悟りの窓

魂とつながる日本固有の自己成長の道

悟りを開くの意味ー9つの特徴と8つの方法

約27分
悟りを開くの意味ー9つの特徴と8つの方法

悟りを開くとは、一体何を意味するのでしょうか?悟りを開くことについては、多くの誤解があります。

すごい人たちだけのもので自分には縁がないと思ってみたり、反対に、すべての人はすでに悟っていると言ってみたり。

そこで悟りを開いた人の特徴と、悟りを開く方法について、まとめてみました。

結論からいうと、悟りを開く生き方とは、制限なく自由に自分らしく生き、他人からも自然に好かれてしまう生き方です。

この先を読まれた方が、悟りを目指したくなればいいなと思います。それでは、どうぞ。

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1.悟りを開いた人の特徴

(1)ありのままを受け入れる

まず、前提として、普通の人はありのままを見ていないし聞いてもいない、自分の都合のいいように受け取っていることを理解することが大切です。

私たちは他人の行いや出来事をみて、いいとか悪いとか評価判断しています。ごく当たり前のことですね。

たとえば、いじめはどうでしょう?いいこと?悪いこと?

では、人に親切にすることは?いいこと?それとも、悪いこと?

そんなの決まってるじゃないか、と思うかもしれません。

でも、違います。それこそ、悟りから離れた状況にいる証拠です。

ありのままを見ていないから、そう思えてしまうのです。

「すべてはニュートラル(中立)」という言葉を、聞いたことがあるのではないでしょうか。

それは真実です。

そして、一切の例外はありません。

すべてのよき(と思える)ことには利点、メリット、好都合、長所と同じだけ、欠点、デメリット、不都合、短所があり、

すべてのあしき(と思える)ことにも欠点、デメリット、不都合、短所と同じだけ、利点、メリット、好都合、長所があるのです。

にもかかわらず、悟っていない私たちには悲しいかな反対の面を含めてありのままにみることはなかなかむずかしいのです。

そして、そのことによって苦しみます。

「人には親切に」

その思い込みのせいで、不親切な誰かや行いを非難し、あるときは返す刀で親切にできなかった自分を罰します。

「戦争だけは許せない」

その許せないという怒りこそ、戦争で殺し合うどちらにもある正義の怒りと同じものだと気づいているでしょうか。

悟った人というのは、このような状況を超えている人です。

ありのままに受け容れることができるので、すべてのことにいい悪いはなく、それが原因で苦しむこともありません。

(2)自他を対等に扱える

悟っている人は、自分と他人を同じように扱えます。

ありのままをみられるので、自分に対しても客観的な視点を保つことができます。

そして、いい悪いがないので、損得もないのです。

あるのは、好きなことやこうしたいということですが、そこにも損得は存在しないので、他人の好きなことやしたいことも尊重できます。

自分と他人の好きなことややりたいことを幅広い視点で考えます。ここにもありのままにみることが求められます。

そうして、全体にとってよりよい策を見出し、実行します。

そうすると、つまるところ、自分はあなたで、あなたは自分というところに行き着きます。

誰もみな根本にあるのは愛だから。

その先に、個にして全、全にして個という自他一体の境地があります。

(3)ポジティブな側面に自然と意識が合う

ポジティブもネガティブもどちらもありのまま受け容れて、損得も善悪さえもないというと、悟ってない身からは、なんだかすべてどうでもいい、そんな気さえしてきます。

しかし、それは中途半端な境地であり、本当に悟ったならそうはなりません。

ポジティブもネガティブも、陰も陽も、どちらもあって、そのままでいい。

その上で、自然に人の長所に目がいくし、出来事のポジティブな面に自然に意識が合うのです。

その大本の理由は、魂の性質です。

魂は私たちの本質といっていい心の中核ですが、その性質は言ってみれば純粋な喜びです。

あちらの世界から来たばかりの赤ちゃんの笑顔がそれを物語っています。

感覚的にわかる方も多いかもしれませんね。

悟りを開いた人にとって、できたこと、よかったこと、みんなが喜ぶことに目がいくのはとても自然なことなのです。

(4)すべてに感謝している

悟っている人は、いつでもすべてに感謝しています。

なぜなら、起きてくることはすべて理由があって起きているからです。

その理由とはなにか。

悟りを開く、つまり、心を開いて、ありのままをみて、その根本にあるもの、愛と呼ばれるものに気づくためです。

ポジティブなできごとだから感謝するのではありません。

ネガティブなできごとも同じです。

ポジティブとネガティブの両方があって、だからこそ、気づけることがある、成長できることがある、その仕組みに、背後にいつもある愛に感謝がわくのです。

だから、感謝はまるで息をするように当たり前のことなのです。

(5)執着を手放している

なぜ執着してしまうのでしょうか。

それはすでに手元にあるものを失いたくないから。

ありのままをみている悟りを開いた人にとって、失うことはなんでもありません。

なぜなら、ただ失うだけということはあり得ないからです。

この宇宙では、必ずそれに見合うものがやってきています。

悟っていない私たちには、みえないだけなのです。

一方、まだ手に入れてないものは何としても手に入れたいから、人は執着します。

「そうなる理由のあることは起きるし、そうでないことは起きない。」

手に入るものは、そのようになっているから手に入るのです。

その逆もしかり。

「本当に必要なものは必ず与えられる」と言い換えてもよいでしょう。

人の力でどうこうできるものではありません。

自分がやることはやって、あとはその原理を信頼しているので、執着する理由がわからないのです。

また、執着することは手に入れることが自分にとって得とか良いことと思っているわけですが、悟っている人はそれも幻想と知っています。

だから、悟りを開いた人は、執着しようがないのです。

(6)感情が揺れることが少ない

悟りを開くと、人は感情的にならない、つまり、感情に振り回されないのは言うに及ばず、感情の揺れそのものが少

なくなります。

なぜなら感情が生じるもとになる心の傷が癒されているから。

恐れ、悲しみ、怒りなど負の感情は生まれにくくなります。

一方、ポジティブな感情も同様です。

飛び上がるような大きな喜びもまた、自分の価値が証明されたことで出てくるものであったり、散々執着した末に手に入れたり、心配していたのがうまくいったという反動で起きててきたりするものなので、やっぱりなくなっていきます。

本来、魂のレベルの喜びは穏やかなものです。

悟りを開いた人は、感性の精度が上がっているので、穏やかで微妙な喜びなどポジティブな感情を静かに味わっているのが普段の状態です。

もちろん、悲しいこともありますが、感情は感じれば消えていくので、後を引きません。

このような理由で悟りを開いた人は、感情の揺れが少なく、穏やかなのです。

悟りを開くと感情がなくなって、ロボットみたいでつまらなくなるんじゃないか心配する人がいます。

でも、その心配は杞憂です。

実のところ、悟っている人は、感情に翻弄されてたり、感情を押さえ込んだりして苦しい思いをしている普通の人より、何倍も生き生きとして繊細な感情を楽しんでいるのです。

(7)見えない世界も扱える

見えない世界を対象とする力については、一般的に霊的能力や超能力と呼ばれることもあります。

しかし、現代人はそれをないものとしてしまったため錆びついていますが、本来は物理的身体(肉体)から魂、集合意識、普遍意識に至るさまざまな周波数帯の一部であり、誰もが扱えるものです。

このような領域の知覚も、ありのままにとらえる能力が上がれば自然に覚醒していきます。

これはプロの音楽家が、素人が捉えられないような音程やリズム、音色の微妙な差異を明確にキャッチできるようなもので、別に特別なことではありません。

知覚できなければ、当然扱うことなどできっこないので、それが第一歩です。

取り扱うにあたっては意識を使う能力に左右されますが、悟りを開くほどの人であれば、意識の力が十分高まっているので、見えない世界に意図した影響を及ぼすことができます。

とはいえ、自分のためにその能力を使おうとしたり、人にひけらかしたりはしません。

普通の人にはないと思っているだけに、それらの能力に特別の価値を見出す人も少なくないでしょう。

能力に対してどのような態度を取るかを、相手が本当に悟りに近い人かどうかを見極める試金石とするとよいでしょう。

(8)自分や時空間(宇宙)の仕組みがわかる

自分というのは、最も身近でありながら、実は同時に最も深遠で底知れない存在です。

ある人は、自分の意識が自分の世界を創っているといいます。もちろん比喩的な意味ではなく、現実に。

またある人は、自分と宇宙は一つ(ワンネス)といいます。

自分という存在のナゾを解くことは、宇宙を隅々まで知ることに等しいのかもしれません。

宇宙とは、時間と空間からなるものです。

自分と宇宙の関係、そして、他人もまたその人の宇宙を創っているとするなら、自分と他人、そして、宇宙とはどのような仕組みとなっているのでしょう。

おそらく現代の人間の理解を超えており、言葉では説明できないのかもしれません。

概念のないことは言葉にならないし、したがって正しく認識できません。

地球レベルの悟りでは、おそらくその一端を窺えるようになるばかりではないかと思っています。

言ってみれば、地球の悟りはワンネスのとば口のようなイメージです。

魂は地球での輪廻転生から離れ、地球以外のより精神性の高い星に生まれる自由を手にすることになるのでしょう。

ここまでくると想像の域を出ませんが、霊的能力の高い人からの話を聞く限り、納得できる話ではあります。

(9)要するにどんな人?

ここまで読んで、悟った人はどんなイメージになったでしょうか。

実際、すごい人はすごい人かもしれません。

常人の見えないエネルギーの領域まで認識し、宇宙の法則を味方につけて、たいていのことは実現できてしまうでしょう。

「そうすればそうなる」というのが、あり方と現実の関係なので、自由かつ正確にあり方を整えられるからです。

一方で、普通に接しただけではわからないかもしれません。

自分で自分を承認しているので、他人に認めてもらう必要がこれっぽっちもないからです。

いわば、自分を大きく見せる必要がないのです。

それでいて、感情が安定していて穏やかだし、いつも感謝している、自分も他人も公正公平に扱う、誰かを批判したり否定したりもしない、制限なく自由にしたいことをしている。

一見普通だけど、接してみると、すごくいい人だと思いませんか?

親しみやすいかどうかは別にして、人格の優れた人として、多くの人から好かれ、憧れられるような人と言えるでしょう。

結論として、悟りを開くとは、お金や地位などでは決してはかれない、人として誰もがめざすべき高みを目指す生き方そのものと考えています。

2.悟りを開く方法

(1)本末転倒は遠回り

悟りを開く方法を考えるにあたって、最初に注意すべきことを挙げておくと、上記に挙げたような特徴は、あくまで結果として現れる性質ということです。

ということは、上記のようになろう努力しても、それは無駄なのです。

というか、本末転倒は有害ですらあります。

たとえば、感情の揺れが少ないという特徴を知り、なるほど悟っている人はそうのかと思い、感情の揺れを減らそうとしたとします。

そうすると、起きるのは単に感情の抑圧です。

感情を揺らしてはいけない、感情的になるべきではないというように、意識で感情を抑え込もうとしてしまうからです。

悟りを開いた人の感情が揺れないのは、感情が揺れる原因そのものがあまりないからです。

その大きなものが、後述するバーストラウマやインナーチャイルドといった心の傷、トラウマです。

自分は無価値かもと潜在意識で恐れているから、他人のちょっとした言動に激しく反応してしまうのです。

悟ったふりならできます。

微笑みを絶やさず穏やかなふりで取り繕うことは、訓練すればある程度はできるでしょう。

けれど、常に、そして、身近な人の前でもそうしていられるかとなると、無理です。

また、感情の抑圧が一定限度を超えると肉体が支障をきたします。

悟った人というイメージに自分を合わせにいくことは、自分を縛る新しい檻に、自分から入りにいくようなものなのです。

(2)心の成り立ちに応じた方法が有効

では、結果からではなく、原因の方から悟りに近づくにはどのような方法があるでしょう。

そのためには、心の成り立ちをよく知る必要があります。

心は見えないため、すべてが一緒であるかのように考えられる傾向がありますが、実際は役割や機能、性質が異なるいくつもの部分から構成されています

それらを十把一絡げに扱い、闇雲に取り組んでもやっぱり遠回りになります。

例えば、ボトルネックのようなことが起こり、他は進んでいてもどこかの要素が足かせとなってそれ以上進めなくなるようことが起きてきます。

<心の成り立ちに興味がある方は、こちらの記事も読んでみてください>

(3)固定観念、価値観を手放す

悟りを開くのを妨げるものとして、第一に固定観念や価値観があります。

こうであるべき、こうあらねばならないとか、これが優れているとか劣っている、そうした考えが苦しみを生み出しています。

「人には親切にしなければならない」という価値基準が、親切でない他人を裁き、親切でない自分を責めるというように働きます。

いい悪いという話ではありません。

観念や価値観は判断の手間をある程度省いてくれるので、この世で生きていく上では便利なものです。

でも、それに囚われると苦しみを生み出すもとになってしまうのです。

固定観念を外すには、本当にそうかと疑ってみることが有効です。

すべてはニュートラルと言われるように、必ず反対のサイドが存在します。

そうなると何かが正しいということで、囚われることがなくなります。

たとえば、「親切はいいこと」という考え方ひとつとっても、常に正しいとは限りません。例えば、相手の自立を妨げる、余計なお世話などということもあり得ます。

ものごとがありのままに見られるようになると、それが瞬時に捉えられるので、ただちに別の可能性や見方を受け入れられるようになるのです。

我慢するのではなく、自然にそうなっている。それがとらわれのない状態です。

(4)アイデンティティを手放す

二番目に、アイデンティティとは、「自分は~である」という~の部分に当たります。自分とはこういう者であるということですね。

私だったら、男性、50代、夫、父親、自営業者、ヒーラー、日本人、人間、元会社員、京大卒、お酒が好き、自己成長オタク、温厚、寡黙、冷静、などです。

まだまだたくさんあるでしょう。言ってみれば、自分につけるラベルみたいなものですが、さまざまなラベルの集合体が自分という人間を規定しています。

社会生活を営む上でなくてはならないものですが、反面、檻のように私たちを縛るものでもあります。

ミスチルの名曲ではこんなふうに歌われてます。

あるがままの心で生きられぬ弱さを
誰かのせいにして過ごしてる
知らぬ間に築いてた
自分らしさの檻の中で
もがいてるなら
僕だってそうなんだ

(「名もなき詩」 桜井和寿作詞)

たとえば、男たるもの涙を見せてはいけないとか、

俺は社長で偉いから大事にされるべきとか、

自分は親切だから人の頼みごとは断ってはいけないとか、

妻として旦那さんの言うことに逆らってはいけないとか、

自営業者は年中無休で夜中もお客の要望には応えないといけないとか、

なんとかかんとか、、、

それから外れるのは悪いことであるとか、人がそれを認めてくれないから悪いのだとか、

アイデンティティがあるゆえに、不自由になったり、苦しみが生まれたりするのだということです。

それでは、アイデンティティを完全に手放すとどうなるか。

そうすると、「何者でもない」状態になれます。

何者でもないので、傷つくプライドもありません。

自分を縛る枠もないのです。

何が起きても風に揺らぐ花のように力が抜けて楽でいられるのです。

そして、何者でもない人は、状況に応じて、「何者にでもなる」ことができます。

「自分は◯◯だから、・・・」という言い訳が存在しないためです。

これこそ臨機応変、融通無碍にして、自由自在の境地なのです。

(5)エゴと上手くやる

三番目はエゴについて。エゴを自我、つまり、自分という意識と捉える人もいますが、私はエゴを「自己防衛機能」ともう少し範囲を区切って考えています。

エゴ的という言葉からは自分さえよければいい、欲張るなど、自分の利益を優先し、他人や社会の利益を考えない態度が連想されます。

つまり、利己主義(エゴイズム)ですね。

たしかに、自分の利益と他人や社会との利益が極端にアンバランスだと、いろいろ弊害があるでしょう。

けれども、自分の利益をまったく考えないのも問題ではないでしょうか。

利益のもっとも基本的なものに安全、突き詰めると、生きることがあります。

ですので、エゴの本質をさぐっていくと、生きるために肉体を守るということなのです。

エゴが肥大すると、お金を際限なく欲しがったり、出世しようとしたりするかは、その方が、周りから大事にしてもらえる、つまり、より安全度が高まるから、なんです。

とはいえ、いくらお金があっても、偉くなっても、絶対に完璧な安全は手に入りません。

だから、エゴに身をまかせると、もっともっとと際限がなくなって暴走するという事態に陥ります。

そうして、バランスを欠いて他人をないがしろにしてしまうのです。

そんなことをすれば周りから嫌われるので、決して自分のためにはならないはずですが、そこがエゴの拙いところです。

かえって、お金や権力などの力づくで他人を動かそうとして、ますます本質的に孤独になるという悪循環にはまってしまいます。

変化の多い現代社会は多かれ少なかれエゴが肥大化しやすい傾向があります。

人は本能的に変化を危険と感じるからです。

とはいえ、エゴを悪者扱いするのも考えものです。

無視されればされるほど、エゴは危険を訴えてアラームを大きくしてくるので、たいへんです。

悟りを開くには、エゴの本質的機能をきちんと理解して、感謝して、エゴと上手くやっていくことが大切です。

「座って半畳、寝て一畳。天下取っても二合半。」という言葉があるように、人が身体を健康に保つのに必要なものは意外に少ないものです。

余計な見栄や過剰な欲がなければ、エゴは案外簡単に満たされてくれるものです。

見栄や過剰な欲をなくす方法については、後で取り上げたいと思います。

(6)感情をクリアにする

 

四番目は感情についてです。まず、感情の働きを明らかにし、二番目に感情的な滞りを生まず、しかも感情に振り回されないようにする方法を考えます。そして、過去に作ってしまった滞りを解消する方法の順に述べてみます。

(a)感情の働き

上で感情は結果として穏やかになって揺れることは少ないと書きましたが、そうなるための方法です。

そのためには、まず感情がなんのためあるのかを知っておくと役に立ちます。

一言で言うと、感情は潜在意識をはじめとする心のメッセンジャーです。

感情って、誰かの言葉や出来事などにぶつかったとき、自然発生というか、ある意味、勝手に湧いてくるものですよね。

どうしてそうなるかというと、潜在意識をはじめ心にその原因になるものがあるからです。

たとえば、親しい人から悪意なく「太ってるね」という言葉を言われて怒る人は多いでしょう。

それは過去に、その手の言葉でからかわれたり、馬鹿にされたりして、傷つけられた心の傷を持っているからです。

もし、生まれから現在までずっとスリムで、そういう傷がなかったとしたら、「そうかな?」とか、あるいは、「何を言ってるんだろう」となるでしょう。

その人が実際に太っていても同じことです。

太っていることが価値とされている国で生まれ育ったとしたら、実際に太っていても怒りは湧かないでしょう。

むしろ、太っている=よいことという観念があるので、言った人にそのつもりはなくても、褒められたと感じて嬉しくなるでしょう。

とにかく、感情は潜在意識や心にあるものを、顕在意識に伝えるという働きをしています。

メッセージなので、ちゃんと伝わると用済みとなって消えていきます

一方、怒りや恐れなど、ネガティブな感情を抑圧したり、感じないことにすると、用が済まないので溜まっていきます。

キレるという現象は、抑圧された感情が何かの拍子に抑えきれなくなって爆発することで起きるものです。

(b)感情と上手く付き合う

感情という潜在意識をはじめ心の中からのメッセージをちゃんと受け取り、しかも、感情に飲み込まれて振り回されないためにはコツがあります。

それには感情と適切な距離感を取ることが大切です。

これは少し離れた場所から感情を眺めるイメージです。自分を客観視するという言い方もされますね。

いくつか方法をあげてみますね。

  • イメージの中で相手や出来事から遠ざかる
  • 実際にその場を離れる(トイレに行くなど)
  • 10数える
  • 感じていることや思いを紙に書く

いずれもできないときは一旦感じないことにして後で思い出して感じ、上記の方法を適用することも可能です。

まずは、売り言葉に買い言葉の応酬が互いに大きな傷を残したり、関係性が壊れて修復できなといった事態にならないよう感情と適度に距離を取る練習をしましょう。

感情に飲み込まれなくなると、感情に蓋をしたり、みないことにする必要もなくなります。

そうなると、メッセージが常に読まれるようになるので、あらたな滞りが生まれにくくなります。

(c)滞りを解消する

あらたな感情の滞りが生まれなくなったところで、過去に作ってしまった滞りを解消したいところです。

これは自分でやる場合、根気よく時間をかけることが必要です。

過去に感情が動いた出来事を思い出し、ただ感情を感じるようにします。

このとき、相手を非難したり、自分の正しさを主張したくなったりして、グルグルした思考に入ってしまうと、新たに火に油をそそぐ結果となるので注意が必要です。

それではいつまでたっても感情はなくなりません。

思考に入らずただ感じているとほとんどの感情は数分で消えていきます。

根気のいる作業ですが、感情がクリアにならない限り、悟りを開くことはむずかしいといえるでしょう。

<自分一人ではとても扱いきれないという方は、感情カウンセリングをご検討ください。自分で安全、確実に感情を扱う方法をお教えしています>

(7)五感を高める

五番目は肉体の五感(見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触る)について。

一見、五感と悟りになんの関係があるの?と疑問に思われるかもしれません。でも、実は大ありなのです。

悟りを開いた人の特徴の一つに「ありのままを受け入れる」というのがありました。

受け入れるためにはまず、ありのままをしっかり捉えなければなりません。

どうやって捉えるのかというと、五感からくる情報によってということになります。

ありのままを見、ありのままを聞くということは、実はそんなに簡単ではありません。

見たくないもの、聞きたくないことを、人は簡単に遮断して、なかったことにしてしまうからです。

まずはちゃんと聞くことから始めるとよいでしょう。

どうやら聴覚は脳の部位的に霊的能力にも関係するようだからです。

その際、大敵となるのが意味理解です。

相手の言うことの意味がわかったと思った瞬間、相手の言葉を音としてちゃんと聞けなくなります。

すると、言外に込められている感情や微妙なニュアンスを捉えることができなくなってしまいます。

親の小言などは際たる例で、また始まったと思った瞬間、シャットダウンしてしまうのです。

五感を高めることが悟りに有効であるもう一つの理由は、五感を磨いていくと霊的能力につながるからです。

現代でこそ霊的能力というと、特別な力、不思議な力とされていますが、もともとは人間が当たり前に備える能力でした。

人間は、肉体以外にもいくつかのエネルギーボディが多層的に組み合わさっている存在です。

五感が肉体に帰属するものだとすれば、霊的能力はエネルギーボディに帰属します。

エネルギーボディが存在する以上、それを知覚できないのはおかしなことではないでしょうか。

霊的能力を不自然に発達させる方法は、過度な筋トレが健康的とは言えないように、弊害も多いものです。

悟りを開くことを目指す場合、感覚が繊細で鋭くなった延長上に、霊的能力の開花があるというのが自然な形と言えます。

(8)肉体を健全に保つ

六番目は肉体について。

悟りを開くためには、五感のみならず、肉体全体としてその機能をより高めていくことも重要です。

一番の理由は、肉体が心と外界をつなぐものだからです。

私たちが認識している自分は、多くの場合肉体までです。

しかし、悟りを開くという視点でみると、そこにはとどまりません。

私たちの存在は、日本という大地なしには成り立たないでしょう。

そして、日本は地球なしには成り立ちませんし、第一地球がなければ吸える空気も存在しません。

さらに、地球があっても太陽がなければ生きていけません。

太陽系の存在は、私たちの銀河系がなければあり得ません。

そして、もうおわかりでしょう、銀河系は宇宙がないと存在し得ないのです。

ということは、私たちが存在しているベースは、宇宙と切り離して考えることなどできないのです。

スピリチュアルのワンネスという言葉を使わずとも、私たちは宇宙と切り離されて存在することなど不可能です。

だとしたら、悟りを開いていくプロセスが、心の中だけで完結することなど考えにくいでしょう。

外界である自然を深く理解することが不可欠であり、そのためには、自分の領域の限界といっていい肉体の取り扱いが大切になるのです。

また、肉体の感覚をとおして感じたことは、知識理解を超えて潜在意識に浸透しやすいことでしょう。

目に見えない心を扱ううえで、目に見える肉体からアプローチするのは、非常に理に適っています。

具体的に、私は覚醒のための活動として、スキー、登山、スキューバダイビングを行なっています。

そこから得られる示唆は、自分の中で非常に納得性があります。

たとえば、スキーでいえば、重力という普遍的な法則にさからわず、斜面に垂直かつ板の真上に立つ状態が、自己成長における理想状態と合致します。

頑張ってスキー板を操作するのではなく、体のあり方、立ち位置を正しいところにおくことがポイントです。

そうすると、スキーの性能で自然に曲がってくれるし、また、コントロールも容易で、安心した状態で、結果的にスピードも出て、どこでも曲がれるし、止まれるといった体験ができます。

あとは、肉体がある程度以上、健全な状態から外れると、そちらに引っ張られて、それ以上心の成長も進まなくなる段階がやってきます。

(9)潜在意識にある心の傷を癒す

七番目は心の傷、トラウマについて。

潜在意識の深くにある心の傷、トラウマは悟りを開く上での大きな障壁です。

具体的には、胎児期~生後3ヶ月ぐらいにバーストラウマ、幼少時~思春期までにインナーチャイルドという心の傷が生じます。

あるがままの魂は、おおむね愛に近い状態ですが、トラウマが覆いかぶさることで、そこから離れてしまいます。

明るい電球にすすやホコリがつくようなイメージでしょうか。

インナーチャイルドは、たいていの親は条件付きの愛しか与えることができないことから生じます。

言葉にすると、「ありのままではいけない」、「自分は愛される価値がない」という思い込みにつながってしまいます。

バーストラウマはこの世での誕生に関わるものであるため、存在そのものに関わるような、否定的な思いにつながりやすいです。

「自分は存在していてはいけない」、「生まれてきてはいけなかった」など。

本来人は愛そのものだから、自分で無限のエネルギーとつながれるのに、このようなトラウマのせいで、人から奪おうとしてしまうのです。

わかりやすくは、賞賛や注目、お金などの形で。ねじれてくると、叱責や虐待ですら、エネルギーとして求めてしまいます。

今の世の中の奪い合いの構図はトラウマが原因といっても過言ではありません。

エゴを刺激して、見栄を張ったり際限なく欲しがってしまったりすることにもつながります。

また、トラウマは、さまざまな場面で反応して、人がよくなろうとするのを妨げます。

たとえば、自分がないがしろにされたと感じた原体験と同じような言葉や出来事があると、大人になっていても同じような心の痛みを感じます。

それは、怒りや悲しみ、恐れなどのネガティブな感情として現れたり、自分の思い込みを改めるのを邪魔します。

これでは、悟りを開くのは困難と言わざるを得ないでしょう。実際には、悟り以前に生きづらさという点で、すべての人にとって影響が大きいです。

トラウマを癒すことで、自己否定的な傾向が軽減されるのでこれまで見てきたすべての点においてよい影響が見込めます。

たとえば、心の古傷が痛むことがないので、感情が揺れにくいし、思い込みを手放すのにも抵抗が少なくて済むからです。


それではどうしたらトラウマを癒せるかですが、心の深いところにあり顕在意識では知覚しにくいうえ、簡単には変化しないという性質があります。

悟りを開けるレベルまで軽減するのは、一般的には10年、20年の長期にわたり根気のいる取り組みが必要です。

例を上げると、効果が見込めるぐらいしっかりできる前提ですが、瞑想は比較的安全で確実な方法です。

宗教家たちが行ってきた山行修行や滝行などの修行ももちろん一つの手段です。

心理面からのアプローチでは、内観やカウンセリングといった方法もあります。

ただし、大幅に改善しようとすると、十年単位の時間がかかることが多いと思われます。

腕のいいプロの助けを借りる必要がある場合が多いため、費用も膨大になります。

他には、高い霊的能力を必要としますが、特殊なヒーリングであれば、比較的短期間でトラウマを軽減することができます。

難点としては、本当に効果が見込める信頼のおけるものを探し出すのがむずかしいことです。

私が知っているのは、あるエネルギーヒーリングです。古来、悟りに近づく一番の方法と言われてきました。

簡単な方法で、短期間で効果があり、それなりの金額がかかりますが、費用対効果は優れています。

この辺りは、どのぐらい自分の力でやるか、時間をかけるか、お金をかけるかの兼ね合いとなるでしょう。

本人が自分に合うものをよく考えて選択することが大切ですね。

(10)過去生の痛みを癒す

最後の八番目は過去生についてです。

悟りを開くとなると、今生のトラウマのみならず、輪廻転生を繰り返すうちに生じるトラウマまで癒していく必要があります。

これは過去生トラウマと呼ばれます。

過去生トラウマの特徴は、特定の状況で影響を及ぼすことが多いといえます。

たとえば、水に入る、高いところに登る、人前で話をするなど。

過去生で死ぬほどの恐怖を感じたり、痛い目を見たり、または、実際に死んでしまうような強烈な体験が、生まれ変わっても影響するほど心にダメージを残します。

また、過去生トラウマはインナーチャイルドの原因となっているケースも多いようです。

過去生トラウマの癒しは、いわば何生にもわたってクリアすべき課題でありテーマだからです。

過去生トラウマと同種、または、関連するようなインナーチャイルドを持つ傾向があります。

人は、自分に必要な体験が親を選んで生まれてくるのです。

また、魂のグループを形成し、親子、夫婦、兄弟姉妹など、立場や役割を変えながら関わり合う中で互いの学びを深めていったりします。

そういう意味では、過去生トラウマも、一概に悪いものとはいえません。自分を飛躍させるための、試金石という一面もあります。

過去生トラウマに向き合うことで心が磨かれ、悟りに近づくことができるわけです。


取り組みとしては、バーストラウマ、インナーチャイルドなどと共通する部分も多いですが、カウンセリングや内観などではむずかしいかもしれません。

インナーチャイルド以上に深いところにあるので、顕在意識ではまず知覚できないためです。

ヒプノセラピーなどの催眠系が軽減できる可能性があるでしょう。

ただ、本物のスキルを持った施術者を探し出すのはたいへんなのは霊的能力と同様です。

上述したヒーリングは、施術者のレベルが一定以上確保されているので、この観点からも、勧められます。

(11)上記8つの取扱い順序

以上、8つの方法というか、心の部位、作用別に取り扱い方法、クリアリングについてみてきました。

順序としては、意識の浅いところから深いところに降りていく方向性です。

顕在意識の領域から潜在意識の領域という言い方もできるでしょう。

取り扱いやすいのは、知覚しやすいという点で、上の方(固定観念、価値観~)がよりやさしく、下にいくにつれてむずかしくなります(五感、肉体は別系統)。

一方で、より根本にある、問題の原因は下の方(トラウマ~)です。

こちらは頑固な汚れのように凝り固まっているので、クリアリングもたいへんです。

当然、まず大元の原因を扱えばその他すべてに波及するので後が進みやすくなりますが、扱うのがむずかしいという悩ましいことになっています。

自分が取り扱える中でなるべく心の深いところにある原因を扱いつつ、バランスよく浅い部位の原因も扱っていくのが現実的かもしれません。

3.まとめ

長文最後までお読みいただきありがとうございました。

これまでみてきたように、悟りを開くとは、神秘的な謎に包まれたものではなく、ましてやオカルトなどではありません。

1章の悟りを開いた人の特徴でみたように、人として生まれてきたからには、本来誰もが目指したいと思うような、自分を高める道です。

悟りを開く方法についても、従来は瞑想や修行を行えばいつかたどり着くかもしれないし、たどり着かないかもしれない。

しかも、悟りを開くまではずっと苦しいというイメージだったかもしれません。

それでは、悟りを開こうなんて思いもしないのが当たり前です。

でも悟りを開くとは、心と体を本来生まれ持ったあるべき状態に近づけていくものです。

生きるのをむずかしくしている余計なものをきれいにしていくことです。

たしかに山の頂は遠いですが、一歩、また一歩と、歩いた分だけ、心は高まって行きますし、重要なことは、どんどん生きるのが楽になっていくということです。

誰かに決められたレールの上を歩きがちな世の中ですが、悟りの道を歩き、自分が持って生まれた役割を楽しく自由に生きる人が増えればいいなと思います。

以上

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この記事を書いた人

祇場 駿矢(しば しゅんや)
幼い頃から「人は何のために生きるのか」「人はどこからきてどこへ行くのか」「ここは自分がいる場所ではない」などと考える子供だった。

ところが、昭和の成功の常識に染まり、京大法学部からメガバンクに。バブル崩壊からITバブル、リーマンショックなど日本経済の栄枯盛衰を経験。

忙しい毎日を送りつつも、目に見えるモノ(物質、金銭、地位、肩書き)では、決して心が満たされることはないことに気づく。

世間的なうたかたの価値に見切りをつけ、人間が生きることの本質的価値を探究して2014年に銀行を退職、起業する。

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