悟りの窓

魂とつながる日本固有の自己成長の道

悟りは人生のゴールではなく人生という道そのもの

約8分
悟りは人生のゴールではなく人生という道そのもの

ふと、多くの人が、意識的、ないし、無意識的を問わず、「悟り=人生のゴール」という捉え方をしているのではないかと気になりました。

最近、自分自身がそうだったかもと気がついたからです。顕在意識ではそう思ってはいないものの、普段の思考パターンや行動から、結果的にそうなってしまっていたことが推測されたからです。

よくよく考えてみると、悟り=人生のゴールという見方は、悟りに対する最大の誤解ではないかという結論に達しました。

もし、それを肯定的に伝えているとしたら、罪ですらあると思います。以下で述べるように大きなの弊害があるからです。

悟りは人生のゴールではなく人生という道そのものということについて、まとめてみました。

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1.悟り=人生のゴールという誤解が生じる理由

(1)宗教によるイメージづけ

まず何と言っても、悟りというと宗教との関連が頭に浮かぶ人は多いでしょう。「最終解脱」などという言葉に象徴されるように、この上ないすばらしい境地であるといった説明がなされます。

つまり、多くの宗教が悟りを人間としての最高の境地と位置付けていて、最高、すなわち、それより上がないということならば、そこが人生のゴールであろうという理屈になるわけです。

また、宗教においては、そお教祖が悟りの境地に達したことをもって、信者が救われることの根拠づけ、権威づけとしていることも多いように感じます。

ちなみに、この記事で述べていこうとしている悟りは、特定の宗教とはなんの関係もありませんので、ご了承ください。

(2)素晴らしい先人への畏怖

悟っている人、悟りを開いた人として多くの人が思い浮かべるのは、ブッダやイエス・キリストなどがポピュラーなところではないでしょうか。

ともに世界の大宗教の開祖ですが、その信者でなくても当てはまりそうです。

他にも、歴史上の高僧や聖人と呼ばれる人物で悟っていたと言われる人もいます。

いずれにしても、現代に生きる私たちにとって、過去に存在した及びもつかない素晴らしい先人という見方は共通するように思います。

それらの人が達していた境地=悟りは、自分たちには到底たどり着かない境地、自分には直接関係のない遥かな高み。

だけど、可能性としては想定しうるゴールといった認識になりやすいように思います。

(3)ユートピア幻想

三番目は一種のユートピア幻想です。悟りに至った人は、すべての問題が解決し、悩みが解消するというものです。いつの世も人は悩みを持ち、生きづらさを抱えて生きています。

そんな人生が死ぬまで続くなんてやはりつらいことです。どこかに救いがあって欲しいと思うのが人情だと思います。

そういう意味で悟りは人生における希望であり、気持ちの上での救いなのかもしれません。

身近なものではなく容易ではないけれど、道は残されているといった感じでしょうか。人の心はそう強くないので、気持ちはわかりますね。

2.悟り=人生のゴールと考えることの不都合

悟りを人生のゴールと考えてしまうには、やはりそれなりの理由があります。しかし、それでも悟りを人生のゴールと考えることには、非常に不都合な点があります。

(1)幻想であり決してたどり着けないもの

まず、悟りを人生のゴールと考えることが不都合だと考える前提として、そのゴールが幻であり、幻である以上、決してたどり着けないものである、ということがあります。

悟りが幻と言っているわけではありません。人生に悟りは存在するけれど、ゴールではないと主張したいのです。

別の言葉で言い換えれば、将来のある時点において、悟りという完璧な状態になるというのは幻想だということです。

(2)永遠に完璧じゃない、苦しい人生

その結果、完璧な状態、悟りを目指して人生を生きていく場合、今の自分は常に完璧じゃない自分になります。

そして、ゴールは幻ですから、一生を通じて完璧になることはありえません。

今が苦しいから苦しくなくなるために完璧を目指すわけですが、完璧になって楽になることは決してなく、完璧を目指している不完全な存在として一生を終えることが確定しているということです。

このパラダイムって、あまり幸せそうには思えなくないでしょうか。

(3)「今ここ」にいなくなる

そして、意識は常に未来へと飛んでいきがちとなります。

今が不完全で苦しいとしたら、未来の完璧で悩みのない状態を求めてやまないわけです。

これは意識が「今ここ」にない状態です。「今ここ」でなく、未来にあるのです。

その状態は、自分の思考に入っている状態で、本当に生きているとは言えません。

思考は、魂や大我など本来の自分ではなく、小我でありエゴなので、常に失敗しないように緊張しています。

たとえば、「ゴールにたどり着けるだろうか」、「まだ着かないかなぁ、遠いなぁ」、「悪いことが起きないだろうか」、などなど、心の雑音は限りがありません。

そんなエネルギー漏れを起こしたような状態では充実した人生は望めないことでしょう。

しかも、永遠にゴールにはたどり着かないので、この状態が一生続くことになるのです。

3.悟りが人生のゴールではなく道という理由

(1)人は果てしなく成長する存在

悟りが人生のゴールではありえない理由、それは人間とは果てしなく無限に成長する存在であるためです。

人間の意識はいったいどこまで成長できるのでしょうか?

ブッダでしょうか?イエス・キリストでしょうか?

いえいえ、そんなものではないと思います。(お二人をけなしているのではないですよ)

人の意識は、可能性としては宇宙意識まで到達可能であると思うからです。

そのごくごく一部を反映しているのが通常の人の意識状態とすれば、覚醒や悟りが進むことで宇宙意識の全体性を獲得することになるようなイメージです。

宇宙は無限であるといいます。そして、宇宙を創造した創造主は全知全能です。

つまり、空間的にも時間的にも能力的にも「無限」なのです。

人の意識が限りなく成長し高まっていったとしても、宇宙意識が無限である以上、決してゴールというものにたどり着くことはありません。

人生はよく道に例えられますが、悟りもまた、それぞれの段階の状態は存在するにせよ、それらは通過点に過ぎず、人生を生きる上での一本の道ということになるのです。

(2)いつだって人は完璧な存在

悟りを人生のゴールとした途端、人生すべてが不完全になるとお伝えしました。

実際はどうかと言えば、人は常に完璧な存在です。

一つ目の理由は、全知全能の宇宙意識が作り出した存在だからです。

完璧な宇宙の一部をなす存在だからこそ、人は完璧じゃないことはありえない、これが本質的な視点からみた基本です。

そうは言っても、人は間違えるし、過ちを犯します。それでも人は完璧なのでしょうか。

はい、そうです。

たしかに、人は欠点だらけかもしれませんし、やることなすこと完璧には程遠いでしょう。

でも、悟りを目指して成長していくという点においてはいつも完璧なのです。

ここで、悟りとはゴールではなく、道であり、方向を指し示すものです。

例として考えて欲しいことがあります。

花はどの段階で完璧か?という問いかけです。

植えられるのを待つ種の時でしょうか、土の中で芽が膨らんだ時でしょうか、地表に芽が顔を出し初めて太陽の光を浴びた時でしょうか、つぼみが膨らんだ時でしょうか、満開に咲き誇った時でしょうか、ひっそりと朽ちていく時でしょうか?

種の時ーその中にすべての源が詰まっている

土中で芽が膨らむ時ー創造というなの奇跡が起こる最初の兆し

地表に芽が出た時ー太陽という生命の源にたどり着くため、内なる声に導かれながら、全エネルギーを注いできた

つぼみが膨らんだ時ーそれぞれの花の個性が見え始める時、種類が同じでもそれぞれに特徴があり、葉の形や花の数など、すべてはその花だけの個性。

満開の時ーこのときが、花にとってのクライマックス。この瞬間に到達するために、あらゆるエネルギーを注いできた

最後の時ー花が生まれた土に還り、そして、あらたな循環の始まり

(参考文献「今ここに集中すれば、人生はうまくいく!」トーマス・M・スターナー著)

もうお分かりのとおり、花はどの段階でも完璧なのです。

そうであるなら、人もまた同じではないでしょうか。

人は生まれながらに成長する欲求を持っているといいます。

それは自然が人に与えたもので、簡単に言えば、人として高まりたいという欲求です。

人格を高めるということでもあり、魂を磨くという言い方もできるでしょう。

その究極にあるのが、すべてを創造した宇宙意識であり、それを目指すのが悟りの道です。

限りなく不完全である人間は、悟りの道を歩くことを通してのみ完璧であることが可能なのです。

4.まとめ

以上から、人生は、悟りに限らずゴールに到達することが目的ではありません。

歩くことことにこそ、人生の意味があるとも言えそうです。

ただし、どこを目指して歩いていくかは重要です。

花が花であるように、人は己を磨いてこそ価値があると言えるからです。

だからこそ、悟りを目指して道を歩き続けようではありませんか。

以上

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この記事を書いた人

祇場 駿矢(しば しゅんや)
幼い頃から「人は何のために生きるのか」「人はどこからきてどこへ行くのか」「ここは自分がいる場所ではない」などと考える子供だった。

ところが、昭和の成功の常識に染まり、京大法学部からメガバンクに。バブル崩壊からITバブル、リーマンショックなど日本経済の栄枯盛衰を経験。

忙しい毎日を送りつつも、目に見えるモノ(物質、金銭、地位、肩書き)では、決して心が満たされることはないことに気づく。

世間的なうたかたの価値に見切りをつけ、人間が生きることの本質的価値を探究して2014年に銀行を退職、起業する。

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