悟りの窓

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「かまってほしい」という承認欲求がもたらす5つの症状〜

約 11 分
「かまってほしい」という承認欲求がもたらす5つの症状〜

小池龍之介さんという仏教のお坊さんが書いた「坊主失格」という本は、小池さんが自分の半生を振り返ってまとめた本です。

そこには「自分を認めてほしい」「かまってほしい」という承認欲求に振り回されて自分を見失い、苦しみ続けた赤裸々な体験が記されています。

承認欲求は誰にでもあるものですが、現代社会ではこの欲求が肥大しやすく、人間関係をはじめ人生のほとんどの問題や苦しみの原因となっています。

小池さんの体験を読むと、承認欲求が過ぎることで起きるさまざまな症状を知ることができます。

その現れ方はさまざまですが、根底には自分を認めてほしいという共通の欲求があります。

自分と照らし合わせてみることで、なぜ自分が苦しいのかが見えてくるかもしれません。

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1. ひたすらダメな自分で親の愛を求めた幼年時代

 

小池さんは坐禅修行に打ち込んで苦しみを脱するまでの半生を、「淋しくて淋しくて、苦しみにもがいて、いつも暴走してきた人生」と評しています。

それは物心ついた時から始まっており、いつも心に苦痛があり淋しくて泣いていたそうです。

幼児向けの水泳教室に通わされた時には、プールの上にある保護者用の観覧席にいる母親を探して泣き続け、それは教室をやめるまで続いたそうです。

母親が自分を見捨ててどこかへ行ってしまうのではという不安に苛まれていたということです。

その不安は自立できてしまうと親が離れていってしまうという思いを生み、「できないダメな自分」でいることで親の愛をつなぎとめておきたかったと小池さんは述べています。

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できない自分、ダメな自分、かわいそうな自分、可愛い自分、無力な自分、、

いずれも自分は無力で守ってもらわないと生きていけないというアピールをすることで、親をはじめ、他人の関心や庇護を得ようとする戦略です。

子供や女性など弱い立場の人が取りやすい方法といえるでしょう。

2. ひたすら自己主張して煙たがられた小学生時代

 

小学生の小池さんは、一言で言うと「自己顕示欲の塊」であったそうです。

人から見ていてもらいたい、一人ぼっちにしないでほしい、認めてもらいたいという感情がひどく強い子供だったようだと書いておられます。

幼稚園や学校でも先生の注目を集めたくて、落ち着きなくふざけたり騒ぐことをやっていたそうです。

楽しく大騒ぎして目立つことで子供社会の中で中心でいようという思惑でしたが、誤った方法だったために、先生や他の子供からかえって疎んじられる結果となります。

みなさんも子供時代を振り返って、あるいは子供の面倒を見る立場になった時、そういう言動をする子供の一人や二人は覚えがあるのではないでしょうか。

また、小学生の小池さんは、友達から見捨てられるのではないかとという不安が強かったと言います。

気に入った友達の一番の友達になりたくて、いつも一緒にいたいと付きまとうように毎日遊びに誘ったり、過剰に相手に合わせてみたり。

それでまた疎まれて傷つくということを繰り返していたようです。

淋しさを埋め合わせようと相手と一緒にいることを求めるんですが、それで満たされるのはせいぜいその日の夜までで、翌日にはすぐに感覚が色あせて、また親密さを欲するというパターンでした。

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子供らしいストレートな方法と言えるかもしれません。でも、二重の意味で間違っているので求めるものが得られず却って傷つく結果となります。

一つは、認めてもらう方法があまりにも自分本位であること。

もう一つは、他人から認めてもらっても決して満たされないという本質的なところ。

いずれにしても、自覚がないから子供本人は苦しいと思います。

3. 太宰を気取って屈折し道化を演じた中高生時代

長い間の受け入れられない経験を経て、中高生の小池さんは屈折していきます。

「求めてもどうせ得られないなら、いらないもんね」「認められなくてもヘーキ」という強がりです。

中学一年で太宰治の「人間失格」を読んだとき、これだと思ってしまったそうです。

「認めてほしい」、「かまってほしい」という欲求がストレートに叶えられない時、人の心はさまざまな合理化を行います。

特別な存在になって目立ちたいけど、それが叶えられないので、ネガティブな方で同じことをしようというわけです。

小池さんは「無頼で虚無的なキャラを演じる」と書いていますが、うまい表現ですね。

中学生ぐらいの時分は、男の子はそういうのをカッコいいと思ったりするものですが、承認欲求と結びついているというのは的確な分析だなと思います。

そして、高校に入ってしばらく経った頃、今度は演じるキャラとして、アウトローからお笑いキャラを見出したそうです。

小池さんは、もともと天然ボケみたいなところがあったそうで、それが受けたのがうれしくて、わざとボケて受けを狙うようになったとか。

でも、次第に飽きられたり、ワザとやっているのを見抜かれたり、芸人志望のもっと面白い子が現れたりで、それがうまくいくのもつかの間です。

満たされぬ思いに苦しみながら、より奇抜な言動に走るようになり、それがエスカレートしていったとのことです。

***

幼い頃のストレートな表現がうまくいかないと人は屈折するものですね。中高生時代にそれが始まることは多いのでしょうが、大人になっても同じようなパターンを引きずっている人もよく見かけますね。

もう一つ、小池さんは、承認欲求から親や先生の期待に応えるように優等生を演じた結果、ウツになってしまった友人の話を書いています。

共通するのは、承認欲求を満たすために、本来の自分を抑圧してしまうと反作用も大きくなるという点で、承認欲求を追いかける過ぎるとロクなことにはならないのはたしかなようです。

4. 理論武装して他人を批判した学生時代

高校を出た小池さんは東大に入学して、学生運動に興味を持ちます。

実家がお寺で宗派仏教に苦悩からの救済を求めたけれど果たせず、「早く死にたい」と思う一方で「社会が悪い」という攻撃性を育てていったそうです。

それで、哲学、政治、美学などさまざまなものに傾倒し、「他人とは違う特別な自分」を求めるようになったそうです。

平たくいうと、相手をあげ足を取るように批判して貶め、相手が落ちた分自分の価値が上がったという錯覚です。

東大に入れたことや文章を読んでいても頭の良い人だと思うので、自分で書いているとおり、「傍から見れば本当に感じの悪い人間」だったことでしょうね。

そうして、ネガティブな方向で「特別の人間」になることを目指した小池さんは、学生運動にあきたらず新たな刺激を求めます。

それは見知らぬ人にちょっかいを出してからかうという悪ふざけのようなことだったそうです。

道を尋ねたりアンケートをとるふりをして訳のわからないことを言ったり、意味不明の突飛な言葉を発したり。

たとえば、「店内に動物園があるスターバックスがあると聞いたのですが、不思議な動物を飼っているお店はどこですか」と聞いて回る、他人に声をかけて振り向かせ「へにょにょにょにょにょ〜ん」などと声をかけるなど。

それで相手が戸惑うのを見て喜んだというのですから、相当迷惑な人になってしまっています。

この頃になると、乱れた生活で身体の具合も悪かったようで、かなり心も病んだレベルですね。

しかも、自分でふざけないようにしようと思っているのに、「へにょにょ・・」と声が出てしまう、自分の意思では自分がコントロールできない状態に陥っていたそうです。

***

他人を貶めて自分を上げるという戦略は、社会人でもパワーゲーム的によく見られることです。

見知らぬ人に奇声を発する人は少ないと思いますが、感覚を刺激する何かを求めて中毒になっていく人は世の中に多くいると思います。

パチンコしかり、ゲームなどの娯楽しかり、お酒しかり。苦しみを紛らわす手段としてハマっていってしまうわけですが、解決になるどころか新たな苦しみを生み出すものであることが見て取れます。

5. 男女関係は格好のゲームの舞台

これまで述べてきたような承認欲求のドロドロしたドラマは、男女関係の中でよく見られますが、小池さんの場合も絵に描いたようにそのパターンでした。

大学時代、初めて本格的に恋愛をしたそうですが、その彼女が付き合い始めてから既婚者とわかります。

障害を受けて燃え上がってしまい、相手のパートナーから逃避行のようなことをして、あちこちに迷惑をかけたそうですが、この経験で小池さんはとんでもない学習をします。

「激しい恋をして互いの感情を燃やすと、相手から熱烈に求められ愛してもらうことができるんだ。他の人たちはともかく、その相手だけは自分のことを世界でいちばん大切にしてくれる。これで寂しさがまぎれる」と。

最初の相手と別れたあと、小池さんは開き直ったように複数の女性と付き合い始めたそうです。

もとは「虚無的な人間」である自分に合う服装として、上下とも真っ黒で飾らないことで格好をつけていたのが、ファッションに気を使い、髪も伸ばすようになったそうです。

相手の関心を引くことが目的ですべては他人次第、自分がないというのがよく表れていると思います。

承認欲求が過大な人だったので、一人の女性とのまともな付き合いでは到底満足できないのは予想がつきます。

相手の淋しさや自己愛につけ込んで優しくしてあげたり愛情深かそうにするかと思うと、冷たい態度をとったり攻撃したりして相手を不安にさせる。

相手を不安にさせればさせるほど、相手はこちらの機嫌を取ろうとして大事にしてくれるといったことを覚えていきます。

そして、恋人の自殺未遂による破綻。その時現れたボロボロの自分を理解してくれると思った相手との結婚、再び相手を試すようなワガママな要求がはじまります。

そして、とうとう奥さんに暴力を振るい、それさえも相手のせいにするようになってしまったといいます。

***

承認欲求の暴走として、男女関係は感情が大きく動く分、さまざまなドラマを生み出します。

それにしても小池さん、よくここまで自分の恥を本で公表されたと思います。

きっと体を張ることで、承認欲求をはじめ心にすくう煩悩に翻弄されることの苦しさやおそろしさを伝えたかったのだと思います。

6. 過度の承認欲求の原因

かつての小池さんの行動だけを見れば弁解の余地のない最低な人間に思えるかもしれません。

しかし、彼の内面の思いとともにその半生をたどると、淋しさと足りなさで苦しみぬいた人間が、「自分ではどうしようもなく」落ちていく軌跡がはっきり見て取れます。

では、なぜ承認欲求が過ぎてしまうのでしょうか。

小池さんの場合、赤ん坊の頃の経験が原因ではないかと推測しています。

小池さんのお母さんは高校卒業してすぐ結婚しほどなくして小池さんを出産したそうです。

年齢的にはまだまだ遊びたい年頃であり、両親は1歳の赤ん坊の小池さんを家に置いて、たびたびふたりでゲームセンターなどへ遊びに出かけていたそうです。

放っておかれた小池さんの泣く声があまりにすごいので、隣の家の人が見かねて家に入ってあやしたそうですから相当なものだったのでしょう。

実際、物心ついた頃の記憶は、両親の帰りを待ってえーんえーんと泣いていたシーンとか、ことごとく涙でグズっていた記憶ばかりだそうです。

おそらくこの時の心の傷が、小池さんを長く苦しめる過ぎた承認欲求の原因となったように思います。

これはこのホームページでいえば「インナーチャイルド」と読んでいる心の傷、トラウマです。

小池さんは、同じ状況でも強く育つ子もいるとして、自分の心のせいだとして人のせいにはされていません。

だからこそ、10年以上にわたる坐禅修行の末に、自分の心の病的な癖を乗り越えることができたのだと思います。

ただ、インナーチャイルドの影響は、自分の意思でコントロールできる範囲を超えています。

小池さんが、小学生の頃、ふざけるのをやめようと思ってもやめられなかったり、大学生の時、ほぼ無意識に奇抜な行動に出てしまったようなものです。

わかっていてもどうにもならないのが本人にとってもつらいところです。

もちろん、その人の状態によるのですが、いずれにしても根気強い取り組みが必要となります。

方法としては、坐禅も一つの方法ですし、マインドフルネス瞑想も有効です。

これらの方法の長所はお金がほとんどかからないことですが、欠点としては数年単位の取り組みが必要であることです。

出家せず普通の生活をしている人が同じように毎日長時間坐禅を組むことはなかなかむずかしいでしょう。

反対に、費用はかかるものの、短期間での改善を求めるのであれば、一悟術ヒーリングが有効です。

人生の時間は有限であり、数年苦しむことを考えれば、検討に値するのではないでしょうか。

7. まとめ

今まで承認欲求として述べてきた衝動は、仏教では渇愛(タンハー)いって決して満たされることなく求め続ける心、その7つのうちの一つとされています。

ちなみに、他の6つは、生存欲、睡眠欲、食欲、性欲、怠惰欲(ラクをしたい)、感楽欲(映像や音で気持ちよくなりたい)です。

この顔ぶれを見ても、本能的な欲求というか、かなり根深いものであることがわかります。

承認欲求が肥大しやすい現代だからこそ、その現れ方を知り、翻弄されることがないようにしたいものです。

以上

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この記事を書いた人

祇場 駿矢(しば しゅんや)
座右の銘は「自分にとっての自分の価値は自分が決める」
自分だけの軸を己の中心に据え、自分を信じて生きることのすがすがしさを伝えています。
普段から物静かですが、悟りや自己成長のこととなると少しおしゃべりになります^^
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