『なぜ自分が人よりも
強く生まれたのか
わかりますか』
2020年公開の映画「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」のワンシーン。
強敵により大ピンチに陥った炎柱 煉獄杏寿郎の記憶にある、病床の母上が幼い日の杏寿郎に尋ねた一言です。
うっとなり、しばらく考えて、「わかりません!」と答える杏寿郎に、お母上は次のように教え諭します。
弱き人を助けるためです
生まれついて人よりも多くの才に恵まれた者は、
その力を世のため人のために使わねばなりません
天から賜りし力で人を傷つけること私腹を肥やすことは許されません
弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です
責任を持って果たさなければならない使命なのです
決して忘れることなきように
そして、母上は黙って杏寿郎を引き寄せ、強く抱きしめて、静かに涙を流してこう言います。
私はもう長く生きられません
強く優しい子の母になれて幸せでした
あとは頼みます
映画「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」より((c)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable)
とても印象に残るシーンでした。
そして、母上のこの厳しく、そして、愛ある教えが、杏寿郎の思いやりの心を養い、高潔で強靭な精神の核となったのです。
命を懸けて多くの無辜の人々を守り、鬼になって生き延びろという誘いに微塵も揺るがず、誇り高い生き様を貫き通す原動力となった、母の愛であり尊い教えです。
この記事では、この「世のため人のために」という教えについて考えてみました。
1.失われた「世のため人のために」の教え
(1)今も日本人の心に息づいているもの
この「世のため人のために」という考え方、初めて聞くよという人はほとんどいないと思います。
日本に暮らす人々の間で、自分以外の周りのことを思いやるというのは、民族の心に染み渡ったよき伝統という感があります。
災害時の秩序立った行動、自発的に助け合う姿が海外の人々に驚嘆されたり、落とした財布がそのまま戻ってくることが珍しくなかったり、というのはひとつの表れでしょう。
現に、映画を見た人に聞いても、このシーンに違和感を持ったり、おかしなことを言っていると感じた人は誰もいませんでした。
それぐらい、日本人にとってこの言葉は馴染みのある言葉であるでしょう。
ところが、家庭でも、学校でも、子供の教育の場面で「世のため人のために」という教えが正面から語られることは、ほとんどないように感じます。
それも最近の話ではありません。
私は50代半ばですが、やはり親や学校の先生からそのようにはっきりと教えられた記憶はありません。
それはなぜか、考えられる原因はひとつです。
(2)軍国主義教育&敗戦で大きく損なわれた
親や教師が「世のため人のために」と子供に教えられなくなった最大の原因、それは大東亜戦争前の軍国主義教育と敗戦による価値観の崩壊です。
戦前・戦中の一時期において、「世のため人のため」という古くからの教えは、「お国のために」にすり替えられました。
個人は国のためにいかなる犠牲をも払うべき、それが美徳であると教え込んだのです。
国という仕組みのために、人の生命を蔑ろにした点で、明らかに間違った教えでした。
そして、敗戦。日本の大都市は、文字どおり焼け野原となりました。
今度は戦勝国側の情報統制で、戦前の思想はすべて悪であるとして徹底的に否定されました。
望んでいなかった戦争を、自衛のために余儀なくされたという一面は隠されました。
ある程度物のわかった大人なら、戦前の思想の問題点も、戦後の極端な戦前否定も、それなりに理解できたでしょう。
しかし、子供はそうはいきません。
国のために役に立てと教えた学校の教師が、敗戦を境に、全然違うことを言うようになったのです。
その子供たちが親になったとき、果たして自分の子供に「世のため人のために」役に立てと教えられたでしょうか。
私の両親も敗戦の時には小学生でしたが、私に対してただの一言も「世のため人のために」とは言いませんでした。
学校もしかりで、国のために云々と言えば問題になるのは間違いなさそうだし、「世のため人のために」もそれに近いものとして、社会全体で今日においても口に出せない雰囲気が残っているのかもしれません。
2.現代の教育の問題点
「世のため人のために」に代わって、教育の指針となったのは、「才能を生かす、能力を発揮する」という考え方です。
塾や習い事も、幼児教育などの早期教育も、すべてこの考え方に基づいています。
そして、「自分の夢を叶えよう」と続きます。
一見すると、美しく、何の問題もなさそうなこの考え方は、実は重大な問題をはらんでいます。
それのどこがいけないの?と思うかもしれません。
けれど、そのようにみんながそれぞれに自分の夢を追求した結果が、今の殺伐とした社会です。
自立して競争して勝ち残りなさい、負けてもそれは自分のせい、自己責任だから誰も助けてくれなくても仕方がない。
これでは自分さえ良ければという風潮が生まれるのも当然です。
* * *
杏寿郎の母の言葉を思い出してください。
『生まれついて人よりも多くの才に恵まれた者は、その力を世のため人のために使わねばなりません。
天から賜りし力で人を傷つけること私腹を肥やすことは許されません 』
才能は天が与えたものという考え方は、とても真っ当だと思います。
いくら努力をしても、誰もが東大に入れるわけではありません。
誰もがオリンピックで金メダルを取れるわけではありません。
では、その素質や能力、才能は誰からもらったのでしょうか?
「世のため人のために」という人として大切な生き方を教わらないと、多くの人は才能や能力を自分のものと思い込み、得てして私欲のために使ってしまうのです。
ある意味動物としては当然の行動で、人間らしくあるにはやはり教育こそが肝心ということでしょう。(もちろん生まれながらに高潔な人格を持った人は少数ながらいます)
* * *
教育の大切さ、それは私自身、自分の体験から、実感したことです。
自分の半生を振り返ると、成長して損得の計算が働くようになるにつれて、人のために何かしようという気持ちが薄れ、かなり残念な人間になってしまったように思います。
戦後の教育のあり方を憂い、損得勘定が芽生える前から正しい教育、しつけを始めるべきと随筆に書いたのが、明治生まれの数学者岡潔でした。
私の場合も、社会のためにならないばかりか、何よりも自分自身にとって、人生で素晴らしい多くのものを逃す、不幸なことだったと思います。
私は幸いにも、長年かけていろいろ心のことを学ぶうちに、自分本位の考え方ではうまくいかない、人として成長もできないし、決して本当の意味で幸せにはなれないと思い至りました。
でも、もっと早く(無垢な子供のころに)教えてもらいたかった、というのが偽らざるところです。
人のために自ら進んで苦労するように教えられていたら、もともと素直な性質なので、今頃はひとかどの人間になれていたかもしれません。
残念ではありますが、過ぎたことは仕方なく、気づいた時に始めるしかないので、遅ればせながら、今の仕事をし、この文章を書いているのだと思います。
3.実は合理的な「世のため人のために」という考え方
とはいえ、戦後77年経った今も、子供に対して「世のため人のために」という教育がなされない原因は、敗戦のトラウマだけとは思えません。
意外なことに、子の心から幸せを願う親心が加担しているかもしれないのです。
どういうことかというと、今の世の中は、
「正直者が馬鹿を見る」
「お人好しでは生きていけない」
「生き馬の目を抜く厳しい世の中」
などの言葉に表れているとおり、人を踏み付けてでも自分が得しようとする人間が残念ながら少なくありません。
自己責任論の当然の帰結と言えます。
「世のため人のため」は理想だけど、現実は厳しいといったところでしょう。
でも、本当にそうでしょうか?
全ての人が自分の利益のみを優先したら、共同体は崩壊してしまいます。
人は共同体というベースがなければ、人として生きていけません。
衣食住全てを自分の労働だけで整えるとしたら、生きていくだけでも本当に大変です。というか、不可能に近いでしょう。
人間が共同体や社会なくしては生きられない以上、自分が属する共同体をよくしていく活動は、生存戦略として理に適っているのです。
そしてまた、親が子供に「世のため人のために役に立ちなさい」と教えられる社会は幸せな社会です。
なぜなら、共同体がよくなること、よりよい未来を信じていればこそ、自信を持って子供にそう教えることができるからです。
4.「世のため人のために」を蘇らせる一言とは
とはいえ、「そうは言っても・・」というのもわかります。
全体としてはその通りかもしれないが、ただ乗りする人がいることは避けられない以上、「世のため人のため」とか言ってたら個人としては損をしてしまう、、といったところでしょうか。
会社や社会のために働きすぎて体を壊したり、心身のバランスを崩すこともよく聞く話です。
自分さえ我慢すればと、犠牲的になってしまう性質の人はなおさらです。
では一体どうすればいいのかというと、実は簡単で、一言で解決します。
その魔法の一言とは、「自分を生かして」という一語です。
「世のため人のために」の前にこの一語を付け足せば、「自分を生かして世のため人のために」となります。
自分を生かすことという指針を入れることで、自己犠牲や過大な負担で自分を疲弊させることを避けられます。
また、利用しようと近づいてくる人にやすやすと騙されることも、自分を生かすことではありませんので、これも回避可能です。
人が騙される時は、たいてい自分の中にも欲心があるものです。
私心なく公に徹する透き通った心の前では相手の下心は丸見えとなり、かえって騙されなくなるように思います。
ズルをしようという相手を見逃さず真っ当な道に戻してやることは、その「人のため」でもあります。
さらに、自分を生かすということには、才能や能力を発揮することも当然含まれますが、人は自分のためより他人のためにこそより大きな力が発揮できる生き物です。
煉獄杏寿郎は、人々を助けるというよき動機があったこそ、剣技に磨きをかけてあれほどの域にに達したと想像します。
そして、「世のため人のため」という指針で生きる人は、間違いなく周りの人から信頼され愛されます。
ハーバード大学の有名な幸せの研究によると、人が幸福を感じる一番の要因は、「身近な人との良好な人間関係」です。
つまり、「自分を生かして世のため人のために」という生き方は、幸せになる最も確実な方法の一つと考えることができるのではないでしょうか。
5.まとめ
以上、煉獄杏寿郎の母上の教えである「自分の才を生かし、世のため人のために尽くす」ことについて見てきました。
決して、時代遅れ、古き良き時代のものではないということが分かったと思います。
現代にも通用するものであり、幸せに生きる上での鉄則と呼べるものでした。
みなさまとみなさまの大事な人の豊かで実りある人生の一助になれば幸いです。
以上