悟りの窓

ようこそ 最高の自分 という生き方へ

幸せは悟りの最初の一歩

約 9 分

人は誰もみな、幸せになりたい、幸せを望んでいると言われます。けれど、複雑に入り組み、予想もしないようなことが起きる今の世の中では簡単には幸せになれない。

世の中にはそんな思い込みが蔓延している気がします。そんなかで、多くの人が仕事で家庭で、一生懸命頑張ってはみても、なかな思うように成果が上がらずに苦しんでいる。

でも、悟りを開けば、さすがになんとかなるだろう。きっと幸せになれるはず。

そんなふうに考える人もいそうです。というか、かつての私がそうでした。

悟りと幸せ、関係していそうで、いなさそうで、よくわからない両者の関係を整理し、どうすれば人生に役立てることができるかという視点でまとめてみました。

1.幸せと悟りは相反するもの

まず、幸せと悟りは、互いに相反するものという考え方があります。

その理由は、幸せが、二元的であり、一時的なものであるためです。

二元的とは、「幸不幸」とセットで言われるとおり、幸せと不幸せは表裏一体であるということです。

わかりやすい例だと、何かが得られれば幸せ、得られなければ不幸と感じるということですね。

「何か」は人によりさまざまです。

たとえば、お金、恋人、豪邸、権力、高級車、ブランド物の洋服、社会的地位、他人からの賞賛、暖かい家庭、信頼で結ばれた人間関係、経済的な成功、美味しい食べ物、などなど。。

それこそ千差万別で、人により何を幸せと感じるかは様々と言われる所以です。

しかし、共通するのは、その「何か」を基準に幸せかそうでないかが決まっていくということです。

ということは、それがずっと続くことは絶対にありえないということになります。

究極的には、人は誰でもいつかは死ぬということに帰結するからです。

つまり、どんなに幸せな状態も時間の経過とともにやがては崩れていき失われてしまうのです。

まさに諸行無常です。

生命までいかなくとも、得ることは同時に失う可能性が生まれるということです。気づいているかどうかにかかわらず、可能性があるというだけで人は簡単にその恐れに取り込まれてしまいます。

だから、幸せは一時的なのです。

対して、悟りはこの対極に位置します。

相対的でなく絶対的であり、一時的でなく永続するもの、局所的でなく普遍的な価値が悟りです。

王族であったお釈迦様はこの世で幸せの元とされるものをすべて持っていながら、心からそうは思えなかかったため、出家して悟りを求めました。

出家とは、目の前の小さな幸せに背を向けて、もっと大きな幸せを求める行為なのかもしれません。

かつては、今以上に過酷で不安定な世の中であったことに鑑みれば、苦しい修行を行っても悟りを目指す人が多くいたということにも頷ける気がします。

小さな幸せと大きな幸せ、何を幸せとするかという個人の価値観の問題という捉え方もあるでしょう。

とはいえ、幸せと悟りが相反するという考え方も、特に世の中一般の価値観を前提にすれば、それなりに理解できるものだと感じます。

2.幸せと悟りは共通するもの

一方で、これとは反対に、幸せと悟りは共通するところが多いという考え方があります。

その根拠の一つは、どちらも「今がそうなんだ」と気付くものだということです。

まず、幸せについて、幸せとは主観であり、自分が感じるものです。

そして、いつどこでも、どんなものにも、プラスの面とマイナスの面が同じだけ存在します。陰陽のバランスは宇宙の真理です。

そのプラスの面、つまり充たされている点に目を向ければ幸せになります。反対にマイナスの面、欠けている面に目を向ければ不幸になります。

つまりは、本人の選択の問題であり、今が幸せであると気付くことが幸せになることだという考え方ができます。

そして、悟りについても、「今ここ」にしか悟りはないと言います。

いつか悟ろうという思いの根っこには、今はまだ悟っていないという思いがあります。

つまり、自分は不十分で欠けたところがあると思っているわけです。

自分で自分を不十分と考える人が悟っていないことは明らかですが、では、欠けたところを補っていけばいつかそれが完成し、悟りに至るのでしょうか?

いえ、それは永遠に起きず、永遠に「いつか未来に悟りたい人」でい続けるわけです。

どうしてそうなるかというと、「自分の思いが自分の世界を創っている」からです。

「自分とは世界を創っている存在、つまり、創造主であった」とわかるようになることが悟りということでもあります。

ですから、悟りとは、今という時、「自分は完全で無限の存在である」とそう気づけた時にしかやってこないというわけです。

「もともと完璧であり、いついかなる時もそうでない時などなかった」ことに気づくと言ってもいいかもしれません。

3.なぜ幸せや悟りを求めるのか

このように考えてくると、どちらの考え方にもそれぞれ頷けるところがあります。

どちらの考え方が正しいか、あるいは、優れているかといったことは一旦置いておき、なぜ人が幸せや悟りを求めるのかについて、考えてみることにしましょう。

まず、なぜ幸せを求めるのか。

これは考えるまでもないでしょう。

人は誰でも幸せを望むものであり、わざわざ不幸になりたいと考える人などいないのではないでしょうか。

自分なんか幸せになる価値がないとか不幸になればいいと言う人や、幸せになりたいと言いながら、どう考えても不幸になるような行動ばかりする人はたしかに存在します。

それはそうならざるを得ない理由があるのであり、また別の話です。

次に、なぜ悟りを求めるのか。

まずあげられるのが、冒頭に述べた昔の私のようなケースです。

幸せになる手段として悟りを求めるということがあるでしょう。

小さな幸せに背を向けてより大きな幸せを求める場合も、同じように当てはめて考えることもできると思います。

小さな幸せを手にいれる方法はいっぱいあるけれど、大きな幸せを手にいれる方法となると、悟り以外にはないかもしれません。

もう一つ、人には自分とは何者か知りたいという本能のようなものがあるようです。

自分とは何か、人間とは、生きているとはどういうことか、世界はどうなっているのか、という類の根源的な問いかけです。

これらこそ、魂にプログラムされた帰省本能のようなものかもしれません。

だからこそ、人は小さな幸せを捨て、大きな幸せを手にいれたくなるのでしょう。

4.よりよい攻略法

このように考えてきて、幸せと悟り、どちらを先に目指すのが得策でしょうか?

幸せという目的のために悟りを手段とする考え方は、理にかなっているようでいて、実はほとんど機能しません。

悟る方法がはっきりしないからです。

「自分が完璧である」ことに気づくといって、それができるなら誰も苦労はしないでしょう。

世の中を見回しても、悟っている人がたくさんいるようには見えません。

小さい幸せをまず捨て去るのもデメリットです。無事に悟りを得て、大きい幸せにたどり着けるかどうかはわかりませんから。

一方、幸せになるには、上で見たように、2つの方法があります。

一つは何かを得たり達成したりした時に幸せを感じる生き方。

もう一つは、充たされているものに目を向けて幸せを感じる生き方です。

前者は一般的かもしれませんが、誰もができるわけではありません。というのも、他人との競争や外的条件が関係するからです。また、小さな何かを達成するのは簡単でも、それが大きくなるほど困難になっていきます。

そういう意味で、完璧にできる人はほとんで誰もいないでしょう。

ところで、この考え方の前提には、小さな達成は小さな幸せを、大きな達成は大きな幸せを生むという前提があります。

割と多くの人が無意識的に信じている常識に近いものかもしれません。

しかし、本当は違うと思うのです。小さな達成にも、その人なりの思いや苦労、それだけ努力を注いだかなど、主観的な捉え方次第で大きな幸せにつながることは十分にあります。

これは意識の向け方次第であると言う点で、後者の幸せの生み出し方と同じであると言ってよいでしょう。

後者は、要するに意識の向け方の問題です。前者が外部要因に左右されるのと違い、すべては自分の内面でのことです。だから、訓練次第で誰でもできるようになります。

実際にやってみるとわかるのですが、加速度的に見つかるものが増えていく、幸せの量も増えていくという特性もあります。

ということで、後者のやり方であれば、誰もが幸せを感じて生きることが比較的簡単にできそうです。

その意味で、人生戦略として、まず幸せになり、それから、悟りを目指すやり方が賢明だと考えられます。

5.悟りを得たいかどうかはその人次第

なんのために目指すのかという目的に照らしても、まず幸せになるというルートは優れています。

幸せを得られたら、多くの人はそれで十分満足かもしれません。

そこにとどまっていたかったら、それでよいと思います。

魂の帰省本能とはそもそも漠然としたものであり、わかっている人にはわかるけど、そうでない人にはまったくわからない、そんな類のものです。

人それぞれのタイミングもあると思います。

幸せで充たされた気持ちになったところで、内面深くへの問いかけが始まることもあるでしょう。

外的な何かを得て幸せを感じるのとは違い、意識の焦点を充ちているものに合わせることを通じて、自己理解が進むからです。

6.そんなうまい話がと思った方へ

このように、まず幸せになるのがより充実した人生を生きる上で得策であるように思います。しかし、こんな危惧を抱く人もいるのではないでしょうか。

言葉にするなら、「自分を偽って幸せなふりをしているだけではないか」、「競争に背を向けた負け組の負け惜しみではないか」、あるいは、「現状に満足したら成長が止まるのではないか」などなど。

しかし、実際には幸せで満たされた気持ちでいると、やがて現実が変わっていきます。潜在意識は、心の中にあるものを実現するからです。

世に言う「引き寄せの法則」ですが、これは働いたり働かなかったりするものではなく、常に働いています。

幸せに意識の焦点を当て続けていると、それにふさわしい現実がいやでもやってくるのです。

わたしたちはそんな大きな力を持っています。

思うような現実が目の前になかったからと言って、自分を責めたり嘆いたり、現実を変えようと躍起になったりする必要はありません。

ただそうなっていることを認めて、思いの方を変えればよいのです。自分が望む方向へと。

しかし、どうでしょう。

この方法の優れたところは、最低でも幸せになれるところです。

そして、うまくいけば、現実も変わる。

さらにうまくいけば、悟りまでいけるのです。

やっぱりうまい話ですね(笑)

7.まとめ

幸せを人生の目的と位置付ける考え方もありますが、そんな先まで待つ必要はないと思うのです。

「ちょっとした」考え方で、すぐに幸せになれるのだから。

しかも、やることは「ちょっとした」ことですが、その波及効果は非常に大きなものです。

ものの見方を広げてふらっとにすることは仏教でいう「中道」です。

やがて実感する、「自分の思いが現実を創っている」ということは、この世界の「創造の秘密」です。

悟りへの最初の一歩としてまず幸せを目指す生き方を、ぜひ目指してみませんか。

この記事を書いた人

祇場 駿矢(しば しゅんや)
座右の銘は「自分にとっての自分の価値は自分が決める」
自分だけの軸を己の中心に据え、自分を信じて生きることのすがすがしさを伝えています。
普段から物静かですが、悟りや自己成長のこととなると少しおしゃべりになります^^
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