悟りの窓

魂とつながる日本固有の自己成長の道

人生の目的は幸せ?それとも・・

約7分
人生の目的は幸せ?それとも・・

人が生きる意味、古今東西さまざまな考え方があり、今に至るも答えは出ていません。

でも、あえていうなら、そんなことどうでもいい。

というか、考えてばかりいるから答えが出ず、悩みが尽きないのだと私は言いたい。

人生の目的は何か、一つの正解を見つけようとする考え方そのものに無理があります。

人生の価値は、道を知ることではなく、実際に歩く、つまり、生きることにあります。

その考え違いを解き明かし、真に人生の目的を達するための生き方についてまとめました。

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1.人生も旅も目的地が大切

令和は不安と希望が交錯する大きな変化の時代です。

光と影は裏腹といわれるとおりですね。

そこでは、自分がどう生きたいかという主体性が問われます。

そして、どう生きたいかと自分に問いかけるとき、どこに向かうかという目的地をはっきりさせておくことは本当に大切です。

旅と同じで、目的が定まっていないと迷走しがちなうえ、着いたと思ったらぜんぜん行きたかった場所だなんて目も当てられませんから。

(1)幸せが人生の目的

そこであらためて人生の目的について考えてみましょう。

人生の目的とは、何のために生きているか、ということです。

多くの人が、人は幸せになるために生きると言います。

幸せの定義、すなわち、何を幸せと感じるかは人それぞれ。十人十色です。

けれど、どんな人も幸せになりたいという点では一致しているということです。

きっとあなたはこれを読んでいる今この瞬間も、幸せになりたいと思っていることでしょう。

そう思っているあなたは、自分と思っている自分、自意識とかマインドとか呼ばれる存在です。

自意識にとっては幸せになりたい、不幸になりたくないは切実な欲求です。

たしかに一番に来る目的かもしれません。

(2)魂の成長が人生の目的

一方、人間が生きる目的は魂が成長するためという人もいます。

魂とは、本質的な自分です。

人間にとって、本質と呼べる自分は魂の方です。

自分の心の深いところにある自分の本体と言っていいでしょう。

肉体はいつか必ず死を迎えますが、魂は生き続けます。

そして、生まれ変わって成長を続けていくという考え方です。

これに対して、幸せを望んでいる自意識は、肉体がなくなれば消滅します。

なので、魂の目的の方が大事という考え方にも一理ありそうです。

2.どちらが人生の目的か

自我が求める幸せと、魂が求める成長、いったいどちらが人生の目的なんでしょうか?

答えはどちらもです。

どちらが、本質的か永続するものかといった観点はさておき、両方を大事にしないとうまくいかないのです。

まず、魂が自己主張しないのをいいことに、マインドの求める幸せ、それも、我(エゴ)が求める幸せばかりを求める人が多いのが現代です。

そうすると、エゴの欲を満たしても満たしても幸せになれず(もしくは一時的な幸せに終わる)、幸せなはずなのになぜか満たされないということが起きます。

これはわかりやすいと思います。

では、自分だけよければいいとか、際限なく欲を追い求めることではなく、自分も周りも幸せになる、本当の幸せを目指すのはどうでしょうか。

たしかに、我欲まみれの幸せよりは確実なものです。

しかし、この変化の時代、それがずっと続く保証はないし、何より最後は決まっています。

いうまでもなく肉体の死です。

という点で、自意識の求める幸せだけでは、本当の意味で満たされることはないのです。

一方で、魂の目的を重要視する人は、幸せになるという自意識の目的を軽視しがちです。

自意識はこの世に生きるために生み出された分離という仮の姿であり、幻と言われることもあります。

だから、考慮するに値しないと切り捨てられがちなのです。

仏教をはじめ修行して悟りを求める方法は、この論法です。

魂の成長のためには自我などどうなってもいいという論法です。

自我の死こそ悟りの条件という考えまであって、これでは自我は強烈に抵抗します。

そもそも、出家して人生を捧げて取り組むならともかく、俗世間にあって修行的な方法を実践するのは困難です。

幸せになりたいという自然な欲求を抑圧して行う修行は、反動が出たり燃え尽きたりしてなかなかうまくいかないのです。

ですから、結局、魂と自意識が求めている人生の目的は違う、この事実をしっかり意識した上で、両方を矛盾なく満たしていくことが人生をうまくいかせるコツです。

3.自意識と魂の両方を満たす方法

先にみたように、自己実現のような高次欲求を追求しても、死がある以上、完全な幸せは得られません。

肉体は滅んでも魂は不死というところまでいかないと、不安を超えられないのです。

ですから、見えない世界まで視野を広げることが必要になります。

また、修行によって自然の欲求を押さえつけるやり方はうまくいきません。

宗教にすがったり修行して悟るやり方は、マインドの幸せになりたいという願いと真っ向からぶつかるのです。

自然な欲求を煩悩として無理矢理を切り捨てるのは、いわば生身を削ぐようなものですから、実践するのは大変に決まっています。

そうではなく、自分以外の不要なものを手放すことで到達するとしたらどうでしょうか。

それこそが、私がおすすめしたい方法です。

両方を高い次元で満たすやり方が実は一つあります。

現代のように不安と希望が交錯するむずかしい時代に機能する、唯一かつ最高の方法ではないかと思います。

環境に左右されることなく、自分の中に答えを見つけ、自分の中から湧き出す生きる力を生かす方法です。

私はこの希望に続く道を、「令和の悟り」の道と名付けました。

悟りなんて、そんなたいそうな。

自分はただ幸せになりたいだけという方も、ちょっと待ってください。

令和の悟りは、この不安の時代に楽に楽しく、そして自分らしく生きたい人全員に関わりがあるものです。

4.令和の悟りという生き方

わざわざ令和と銘打ったのには、もちろん理由があります。

まず、悟りというと、真っ先に仏教が思い浮かぶと思います。

長く苦しい修行の末にたどり着く、凡人には無縁の崇高な境地、人生のゴールというイメージでしょうか。

けれど、これは霊的向上を他人事にしてしまうという点で、日本人本来の生き方からすると大きな罪です。

悟りを仏教から切り離したかったのです。

つまり、「和の悟り」です。

また、令和の悟りは、上述のとおり不要なものを手放すことがそこに至る道です。

つまり、「零の悟り」です。

令和の時代に打ち立てるべき、零の和の悟り、令和の悟りなのです。

そして、令和の悟りの道は、日本に古来より伝わる生き方の復興でもあります。

古来日本人は意識せずとも、毎日の生活のなかで、魂を成長させ、本来の自分である神へと還る生き方を実践していました。

食事に始まり、姿勢、歩き方、労働や家事の身体の動作、日本語、祭りなどの年中行事、、、

すべてが自然と調和し、神とつながり、自分を省みて自分以外のものを手放す仕組みでした。

このように日本人の心のベースにあった古神道とは、生活に密着しながら、それでいて目指すゴールは仏教の悟りのはるか先まで続いている稀有な道であったのです。

世界中で唯一日本にのみ受け継がれた神さまからの恩寵です。

ところが、今や日本人の日本人たる基盤は風前の灯火です。

民族の神話を知らず、国の成り立ちを知らず、神から受け取り祖先が受け継いできたものを知らない。

今だけ、金だけ、自分だけという言葉に表されるような風潮のもとで、日本人の精神性は地に落ちつつあります。

令和は転落の道から這い上がる最後のチャンスかもしれません。

5.まとめ

わかりやすく言うと、令和の悟りは、ただ幸せになりたいという自然で率直な思いも、人間として成長したいという魂レベルの願いも、どちらも叶えるただ一つの方法です。

令和の悟りを目指す生き方とは、本当の幸せと魂の成長を実現するための方法論です。

令和は、不安と希望が交差する変化の時代、そして、明治以降、特に敗戦後、日本人の精神性のベースが破壊され、後戻りできる最後のタイミングです。

だから、私は、令和の悟りの道を一人でも多くの人が生きることを望んでいます。

詳しくはあらためて説明していきます。

以上

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この記事を書いた人

祇場 駿矢(しば しゅんや)
幼い頃から「人は何のために生きるのか」「人はどこからきてどこへ行くのか」「ここは自分がいる場所ではない」などと考える子供だった。

ところが、昭和の成功の常識に染まり、京大法学部からメガバンクに。バブル崩壊からITバブル、リーマンショックなど日本経済の栄枯盛衰を経験。

忙しい毎日を送りつつも、目に見えるモノ(物質、金銭、地位、肩書き)では、決して心が満たされることはないことに気づく。

世間的なうたかたの価値に見切りをつけ、人間が生きることの本質的価値を探究して2014年に銀行を退職、起業する。

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