悟りの窓

魂とつながる日本固有の自己成長の道

悟りは何よりも簡単に達成できるって本当!?

約8分

悟りについて、深遠なものであり、特別な聖人だけのものであるという考え方が根強い反面、実はとても簡単と説く聖者たちもあります。

たしかに悟りは非常にシンプルなものであり、見方によっては簡単と言えるかもしれません。ですが、誰にでも簡単にできるかというと、そうではありません。

悟りが簡単ということをある聖者の話から見ていきます。そして、実際には全ての人にとって必ずしも簡単ではないこと、その違いはどこからまれるのかについて考えてみました。

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1.悟りが簡単という理由

ラマナ・マハリシ直弟子でパパジ(プンジャジ)は、ある集会で以下のように語っています。

悟りは、この世で達成できるどんなことよりも簡単なことなのです。なぜなら、悟りは今ここにあるからです。どこへ行く必要もないのです。どうしたら悟れるのか、というのが質問でした。どうしたら”私”をなくすことができるのかということですが先程も言ったように、ありとあらゆる願望が積み重なって”私”というものになりました。ですから、本当のあなたと幸福・自由の間にある障害物は唯一”私”だけなのです。”私”というものから遠ざかれば、あなたは自由なのです。(パパジ談)

パパジは、はっきりと「この世で達成できるどんなことよりも簡単」だと述べています。唯一の障害物は、「私」(自分)だけだと。

「私」とは願望のことであると言ってます。別のところで、願望とは、思考であり、マインドであるとも述べています。

そして、悟るためには、思考を観察し、私を観察するのだと言っています。そうすると、思考が消え、マインドが消えると。

思考観察は、悟りに近づくための有力な方法です。わたしたち一人一人の自意識は、宇宙の意識、つまり、普遍意識が様々な視点から自分を知るために空けた窓のようなものです。

普遍意識は、私たちの意識という窓を通して、世界を見ているのです。だから、私たちの思考、マインド(を通してみる世界)を観察することは普遍意識と同じ視点に立つことになります。

それにより、普遍意識との同化が起こり、思考、マインド、私が消えるのだと考えられます。

パパジは、「この”私”を取り除けばあなたは瞬時にして本当の自分自身を見出すことができあなた自身の美しさ、静寂、平安を見出すことが出来るのです」と述べています。

2.実際に俗世間でやっていけるのか?

そうはいっても、仮に私が消え、悟りの状態を体験したとしても、本当にそれでやっていけるのかと疑問が湧くかもしれません。

出家して、瞑想三昧、読経三昧であるならそれもいいでしょう。でも、在家で仕事も家庭もあるとなれば、そうはいかないですよね。

仮に悟りの体験の中で、

「人生では何もする必要はない」

「過去も未来もなく、今しかない」

「すべてはうまくいっている」

ということが実感できたとしても、日常に戻ってきたとき、本当に未来はないのだからと何もせず、今にいようと瞑想三昧、支障が出てもすべてはうまくいっていると、自分に言い聞かせていたら、どうなるでしょうか。

間違いなく大変な人生になることでしょう。

ただ、ここに一つの事実があります。パパジはラマナマハリシと出会ってからも、出家せず商売や鉱山経営の仕事に携わります。55歳で仕事からは解放されますが、結局、最後まで在家の聖者であり続け、世界中から彼を訪ねる人に教えを説き続けたそうです。

パパジは、「無我でもビジネスはできる」と強調していたそうです。

たしかに、お金を目的としてビジネスをすると、無我ではいられません。しかし、ある目的を達するためにビジネスという手段を実践し、結果としてお金を受け取るのであれば、無我のままビジネスは可能です。

ある目的とは、「病気の人を救う(医療)」、「おいしい野菜を供給する(農業)」「すばらしい音楽を演奏する(音楽演奏家)」など人により様々ですが、無我になればなるほど、その人の魂の欲求、つまり、生まれてきた目的に近いことをやるようになるようです。

上記のいずれも、相手にとっては欲しい価値を受け取ることになるので、その対価がお金という形で(お金でない場合もあるでしょうが)支払われます。

それが無我のビジネスです。

このように、悟りの体験から現象の世界に戻ってきたとしても、悟りのなかで得た感覚を

踏まえて、二元性と時間の流れがある現実世界に対応し、よりよく生きることが可能です。

3.スピリチュアルな知恵のワナ

聖者の口から出る「悟りが何よりも簡単であること」は一面では真実です。

先にあげた、

「人生では何もする必要はない」

「過去も未来もなく、今しかない」

「すべてはうまくいっている」

他にも、

「善悪はない。すべては中立」

「すべてに感謝」

「ありのままでいい」

「どんなことがあっても自分を肯定する」

「すべては自分が作り出したストーリであり幻想」

などなど。

たくさんのスピリチュアルな知恵から生まれた言葉があります。

これらの言葉も、同じように真実でもあるし、間違って使えば人生をかえって悪くしてしまいます。向き合うべきものに向き合わなかったり、逃げることの言い訳に使ったり。

なぜこういうことが起きるかというと、私たち人間が二面性を持っているからです。宇宙と一体であり、無限の創造主として自分の世界を作っている一面。広大な宇宙の中の、ごく小さく限りある存在である一人の人間という一面。

どちらも本当です。この相反する二重性が人間存在の面白さでもあるのですが、どちらかに囚われてしまうと困ったことが起きてきます。

たとえば、現実を自分ではどうすることもない強固な壁ととらえて萎縮している人に、現実が幻影であり簡単に変わりうるという視点は有効です。

しかし、怠惰な習慣を持つ人にこれを伝えても、どうせ幻影だからどうでもいいんだと自分を正当化する言い訳に利用されるだけでしょう。

本当の師とは、弟子の状態に応じて必要なことを伝えて導きます。弟子の状態で正反対のことを言うことがあるのはごく自然なことだと言えます。

ですから、パパジのような聖者が多数の人に向けたメッセージについては、こうしたことを踏まえておく必要があるのです。

現代社会では、悟りが特別なもの、一部の人だけのもの、自分には縁がないものと多くの人が考えているので、パパジは「悟りは簡単」というようなメッセージを出したのでしょう。

しかし、「悟りは簡単」という真理の言葉の価値を引き出すには、人それぞれの状態に応じた生かし方と言うものがあるのです。

4.悟れる人とそうでない人の違いとは

実際、「悟りが何よりも簡単」だからといって、誰でも悟ることができるかというと、明らかにそうではありません。

本当にどんなことより簡単なら、すべての人が悟ってもおかしくありませんが、そんなことはないからです。

上で見たように、悟り自体は原理的にも、悟るためにやることも、シンプルで単純明解です。

にもかかわらず、悟れる人とそうではない人がいます。

実際、パパジはわずか6歳にして3日間にわたる真我の直接体験をしたそうです。こうなると、パパジは生まれつき悟るべくして悟ったと考えたくなります。

すべての人が同じ状態で生まれてくるのではないということです。

具体的には、潜在意識の奥深くにあるトラウマと呼ばれる心の傷の状態です。出生の状況や過去生によって、抱えているものが違うのです。

それは、真我との距離が近いかどうか、魂とつながる上でどのぐらい障害物が多いかと言い換えることもできます。

現象面では、思考観察しようとしたとき、客観的なポジションを保ち続け、思考やマインドがすっと消えるのか、すぐに思考に巻き込まれて同一化し、翻弄されてしまうのか、といった違いとして現れます。

悟りをいたずらに祭り上げることは無益なばかりか害がありますが、それでも、障害が多い人は、思考観察を行なったとしてもうまくいかないことが考えられます。

その場合は、瞑想やある種のヒーリングなど心に関する取り組みを並行して行い、それをクリアにしていく必要がやはりあるのです。

誤解しないでほしいのですが、これは決して、人の優劣を表すものではありません。

たとえていえば、富士山の9合目まで登っている人と6合目まで登っている人の違いです。先に出発して上まで登っているからといって、あとから来る人より優れているわけでも、ましてや偉いわけがないですね。

悟るのが簡単であるのはたしかに一面の真実ではありますが、人それぞれの状態によって、必要な対処の内容やそれに要する時間が変わってくるということです。

悟ることが簡単だから、あるいはすでに悟っているのだと、単純に思考しなければいいのだ、左脳の働きを弱めればいいのだと考える向きがありますが、それもちょっと違うように思います。

右脳に関係する感覚を開くとともに、無駄な思考は捨て去るものの思考活動自体は磨かれて、正しい選択をし、行動ができるようでなくてはならないからです。

悟ることが単に動物になるようなものであるはずはありません。

5.まとめ

聖者パパジは、「悟りの唯一の障害は”私”(自分)」であり、願望、思考、マインドを見つめることで、「何よりも簡単に悟れる」と言います。

実際に、パパジがやってみせたように、悟りの状態を体験してそれを生かし、俗世間が仕事をして幸せに溢れる人生を生きることも可能なことは、大いなる希望です。

ただし、他のスピリチュアルな知恵と同様、現実逃避の言い訳にしてしまわないよう注意する必要があります。

自分の状態を見極めて、状況によっては、自分を高める努力を淡々と積み上げることもまた悟りに近づいて生きるためには必要となることを覚えておきたいものです。

以上

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この記事を書いた人

祇場 駿矢(しば しゅんや)
幼い頃から「人は何のために生きるのか」「人はどこからきてどこへ行くのか」「ここは自分がいる場所ではない」などと考える子供だった。

ところが、昭和の成功の常識に染まり、京大法学部からメガバンクに。バブル崩壊からITバブル、リーマンショックなど日本経済の栄枯盛衰を経験。

忙しい毎日を送りつつも、目に見えるモノ(物質、金銭、地位、肩書き)では、決して心が満たされることはないことに気づく。

世間的なうたかたの価値に見切りをつけ、人間が生きることの本質的価値を探究して2014年に銀行を退職、起業する。

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