悟りの窓

魂とつながる日本固有の自己成長の道

あなたが生まれてきた意味は自分を愛すること

約13分
あなたが生まれてきた意味は自分を愛すること

自分を愛することが大事というのはさんざん言い尽くされてきた感があります。

もしかするとあなたも、「自分を愛する?ああ大事だよね。わかってる」と言うかもしれません。

それでもあえて言わせてもらえば、本当の意味でそれをわかっている人はほとんどいない、と言っても言い過ぎではないと思います。

なぜなら、「自分を愛することは、誰にとっても生まれてきた意味そのものであり、いわば最重要の目標」、それほどまでに大切なことだからです。

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1.自分を愛することは人生の究極の目的

生まれ変わる魂があるという前提に立つなら、私たちの本質は魂ということになるでしょう。

すると、人が生まれてくる意味は、魂が目的としていることになります。

魂は、生まれる前に目的を達するためにどんな人生の設定にするかを決めてくるようですが、どの魂にも共通する目的とは「魂として成長する」ことであるようです。

すべてがエネルギーでありバイブレーション(振動波)であるなら、魂として成長することとはより純粋で精妙なバイブレーションへと高まることでしょう。

だとすると、魂の成長とは、究極的に宇宙意識そのものである宇宙の究極の愛に近づくことになります。

このプロセスのことを、私は「悟りの道」と呼んでいます。

個人として主観的に表現するなら、自分を知り、他人をはじめ外部の世界を知り、人として内面的成長を遂げることです。

具体的な行動ベースでは、自分の中の否定している部分を愛していく、ということです。

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よくワンネスと言われるとおり、宇宙がもともと一つであったことはご存じのことと思います。そして、今も一つです。時間はありませんので。

宇宙は一つから分かれたどんなものも存在を許しています。つまり、肯定しています。あなたも私も、宇宙が肯定しているから存在しているのです。

でも、私たちは日頃からいろんなものを否定しています。こういう状況は困る、あの人の考え方はあり得ない、愛されないのは嫌、というように。

それって宇宙意識に反してないでしょうか?

はい、そのとおり、明らかに反してますね。

だから、自分の中にそういう(愛せない)部分を見つけて、一つ一つ愛に戻していくのです。

それが人として高まっていくということであり、精神的成長の道、悟りの道、人が人として生まれてくる目的であるわけです。

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ちなみに、日本に伝わる和の心とは、仲良くしましょうというような単純なものではありません。

私たちの祖先は、ありのままの自然を尊び、生と死、光と影、陰と陽、それらが一体となって調和し、変化していく流れそのものを神として崇めました。

自らも自然の一部であり、その流れに沿って生きることは日本人のDNAにしっかりと刻み込まれた生き方なのです。

2.自分を愛せると起きる こんなによいこと

自分を愛するのは究極の生まれてきた目的なので、もちろんそれだけでこれ以上ない価値があるんですが、抽象的でいまいちピンとこないかもしれません。

もっと実感が湧くように表現するなら、次のようなよいことがあります。

(1)他人を愛せるし、愛される

打算でなく純粋に人を愛したい人は多いでしょう。相手の人や社会の役に立ちたいという人もたくさんいると思います。

しかし、残念ながら自分を愛せない人が、本当の意味で他人を愛することはできません

どうしても枯渇感が出て、見返りを求めてしまうからです。たとえると、自分のコップに十分水が入っていないのに人に与えるようなものです。どうしても我慢したり、押さえ込んだりしちゃうんですね。

先に自分のコップを愛で満たして、そこから溢れた愛だけが純粋な気持ちで他人に分かち合えるのです。

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そして、もちろん私たちは人から愛されたいですよね。それはよいのですが、このとき、自分を愛せないからと、他人の愛で埋め合わせようとするとたいへんです。

本当のことを言うと、自分を愛で満たすことは自分にしかできません。他人の愛では代替が効かないのです。

だから、他人から愛をもらっても満たされることなどなく、その結果、際限なく求めてしまうことになってしまいます。もっともっと、と。

これでは、相手もたまりません。やがて相手は去っていくことになってしまい、今度こそとばかりに、自分を無条件で愛してくれる他人を求め続けることになります。そんな人などどこにも存在しないというのに。

反対に、自分を愛で満たせる人は、満ち足りています。幸せオーラがあふれて輝いています。こういう人って他人から見ても、すごく魅力的ではないでしょうか。

そうして、同じように自分を愛で満たしている人と惹かれ合います。要求するわけでもないけど、お互いにとても大切な存在としてお互いに愛を注ぎ合うことができます。

そんなパートナーシップを理想とする人は多いでしょう。そんな相手と結ばれるためには、自分を愛することが必須の条件なのです。

(2)人生で思い通りにならないことがなくなる

人生で思い通りにならないことほど、人を悩ませることはありません。

平家物語に時の最高権力者白河法皇が、

「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」

と嘆いたという逸話もそれを物語っています。

何でも思い通りになる人ほど、思い通りにならないことが悩みのタネになるものですね。

そして、「人生で思い通りにならないこと」がなくなることは決してありません。思い通りにしようとしている限り。

ということは、思い通りにしようとしなければいいのだということになります。

でも、そんなことをしたら、自分はどうかなってしまうという恐れが湧いてくるでしょう。そんなところに解決できる道があるとは思えませんね。

その扉を開く鍵こそ、自分を愛することなのです。

(3)うれしい、たのしい、しあわせな人生

人を愛し人からも愛され、思い通りにならないことがなくなったら、どんな人生になるでしょうか。

仏教では、決して満たされることのない「求め続ける心」、これを渇愛(かつあい)と言いますが、出来事に求め続ける心が反応して、苦しみや悩みをもたらすと言っています。

苦しみや悩みをなくすためには反応をなくしましょうというのが、仏教が説く悟りに至る王道です。

その点、自分を愛することは、この求める心をかなりの程度満たしてくれることがお分かりでしょうか。

反応する原因が軽減されるので、根本的な解決に近いものとなります。

さらに、思い通りにしようという思いがないと、何が起きても大丈夫になります。恐れというものがありません。何にせよ自分のものにやってくることは歓迎なのです。

こうなると、人生はうれしさ、たのしさで満ち溢れ、次はどんなことが起きるのか心待ちにするようになります。

自分を愛することは、そんな幸せが約束されるということでもあるのです。

3. なぜ自分を愛せないのか

とはいっても、高いレベルで自分を愛することは、なかなか思うようにならないことだらけです。自分を愛すること、他人を否定しないこと、環境に不平不満を言わないこと、全部同じです。

他人を否定しないと何でも他人の言うことを聞かないといけないじゃないかとか、どんな劣悪な環境でもがまんしないといけないのか、などという思いが湧くかもしれません。

上述した、思い通りにしたいと思わないようにするというのも同じことです。

もちろんそんなことはありません。それらが自分を愛することに反するのは明らかですから。

自分を愛することがむずかしいのには、必ず自分を愛せないことになってしまう、いわば構造的な理由があります。

その理由を端的に言うと、 事象+評価・判断→認知 だからです。

私たちは外の世界を知覚して認識しないと生きていけません。そして、認識するときこのプロセスを辿ります。

そのなかに含まれる評価・判断というのが曲者です。評価・判断するためには、基準となる物差しが必要なのです。

あるライン以上はA、それ以下だとBという形で評価・判断されます。

ABだと優劣善悪は感じられないかもしれませんが、ほとんどの場合、ある基準を元に判定がなされます。

その基準とは、「自己の生存に都合がよいかどうか」です。

これは生物としては当たり前のことであり、必要なことでもあります。

でも、その結果、ものさしを当てて都合が悪いことはNGという判定がなされ、自分や対象となった事象を否定してしまいます。

だからこそ、徹頭徹尾自分を愛することは、簡単なようで実際にはなかなかうまくいかないのです。

4.自分を愛する方法

けれど、自分を愛することは夢物語でもなんでもありません。

きちんとプロセスを踏めば、着実に進歩していくものです。何しろ、生まれてきた目的なのですから、決して実現不可能な夢物語だったとしたなら、それこそ人生の悲劇です(笑)

それでは、以下にその手順を書いてみます。

(1)心のお掃除をする

まず自分を愛せないのには理由があります。魂はもともと純粋な喜びの波動を放っています。

だから、本当の意味のあるがままの状態なら、自分を愛することなどそれこそ呼吸をするように自然でたやすいことです。

しかし、それを邪魔するものがあります。それが過去においてあなたが培った思い、感情、心の傷です。

これらはネガティブな波動を発しており、魂のポジティブな波動を打ち消すので、自分への愛が感じられなくなるのです。

あれ?でも、何も否定しないんじゃなかった?

と疑問に思ったあなたは鋭いですね!

そうです。単に否定したり、蓋をしたりすると、何の解決にもならないどころか、かえってこじらせてしまいます。

=====

まずあるものはあるものとして認め、きちんと対処します。いわば、心のお掃除です。

対象によってその内容は異なりますが、感情であれば感じ切ります。

感情は単純なエネルギーなので、消費されれば消えていきます。

思いは解きほぐすといったやり方でしょうか。

こうでなくちゃと凝り固まっているのが思い込みなので、その反対もあるかもねというところにいけるよう、視点を高くしたり視野を広げたりできれば、思い込みは溶け去ります。

潜在意識のトラウマは少々厄介ですが、瞑想などの方法で癒すことは可能です。

この対処そのものが、心のあり方を高め自分を成長させてくれるので、とてもうまくできていますね。

そうして、次のステップに進む素地が整いました。

(2)評価判断をやめる

上述のとおり、自分を愛せない原因は、事象+評価・判断→認知 という認知の枠組みそのものでした。

だったら、評価・判断をやめようじゃないかというのが次のステップです。仏教もこの方法を採用しています。

これがありのままを観察するということであり、米大企業でも流行しているマインドフルネスの核となる考え方です。

でも、それって実は、恐いことであり、痛みを伴うことなんです。

なぜか。前項の思いや感情は、傷ついた(または傷つくのを恐れる)自分を守っているものだからです。

たとえば、やたらと地位を振りかざすような人のケースを見てみましょう。

年配の男性にありがちで、それなりの社会的地位や肩書きがあります。「俺を誰だと思ってるんだ」が口ぐせです。

こんな人の部下でいたら大変ですが、遠目から見ると、この人が自分で自分に価値を認められていないのは明らかでしょう。

威張り散らしている言動とは裏腹に、常に自分は価値がないとビクビクしています。

他人にそれを見破られたらおしまいと思っているので、それを脅かす(と感じる)相手の言動に過敏に反応するのです。

あと、自分の家系を自慢したり学歴や勤務している会社、収入を鼻にかけたり、大きいくくりでは自分の国を他より優れているとしたり他の人種や民族を見下したりなども同じ構図です。

また、自分の考えや意見を否定されると自分自身の価値が傷つけられたとばかりに、感情的になる人を見たことがあると思います。

人は自分が属しているものや自分の思考を、たやすく自己と同一化してしまいます。

あの人は悪い人、私にこんなにひどいことをしたといった評価やそれに伴う感情も同じです。

私は悪くない、私は正しいという立ち位置に立つため、つまり自分を安全な場所において守るために、それらの評価や感情を使います。

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だからこそ、前項で、思いや感情、トラウマがある程度クリアになっていないと、評価判断を手放すどころではなくなるのです。

ものごとをありのまま見るということは、言い換えれば、過去や未来に思考を飛ばさないということでもあります。

よく言われる、今ここにいるというのはそういう意味です。

マインドフルネスな心の状態を続けることで、評価・判断を手放し、認知の罠を超えて自分を愛する状態に近づくことができます。

(3)どう生きたいかを明確にする

ありのままが見えるようになったら、一見するとポジティブなことも、反対にネガティブなこともフラットに見渡せるようになります。

思い込みで生きているときには、ある価値観、つまり物差しが絶対であると信じているので、自分は正しいという位置に立ってしまいます。

でも、ありのままに見える景色はずいぶん異なっていて、他人が抱いている価値観も一旦は受け入れてみて、その視点からは相手の言い分が正しいことがわかります。

結局、立場や価値観という前提を取り替えれば、絶対的なものはなにもなく、したがって、よい悪いはないことが体感されます。同じように善悪や損得などもありません。

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となると、選ぶ基準は、自分がどうしたいか(Do)、さらには、どうありたいか(Be)ということです。

行動(Do)よりもあり方(Be)が先に来るのは、私たちの価値の所在が行動ではなく存在だからです。

何かをしたから価値があるのではなく、誰もが、ただ存在しているだけで無限大の価値があるということです。たとえ、病を得て寝たきりであったとしてもです。

そんな私たちですから、もともと無限の価値がある存在として、どうありたいかを明確にすることが大切です。

そして、ありたいあり方に照らして忠実に生きることです。

他人からの働きかけや環境の変化に応じて、ありたいあり方を保つためにどうすればよいかによって、自然に行動が決まるという順番です。

行動が先に立つと外部の価値観の自分の価値が左右されることになってしまいます。

存在から導かれるこそ行動が、宇宙で唯一無二の存在である自分を表現すると言うことです。

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こうあるべきという捉われや思い込みを手放し、いい悪いや善悪、損得もないところから、ありたい自分でいるために行動していく。

そうすることで、自分を愛する思いがさらに磨かれ、純化されていきます。

もちろん、なんでもうまくいくわけではありません。障害やトラブルに見えることも起きてきます。

それをネガティブに捉えるのでもなく、ポジティブに偏るのでもなく、自分の中の自分が愛せていないの表れとして受け取り、対処します。

それを繰り返すことで、私たちと魂は、無限大の愛そのものである宇宙の意識に一歩ずつ近づくことができるのです。生涯を通して。

5.まとめ

自分を愛することこそ、私たちが生まれてきた目的というお話はいかがだったでしょうか。

それもそのはず、この世界がたった一つの宇宙が分離して見える幻想にすぎないとしたら、私たちは愛そのものだからです。

当たり前のことをくどくど説明しただけかもしれません。

でも、「ワンネスだから、私たちは愛だよね」では、何も解決しないのではないでしょうか。

実際に体験して感じることに意味があり、それが宇宙そのものの進化と関係してもいるようです。

すると、この世界は、絶対の安全が保証された遊園地のアトラクションのようなものかもしれません。

極限まで自分を愛するというこの宇宙規模の超絶スーパーリアルなアトラクションを、一緒に楽しみましょう。

以上

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この記事を書いた人

祇場 駿矢(しば しゅんや)
幼い頃から「人は何のために生きるのか」「人はどこからきてどこへ行くのか」「ここは自分がいる場所ではない」などと考える子供だった。

ところが、昭和の成功の常識に染まり、京大法学部からメガバンクに。バブル崩壊からITバブル、リーマンショックなど日本経済の栄枯盛衰を経験。

忙しい毎日を送りつつも、目に見えるモノ(物質、金銭、地位、肩書き)では、決して心が満たされることはないことに気づく。

世間的なうたかたの価値に見切りをつけ、人間が生きることの本質的価値を探究して2014年に銀行を退職、起業する。

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