気がします。

つまり、生物には生長していくという本能を持っています。もちろん、心の成長も含まれます。しかし、そのためには自分を厳しくしつけたり、努力したりが欠かせません。

一方で、生物は楽をしたい、心地よいことを好むという本能も同時に持っています。今は、こちらが野放図になっている印象です。

心の高次欲求と、体の低次欲求がぶつかり合うとき、真に自分が求めているものは何か、それに気づいて自分で主体的に選択するのはたしかに簡単ではありません。

それには教育や社会の後押しが必要ですが、今はその逆のことをやっています。ですから、本人のせいばかりとも言えない面もあるでしょう。

まとめると、今の社会では、「生きのがつらい」、「死なない程度の余裕」、「怠惰」この3条件が重なりやすい環境なのでしょう。

そのため、生きる意味がわからなくなって悩む人が多くなっているように感じられます。

(2)歴史上の有名人のケース


一方、トルストイや釈迦のケースは、かなり異なります。

どちらも物質的なことは、ほとんどすべてが思い通りになる境遇でした。上記3つの要因のうち、前と後の2つはまったく当てはまりません。

そして、真ん中の「余裕」については、さらに突出して大きかったのです。

普通の人がやりたいこと、美味しいものを食べるとか、何かの娯楽を楽しむとか、趣味で好きなものを集めるとか、そういうことはすべて簡単にできるので、やりつくした状態でした。

その結果、やりたいことが何もない、暇を持て余している、毎日が単調になってしまうといった、そんな状態に陥ってしまったのかもしれません。

このような状態は現代でも、大成功を収めた人のなかに一定割合で出現するように思います。

そんななかで、名経営者と呼ばれるような人は、ある時点で生きる意味を自分の内側に問いかけたのかもしれません。

そして、公(おおやけ)のために生きることに意味を見出し、世のため人のための活動で人格を磨いてさらに飛躍を遂げた人と言えるでしょう。

(3)両者の意外な共通点

前者は基本的に苦しいなかで「惰性で生きている」人、後者はなんでも思い通りになるけどやはり「惰性で生きている」人といえるかもしれません。

そうすると、両者に共通するのは「惰性で生きている」という点です。

普段の暮らしの環境が物理的欲求の充足という意味で正反対なので、へんな話に思えますが、これは案外重要な要素かもしれません。

刹那的な楽しみにせよ生きるための闘いにせよ、なにかに夢中になっているとき、生きる意味を問いかける暇なんかないでしょう。

でも、条件が揃って生きる意味を問う内なる声に気づいた時、それはトルストイの生き方が示すように一方で大きな危機となり得ます。

と同時に、名経営者として人間的に成長し大きな尊敬を集めることになった人が示すように、大きなチャンスとも言えます。

これこそ、トルストイが言ているように、魂、つまり、自分の本質からの呼び掛けなのかもしれません。

そして、自分が生まれてきた目的に近づくための重要なプロセスであると言えるでしょう。

いずれの場合も、本人の主観的ではとても苦しいことです。

苦しみから逃げたいばかりに、人生を自分で破滅させてしまったり、惰性で終わってしまったりという可能性もあります。

一方で、苦しみに逃げずにしっかり向き合った時、思いがけなく本物の人生の扉が開くという点で、大きなチャンスであるとも言えるでしょう。

3.まとめ


今生きる意味がわからなかったとしたら、それはピンチであると同時にチャンスとも言えます。

自分の魂から「そろそろ本気で生きてみないか」、「何をしに生まれてきたか思い出そうよ」と呼び掛けられている状態であり、今がその時というドンピシャのタイミングだからです。

まずは、「生きる意味がわからない」ことに関する、このポジティブな面に意識の光を当ててみましょう。

記事タイトルのとおり、誰にも生きる意味は必ずあります。そして、見つかります。

ですから、希望を持ってください。

そして、チャンスをチャンスとして掴み取るためには、きちんとした手順を踏む必要があります。

つらいけど惰性で生きている状態から、一足飛びに本物の生きる価値を見つけることはできません。

どのような手順を踏めば、確実に生きる意味を見つけられるのか、次回、続きを書いてみようと思います。

以上

<続きはこちらから>

今生きる意味がわからない人が生きる意味を見つける2つのステップ

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この記事を書いた人

祇場 駿矢(しば しゅんや)
幼い頃から「人は何のために生きるのか」「人はどこからきてどこへ行くのか」「ここは自分がいる場所ではない」などと考える子供だった。

ところが、昭和の成功の常識に染まり、京大法学部からメガバンクに。バブル崩壊からITバブル、リーマンショックなど日本経済の栄枯盛衰を経験。

忙しい毎日を送りつつも、目に見えるモノ(物質、金銭、地位、肩書き)では、決して心が満たされることはないことに気づく。

世間的なうたかたの価値に見切りをつけ、人間が生きることの本質的価値を探究して2014年に銀行を退職、起業する。

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