悟りの窓

魂とつながる日本固有の自己成長の道

「令和のサトリ」三つの原則・指針

約9分
「令和のサトリ」三つの原則・指針

「令和のサトリ」を目指す上で、私が感じた三つの原則、指針について説明します。

「令和のサトリ」とは、端的に言うと、人間としての本望である魂の成長、そして、一個人として幸せを願う思いを両立させるものです。

ということは、厳しい修行だったり出家することが必須だったりすれば、当然その両立は不可能になるわけです。

ですから、令和のサトリと、それを目指す指針となる三つの原則には、当然ながら密接な関係があります。

以下で、順に説明します。

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1.自然さ

令和のサトリ、第一の原則は、「自然さ」です。

「自然さ」とはひとりでにそうなること

自然さとは、書いて字の如く、自ずから然る、つまり、「ひとりでにそうなる」ということです。

例えていうと、木が何百年でも何千年でも生きているかぎり生長し続ける、そんなイメージです。

同じように、人間の魂も、どこまでも本来の自分である神を目指して無限に成長し続けるのです。

多くの人が陥りやすく、私自身も陥っていた勘違いとして、この魂の成長を自分を高めるイメージで捉えることがあります。

自己成長=自分を高めること であると。

しかし、この捉え方には、重大な欠陥があります。

それは、今の自分を高めていくと考えるとき、無意識的に現在の自分を価値が低いと位置付けてしまうのです。

そうすると、価値が低い自分を高めるためには厳しい修行の必要という考え方に展開します。

そして、修行には抑圧を伴いますが、抑圧は感じる力を麻痺させます。

感じる力は実は生命力そのものですので、本来の力を発揮することができません。

本領発揮できない条件で、無理やり押さえつけて頑張るやり方なので、うまくいく人がとても少ないのです。

実際には、どうかというと人は本来神の御霊をいただいているのですから、今いる場所からどこにも行く必要はありません。

問題が生じているとすれば、魂を覆っているこの世でついた穢(けが)れのせいです。

電球にホコリが積もると暗くなりますが、電球自体の明るさが減るわけではありませんし、ホコリを払えば元どおり輝くのと同じです。

穢れを祓うことにより、魂は今の場所を一ミリも動くことなく元の輝きを取り戻すのです。

自分を否定する必要も、どこに行く必要もないというイメージを持っておくことは、修行の迷路のハマらないためにとても重要です。

肉食について

自然にサトリが進む一例として、肉食について考えてみましょう。

環境その他の問題は抜きにして、サトリとの関係から言えば、霊性を高めるには相応しくない食べ物です。

だから、肉食はダメだと言って、急に禁止したらどうでしょう。

もともとそれほど好きではない人ならいいかもしれませんが、肉が好きな人がそんなことをしたらたいへんです。

食べたい、でも食べたらダメというものすごい葛藤が生まれ、激しいストレスになるでしょう。

食べたい気持ちを無理やり押さえつけるので、感性や感情を麻痺させるしかありません。

感じる力は次項で述べるとおり、サトリを目指すための重要な指針なので、これでは逆効果となります。

自然な形ではどうでしょうか。

肉食が霊性に好ましくないことは、それを知って心に留めておく程度でいいのです。

時期がきたら、食べ過ぎると心地よくないかも、そんなに食べなくてもいいかも、食べないと心地がいいかも、積極的に減らそう、から、もう食べなくていいやに至る。

そんなプロセスを辿ることが多いのように思います。

自分の心身の状態をよりよくすることで感性が高まり、自然に肉食から離れるといったことが起きます。

修行などで無理に抑圧しなくても、心地よさを拠りどころに心身の状態を整えていくことが大切なのです。

海・山・川などいわゆる自然との関係

なお、自然さを養ううえで、山・川・海などのいわゆる自然と接することももちろん大切です。

古来より日本人は自然すべてに宿る神の存在を感じつつ、自分の内にある自然にも意識を向け、本質とつながることを大切にしてきました。

残念ながら、身の回りから手付かずの自然が失われましたが、本物の自然と接することが感性を育てる上で大切であることは変わりません。

「人は地に法(のっと)り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る」 老子

2.感じる力(感受性)

第二の原則は、感じる力です。

感受性が持つ力

もちろん、自ずから然る、ひとりでにそうなるとはいうものの、なにもしないということではありません。

現代社会では、自ずからサトリに向かう動きを邪魔するものが多すぎます。

完全に考えることを手放して魂が喜ぶことをやり続けられれば、なんとかなるかもしれません。

あ、でも、ちょっと待ってください。

魂が喜ぶことって、どうしてわかるんでしょう。

それに必要なのが、「感じる力」なんです。

感じる力、感性が高まれば、魂が望んでいるかそうでないか、本当の自分と偽りの自分(外からの影響なのに自分のものと誤解しているもの)の区別もつくようになります。

感じる力は生命力

また、感じる力は、上古代(縄文前期)の文明と言われるカタカムナによると、生命力そのものです。

カタカムナは、見えない世界も包含した物理として、感じることによって生命力が生まれる現象を説明しています。

昔の人は、物事は丁寧にしなさいとか、身を入れてしなさいと言ったものです。

私も小さい頃、祖母からそんなことを言われた記憶があります。

昔の職人は、感覚が鈍るのを避けるため、箸より重いものを持つなと言われたそうです。

実は、まさに身を入れて感覚を働かせることに、見えない世界の力を利用するための鍵があったのです。

このエネルギーはさまざまに形を変えます。

登山で疲れ知らずで動き続けるのにも利用できますし、合気道で筋力を使わずに人を倒したりもできます。

また、一流の職人が使えば作品に命が宿ります。

このような感受性の力を日本人は自在に使いこなしてきたのです。

霊的能力との関係

サトリということで、霊的能力にも触れておきたいと思います。

霊的能力というと特別なものに思うかもしれませんが、実はそうではありません。

実際は、感性つまり五感がさらに微細レベルまで感知できるようになったものであり、通常の感覚の延長上にあるのです。

霊的能力を身につけるために、特殊な修行をしようとするのは微妙です。

特別の価値を見出したり、能力がある自分を特別な存在と感じたいという思いはエゴそのものだからです。

力のある霊能者でも、人格的にはお粗末なケースがあるのはこのためです。

霊的能力も、言ってみれば、目がいいとか、味覚が繊細とかいう類であり、人格とは切り離して考えるべきです。

ですから、感覚や感性を磨いていった末に、普通の人が感じない情報にもアクセスできるようになって霊的能力が発現するというのが、より望ましい形であるように思います。

3.手放すこと

第三の原則は、手放すことです。

自然な自分、ありのままの自分になるためには、自分以外のものを手放す必要があります。

感じる力を高めるために必要

感じる力を高めるためにも、やはり余計なものを手放すことが重要です。

例えると、要らないもので散らかった部屋では、いくら美しい絵を飾っても、感性が閉じるので美しさを感じられないようなものです。

必要以上の脂肪がついた体では、身体の感覚が鈍って思い通りに動かすことはできないでしょう。

心でいう不要なものとは、役に立たない固定観念、抑圧してため込んだ感情、潜在意識にある心の傷(トラウマ、インナーチャイルド)などです。

「自分は愛されない」とか「そのままではダメだ」といった心の傷(トラウマ)が刺激されて痛みを感じないように、固定観念や感情の滞りが感受性を麻痺させて自分を守っているのです。

いずれも魂からみれば、生まれてからくっついた自分以外のものであり、自分の意識が魂とつながるのに邪魔になります。

生きていくなかで溜まる澱のようなものであり、心の本質ではないものです。

けれど、その邪魔物を感覚の鈍った心は自分であると認識します。

それどころか、自分さえよければというエゴと結託して、あたかも自分が主人であるようように振る舞います。

魂の成長より目先のお金が大切、本当に大切なことより日々の細々した雑事が大事。

このような思いは、本質の自分以外の偽りの自分が自分を乗っ取っているというサインです。

手放すことの本質的な意味とは

心のついた余計なものは、神道的な見方からは穢れという見方ができるでしょう。

古来神道では、穢れを払う禊(みそぎ)をとても大切にしてきました。

古事記には、黄泉の国で穢れを受けたイザナギノミコトが禊を行い、アマテラスやスサノオをはじめ多くの貴い神を産みだす話が出てきます。

古事記以前の古書という説があるホツマツタヱは、この時の禊によってイザナギが日本建国の目的について感得したことを「サトリ」と捉えています。

神を産むこともサトリを得ることも、いうまでもなくたいへんな偉業です。

そこで禊が果たす役割を考えたとき、古代の日本において禊がいかに重要視されていたかがうかがわれますね。

そう考えてくると、手放すことがサトリを目指す上で大切なのは、当然のことなのです。

手放すにはどうするのか

手放すとは、不純物を取り除き、心を澄み切らせるプロセスです。

澄みとは「素身」、素の自分を意味します。

この世で起きるすべてのことは、自分を澄みきらせるために起きてきます。

たとえば、誰かが発した「あなたには何の価値もない」という意味の一言を許せないと思い、怒りが湧いたとします。

それはあなたの心に不純物が残っているというサインです。

たとえば、「人は価値がないと存在していてはいけない」という考え方かもしれません。

または、「自分には価値がないかも」という恐れかもしれません。

もし「価値があろうがなかろうが存在してもいい」ないし「存在しているものにはすべてに価値や意味ががある」という考え方だったらどうしょう。

あなたが、自分の価値を自分でみじんも疑っていなかったらどうでしょう。

たとえ同じ言葉を投げかけられても、怒りは少ないでしょう。

「へー、そう思っているんだ」とそのまま受け止めるか「何を言ってるんだろう、この人は」と不思議に思うのではないでしょうか。

何が正解ということではなく、より枠に縛られず、自分らしく心地よくいられるかです。

そのために、不要な考えは手放し、自分に相応しいものを主体的に選択するということです。

そうやって、手放して自分に還ることで、感じる力が高まり、サトリに近づけるというわけです。

4.まとめ

人として生まれてきた以上、魂の成長を遂げられなければその甲斐がないかも、とは思う。

でも、厳しい修行なんかいやだし、日々の忙しくしている身としてはそんな余裕もない。

むしろ、目の前の悩みを解決して幸せにもなりたい。

一見すると、わがままにも思えますが、そんなことはありません。

「思いあるところに道は開ける」というとおり、正直な思いこそが人生で新たな道を開くのであり、それが「令和のサトリ」という生き方です。

自然さ、感じる力、手放すことは、相互に関連しており、無理なく私たちをサトリ、つなわり、神の分御霊である自分に近づけてくれます。

具体的にどうするかは人それぞれですが、このサイトではさまざまな方法を紹介していくので、ぜひ参考にしていただけたらと思います。

以上

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この記事を書いた人

祇場 駿矢(しば しゅんや)
幼い頃から「人は何のために生きるのか」「人はどこからきてどこへ行くのか」「ここは自分がいる場所ではない」などと考える子供だった。

ところが、昭和の成功の常識に染まり、京大法学部からメガバンクに。バブル崩壊からITバブル、リーマンショックなど日本経済の栄枯盛衰を経験。

忙しい毎日を送りつつも、目に見えるモノ(物質、金銭、地位、肩書き)では、決して心が満たされることはないことに気づく。

世間的なうたかたの価値に見切りをつけ、人間が生きることの本質的価値を探究して2014年に銀行を退職、起業する。

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