「悩みのない人はいない」などと言われます。いつの世も人にとって、悩みは当たり前にいつもあるものかもしれません。
とはいえ、こんなことってないでしょうか。
「気づいたら同じパターンにはまっている」ことって。
本を読んだり、人に相談したり、セミナーに行ったり、いろんな解決法を探して、苦労して最悪の状態を脱して、悩みが消えたとします。
なかには偶然悩みの相手がいなくなったりして、勝手に解決したなんていうラッキーなケースもあるかもしれません。
それでも同じような悩みが訪れなければ、それはそれでいいでしょう。
でも、残念ながら何年かすると同じような悩みで悩んでいる自分を発見するのがよくあるパターン。
いつか来た道というやつです。
自分の経験でも、こういう時ってほんとうにがっかりします。
「自分って、全然成長してない?」
いいえ、安心してください。そんなことはありません。
繰り返すのは進歩がないからじゃなく、それ相応の理由があるんです。
なぜ悩みは繰り返すのか?その原因と解決法について、まとめました。
1.繰り返している悩みのパターンに気づく
繰り返す悩みを解決する第一歩は、繰り返している悩みや問題と感じていることのパターンに気づくことです。
自分で気づいている場合はいいんですが、気づかないことも多いです。それは見たくないものがあるからです。
まったく脈絡なく起こっていた問題が、同じパターンで起きているとわかったら。
共通する要素である自分になんらかの要因がある可能性が高まります。
原因解明の一歩であり、解決に近づくことは間違いないのですが、人は自分のいやな点やひどいと感じることは認めたがりません。
なので、蓋をして、ないことにしてしまいがちなのです。
悩みが尽きないという場合、自分の場合どんな悩みや問題のパターンを繰り返しているのかという視点からみることが大切です。
(1)分野によって得意不得意がある
自分の悩みのパターンを探そうとする場合、一つヒントになる切り口があります。
それは、お金、ビジネス、パートナーシップ、健康など、人生のさまざまな分野において、得意不得意があるということです。
ある人はビジネスやお金の扱いには非常に長けている反面、家庭や結婚生活での人間関係においては、からっきしということがあります。
やりての社長で多くのビジネスをオペレーションして稼いでいるけど、家庭はボロボロという話よく聞きます。
一方で、ある人は幸福な家庭を築いているけれど、ビジネスのセンスがなく、いつもお金に苦労しているといったことが起きてきます。
自分は何が得意で何が不得意なのか。意識してみることで繰り返し問題が現れやすい領域が絞り込みやすくなります。
(2)意識のブラインド
同じようなパターンの悩みが繰り返していることに、なぜ気づかないかというと、まったく違うシチュエーションで配役を変えて起きることも多いからです。
たとえば、「理不尽な目に合う」という類似の問題があったとします。
歩道を歩いていたら見知らぬオッサンが自転車で向かってきて「邪魔だ」と怒鳴られたとか、上司から同僚のとばっちりで小言をもらったとか、家庭で子供が勉強しないため配偶者が不機嫌で食事が手抜きになったとか。
一見なんの関係もないような場面で、違った人を相手として、それらが起きているように見えてしまいます。特に通りすがりの出来事だったりすると、自分に原因があるなんてとても思えないかもしれません。
いわば意識のブラインド、盲点になっているため、一つ一つの問題がバラバラに起きて自分の方に押し寄せてくるように感じてしまいます。
これだと圧倒される感があって収拾がつきにくいので、自分にとってのテーマでまとめ、整理しましょうということです。
自分に落ち度があるとか、自分が悪いとか、そういう話ではありません。繰り返し問題が起きているという、自分にとっての悩みを解決するのが目的であるということをもう一度思い起こしてください。
2.悩みが起きる理由
(1)現象の起きる原因
悩みの対象となる現象の起きる原因はなんでしょうか。
直接的原因と考えられるものとして、自分の言動があるでしょう。人間関係などだとわかりやすいですよね。
たとえば、誰からも好かれる人がいます。いつも笑顔、謙虚で自慢しない、人のよい面に目が行き、人の悪口を言わない、それでいて自分の軸がしっかりしていてブレない、それらが自然に身についていて嫌味がない。
こんな人がいたら、多くの人に好かれるのも当然ですね。
そして、言動を支えているのが、心のうちにある考え方でしょう。この考え方、別の言葉でいえば価値観によって、言動が決まってきます。
先ほどの好かれる人で言えば、「自分も他人も人にはそれぞれ価値があって尊重されるべき」という考え方を持っているかもしれません。間違っても、「自分さえよければいい」というものではないでしょう。
この辺までは誰しも納得がいくところでしょう。
ところが、ちょっと待ってと思う人がいるかもしれません。
職場や家庭で自分の言動が人間関係に大きな影響を与えるのは納得がいく。けれど、先ほどの自転車のオッサンの例みたいのはどうなるの?と。
たしかに自分の言動とは関係がないですよね。細かいことを言えば、歩き方とか姿勢とか、醸し出している雰囲気みたいなものがあるかもしれませんが、ここではいったん置いておきましょう。
いえ、本来はそれも含めてなのでしょうが、いわゆる「引き寄せ」みたいなものが働いたと考えてみてはどうでしょう。
自分の言動ではなく、考え方、なかでも潜在意識における考え方によってそれが起きたと考えてみます。
これは現段階では仮定ですが、悩みを解消するために有効かもしれません。もし自分が引き寄せていると仮定したらそれはなぜか、検証していきましょう。
(2)現象が悩みになる理由
一方で、現象が悩みになるには、当人の受け止め方が大きく関係します。
これはつまり、同じ出来事でも、どう受け取るかは人によって全然違うということです。
たとえば、面と向かって本気で「太ってますね」と言われると多くの人は気を悪くすると思います。
しかし、すべての人がそうとも限りません。
気を悪くするには、「太っている」=醜いといったネガティブな評価があること、自分が太っているかもしれないという思い(潜在的なものも含む)の条件が揃っていることが必要です。
仮に後者が欠けている場合、たとえば、この人(相手)はどうしてそんなことを言うのだろうと、純粋に疑問が湧いて不可思議に思うという反応になります。
つまり、出来事+受け手の価値判断が悩みを生み出しているということです。
3.背景に働いているもの
それではなぜ自分が評価判断の結果、問題と認識し、それが悩みとなるような出来事が起きるのでしょうか。
その背景に働いているものはなんでしょうか。悩みが起きる意味と捉えることもできるでしょう。
先ほど述べたように直接的な原因は自分の言動ですが、引き寄せという現象まで網羅できるようにもう少し抽象度を上げると、自分が出しているものが返ってくるということです。
「与えたものが受け取るもの」という言い方もできるでしょう。作用反作用の法則と言ってもいいかもしれません。
笑顔を向ければ笑顔が、怒りを向ければ怒りが返ってくるということです。
目に見えないものも同様です。ネガティブな気持ちでいるとそういう気持ちになる出来事が、ポジティブな気持ちならそういう気持ちになる出来事がまた起きるということです。
ここで問題にしたいのは、なぜそうなっているのかということです。
(1)善悪二元論は役に立たない
子どものころはよくバチが当たると言われました。悪いことをすれば悪いことが返ってくるというわけです。
反対に善いことをすれば善いことが起きるということで、悪を戒め善を勧める教えであったのでしょう。
一つの考え方かもしれませんが、この考え方ってすごく窮屈だなと思います。
だって、悪いことを避けるには、悪いことをしてはいけない、むしろ、善いことをしなければならないから、行動や考え方が縛られます。
その時の気持ちなどには関係なく、とにかくするべきことをするのが大切になるので、自分の気持ちに蓋をすることにつながります。
心ならずも悪いと言われることをしてしまったとき、バチが当たるんじゃないかとビクビクすることになります。
どうでしょう。これってあまり幸せそうじゃないですよね。むしろ、新たな悩みを作りそうです。
善悪という二元論は、善悪というものさしで世界を分割してしまい、分離の感覚を助長して、それにしたがう人間を狭い枠の中に閉じ込めてしまうものです。
(2)学ぶべきことがある
なぜ悩みになるようなことが起きるのか、見えない領域も含めて、自分が出しているものが返ってきているのはたしかだとして、それは自分の成長を促してくれるものとして起きていると、私は考えています。
学びや成長のためと言ってもいいでしょう。
もちろん、どのような捉え方をしてもいいのですが、その方が世界は優しいところだと思えるし、その中でリラックスしてより自由になっていけるように思うからです。
たとえば、自分には価値がないという思いを抱いていた場合、それにふさわしいことが起きます。付き合う相手、付き合う相手が暴力を振ったりギャンブルにはまったり、自分勝手な男性で離婚を繰り返すような女性がいます。
女性の中に明らかにそういう相手を引きつける要素があるからですが、私はこう捉えています。
あなたが自分に対して抱いている考え、「自分には愛される価値がない」とか「自分は幸せになってはいけない」に対しては、「こんな相手がふさわしいんだけど、それでいいですか?」と確認してくれているのです。
そうやって、「そんなのイヤ!」と本気で思い、自分の価値を認めたり、自分を幸せにする許可を出すことを促しているのだと思うのです。
もう少し例を挙げておきましょう。
先ほどの「理不尽なことをされる」という現象の背景には、自分も同じ面を持っている可能性があるということです。相手からみて理不尽と感じることを自分もまたしているのではないか、盲点となっているところはないか、十分みてみる必要があります。
もしくは、「自分は理不尽なことをされても仕方ない(価値がない)人間である」といった考えを持っている可能性もあります。
この場合は、潜在的にそう思っている可能性が高いでしょう。
いずれにしても、自分でそれに気づいて修正するできるように、繰り返して起きているのかもしれないのです。
4.この考え方のメリット
学ぶべきことがありそれを学ぶために悩みのものとなる出来事が起きていると考えた場合、様々なメリットがあります。
(1)理由のあることしか起きない
自分が学ぶべきことしか起きないので、起きることには必ず理由があることになります。
すると、理由のない不本意な出来事、つまり、理不尽なことがなくなるので、安心していられます。
また、仮に突発的な事故や病気に見舞われたとしても、突然の不幸に見舞われた被害者ではなくなります。
被害者という立場を取ってしまうと、自分で自分を無力な存在と規定してしまい、ますますそのような出来事が起きてしまいます。「本当にその(被害者)ままでいいの?」という打診ですね。
「どうして自分が」という被害者ではないので、早く立ち直って現実的な対処もやりやすくなります。
(2)常に成長していく存在
また、繰り返し同じ悩みが起きたとして、それは自分が全く進歩していないことを意味しません。
繰り返し問題が起きるような比較的大きなテーマの場合、一回では学びきれないことは十分あり得ます。
自分に愛される価値があることを認めるのは、とても大きなテーマであり、一回で完全に認められるかというとそうではなく、徐々に潜在意識に浸透していくことが多いです。
このような場合、同じような問題を繰り返しながら、少しずつ微細なレベルで気がついて自分の考え方を修正し成長するというプロセスをとります。
最後に、まるで卒業試験のように、本当にあなたは自分を愛して生きていきますかという感じで、お試し的な問いかけがやってきて(本当に確信していたらお試しがない場合もあります)、それでクリアできたら、そのテーマの問題は二度と起きなくなります。
このように考えると、同じ悩みがやってきたとしても気にする必要はなく、その時に目の前にある学ぶべきことを学べばよいだけとなります。
むしろ、人の心はいつもスパイラルに(らせん状)に成長していくものなのです。
5.まとめ
このように考えると、本来悩みは忌むべきものではないことがわかります。
かといって、わざわざ悩みのタネを求めるようなことをする必要もないのですが、起きてきた悩みにはしっかり向き合うことで自分が成長していくことができます。
尽きることのない悩みを撲滅しようとできっこないことをやろうとしてさらなる悩みにどっぷり浸かるより、悩みに対する自分の心の持ち方を変えることで、悩みが悩みではなくなる道が見つかるのかもしれません。
以上