生きているかぎり、まったく不安を抱かない人はいないと思います。
このうち、不安の原因がわかっていて、対処することで不安を取り除ければ、不安は解消します。
たとえば、結婚式のスピーチを頼まれて不安な場合を取り上げてみます。
このような場合、多くのケースでは、スピーチ自体がうまくできるか自信がないことが不安の原因でしょう。
だとしたら、対処も自ずと明らかです。
完璧な原稿を用意して徹底的に練習して、本番と同じ会場で同じくらいの人数の友人を集めて何度もリハーサルしたら、その不安は解消するでしょう(そこまでする人はいないと思いますが)。
問題なのは、原因が不明、または、原因がわかっていても効果的な対処法がなく、不安を取り除けない場合です。
この記事では、このように漠然としている不安、または、消せない不安との付き合い方を、悟りの道という見地からまとめてみました。
1.不安について考えてみる
(1)不安とはそもそも何だろう
不安という言葉を、インターネットで検索すると、次のように出ています。
何かが気がかりで、落ち着かない(安らぎが得られない)心の状態。
また、精神医学的には「対象のない恐れの感情」と定義されているようです。似たような言葉に「恐怖」がありますが、こちらは「 対象がある場合」に用いられます。
対象がはっきりせずなんとなーくの漠然とした恐れが、具体的な対象が明らかになるにしたがって、恐怖に成長するといったプロセスをたどることも多いでしょう。
このように、不安と恐怖は、大小の程度の違いによるという捉え方もあるかもしれません。
いずれにしても不安は、こころのある状態を指す感情の一種であるということですね。
(2)なぜ不安が起きるのか
なぜ不安が起きるのか。不安の原因は、人間が持つ思考力、想像力にあります。
目の前にナイフを持った男が立ちはだかっている場合、これは不安というより恐怖です。はっきりした対象がありますね。
一方、不安を覚える状態は、脅威となる対象や可能性がそこまではっきりしていない場合がほとんどです。
たとえば、視界の中に不審な男が目に入り、不安を覚えるというような場合です。
この男に何かされるかもと想像が働いて不安になるのですが、何かされるかもしれないし、されないかもしれず、まだはっきりしない状態です。
地震などの災害が不安などのように、対象がわかっていても、いつ起きるかはっきり知るすべがなく不確定な要素がある場合もあるでしょう。
時間の流れで言うと、今現在よりも未来において、そのような不安の特徴が際立ちます。
不安を覚える対象となる事柄は、今の時点ではまだ現実になっていません。
なっていないけど、将来そうなったらどうしようと不安になります。
ですから、不安の正体を紐解いてみると、単なる一つの可能性であるものが、人間の想像力によってネガティブな感情として成長したものと言えるでしょう。
実態がないものだけに、時に巨大化して人を押しつぶすこともあるのですが、言ってみれば妄想です。
ですから、不安を一種の妄想と知った上で、正しく対処することが大切になります。
(3)根源的な不安の原因
とはいえ、
「妄想だから不安は持つ必要はないよね。
はぁ~、よかった。めでたし。めでたし。」
とはなりません。当然ながら(笑)
不安がまったくの幻想ならばよいのですが、それで済む話ではないためです。
杞憂に終わる不安が大半を占める中で、絶対にいつか現実化する不安もあります。
なんだと思いますか?
それは死の不安です。
死なない人は誰一人いませんし、自分が死ぬことを不安に思わない人もめったにいません。
これこそが、根源的な不安の原因の一つです。
お金の不安、仕事の不安、対人関係の不安、健康の不安、、、
いろんな不安がありますが、辿っていくと、身を滅ぼす、生きていくのがたいへん、生きていけない、、、など
究極的には、死に対する不安につながっています。
2.漠然とした不安、消せない不安に対処への対処法
(1)不安を消すことをあきらめる
人間にとって苦しみの原因はさまざまですが、その共通点を探っていくと、最も大きなものが「思いどおりにならない」ことです。
誰もが幸せを望み、愛されたいと願い、そのために日々、さまざまなことに頑張っています。
けれど、仕事が思うようにならない、部下がしっかりやってくれない、旦那さんが自分の気持ちをわかってくれない、売上や集客が思ったほどでない、体がいうことを聞かない、、などなど、思いどおりにならないことのオンパレード。
自分も周りも幸せにしたいと思って一生懸命やっているのにこのありさまでは、「どうしてわかってくれないんだ、神さまなんて本当にいるのか」、と思いたくもなりますね。
不安を消そうと思っても消えないこともその一つです。ネガティブな感情は誰だって味わいたくありませんから。
そう思って、不安を消そうと思って頑張ります。
お金の不安だったら、たくさんお金を儲けて富を築いたら不安がなくなるかもしれないと。
または、将来一人で老後を迎えるのが不安だったら、パートナーがいれば不安がなくなるかもしれないと考えます。
ところが、お金を貯めれば貯めるほど、今度はお金を失うことへの不安が大きくなっていきます。
恋人ができたらできたで、相手が自分を嫌いになったらどうしようと別の不安が出てきます。
結局のところ、上で見たように不安の根本原因が死への不安である以上、それを消し去るのが相当困難であることは想像にかたくないと思います。
ですから、ここではいったん、不安を消そうという思いの方を手放すのです。そうです、不安を消すことはあきらめましょう。
(2)不安の効用を知る
すると不安はあっていいものとなります。
そして、不安があることを前提に、不安が人生でどんな風に役に立つのか、それを明らかにすることが、より一層不安を受け入れることにつながります。
不安に役に立つこと、いいことなんかあるのかと思うかもしれませんが、どんなものも本質はニュートラルです。
絶対にありえないという思いこそ、自分が枠に囚われている証拠です。
不安の効用の一つ目は、不安を建設的な行動の原動力に使えるということです。
冒頭に出てきたスピーチの練習はその例です。不安を原動力にして自分を高めるという使い方が可能です。
このように、原因が不安であっても、当面の行動を始めるきっかけになります。
二つ目は、不安があることで気持ちが浮ついてしまうことを防ぎ、地に足がつきます。
好調なときなどは特にそうですが、深く考えずなんでも都合よく解釈し、人の思いに気づけなかったり、慎重さを欠いて痛い目に遭うことがあります。
不安をちゃんと感じることで、無意識にうすうす感じている破綻の芽に早い段階で気づくことができ、大きな害を及ぼす前に対処することが可能です。
三つ目は、不安があることで、自分が変化し成長しているのを感じることができます。
人は変化に対して不安を抱く生き物です。現状維持には基本的に不安はありませんが、成長もありません。
ある程度の不安は、安定を手放し変化している証拠であり、自分が守りに入っていないことを確認する指針となります。
(3)不安を抱きながら進む
このように、不安はそもそも消せないし、不安があることにはいい面もあると知ることで、不安と共存できるようになります。
具体的には、不安が行動に影響を及ぼさないという状態です。
影響というのは、立ち止まったり、引きこもったり、必要な行動を躊躇してしまうということです。
こうしたことがなく、必要な行動が取れているのであれば、不安に行動を制限されていません。
このように不安を感じながら進むことで、不安の感情が蓄積して暴発するような事態も未然に防げます。
自己成長であれ、ビジネスであれ、人生において、不安とうまくやっていけているといっていいでしょう。
とはいえ、不安を原動力にすることには、マイナスもあります。
それは度が過ぎて、頑張ってなんとかしようとし過ぎてしまうのです。
しかし、お金や恋人の例でみたように、その行動はうまくいったとしても、不安を消すための根本解決にはなりません。
たとえば、ビジネスで大成功して、たいていのことが思うとおりになったとしても、自分が老いること、やがて死んでいくことだけはどうしようもありません。
人はどうあってもいずれ「死の不安」と対峙しなければならないのです。
3.不安を悟りに生かす
そのためには、不安についても処世術的な処方ではなく、より本質的な解決策を模索する必要があります。
それが悟りの道です。といっても、山籠りなどの修行的なものではありません。
悟りを目指す中で不安とどのように関わるかについて見ていきましょう。
(1)不安に感謝する
悟りの道を具体的に見ていくことにします。
やっていくことは、前章の2でやってきたことと大いに関係があります。
(2)では不安があることの効用、プラス面を見ていきましたが、それを人生全般に拡大する感じです。
人生には様々な出来事がありますが、一見するとマイナスの出来事にも必ず隠れたプラス面があります。
それを総合すると見えてくるものがあります。
結局、すべては自分が何かを学ぶため、必要があって起きているのです。
その大いなる意識を「愛」と呼ぶこともできます。
いじわるな上司も、大嫌いな友人も、結局すべては、自分のためにその役割を果たしてくれていた。
それに気づけば気づくほど、すべてに感謝がわくようになってきます。
もちろん不安という感情に対しても。
よくあるありがとうをたくさん言いましょう、という話ではありません。
悟る、すなわち、世界のことがわかってくると、結果として、自然に感謝がわく状態になるのです。
(2)今にいる
もう一つ、不安の本質は妄想でした。
今ここにないものです。
悟りに至る道の一つとして、「今ここにいる」ということがあります。
私たちは多くの時間を過去の追憶や未来の心配に費やします。
このとき、私たちは思考の中にいて、実際に存在している「今ここ」にいません。
悟りとはどんな瞬間も「今ここにいる自分」から離れなくなることです。
不安がリアルに感じられるのは、今ここにいる自分を忘れて、思考の中に浸りこむからです。
悟りに近づくにつれて、感じている不安が実は自分で生み出している妄想であることに気がついていくのです。
(3)死もまた一面の幻想
ここまで聞いて、えっ?さっき死は誰も逃れられないから、死の不安は根元的だって言わなかった?と思われたかもしれません。
たしかにそうなのです。一面は。
私たちは肉体を持っており、その肉体はいつか死を迎えます。
しかし、肉体が私たちの全部かというとそうではないのです。
私たちは実は多層からなるエネルギーの集合体です。
その本質が魂と呼ばれるものです。
だとすると、私たちは本当に人間なのかという話にもなるでしょう。
「世界の中に自分がいる」という世界観もあやしくなってきます。
自分の意識が一瞬一瞬世界を創っているという世界観を示す覚者と呼ばれる人もいます。
自分とは、世界とは、宇宙とは、その真実を明らかにするのが悟るということです。
それはなにも、私たちの日頃の活動とかけ離れたものではなく、日々起きることの中に、目覚めへの誘いが暗号のように埋め込まれています。
意識が寝ているとそれに気づけず、目の前に起きることに右往左往しがちですが、実際は、そんな必要はありません。
物事の本質をあるがままとらえ、自然に何事にも感謝できるような状態になると、どんどん知覚が開いて、本質的なことがわかっていきます。
その先に、不安からの真の解放があるということです。
何が起きても大丈夫、死があっても気にならないということです。
4.まとめ
真面目に生きているほど対処がむずかしく、もどかしい感のある漠然としていて消えない不安。
対処を誤ると人生をつまらなくしてしまうリスクがあります。
本質的で究極的な対処は敷居が高いですが、かといって、対症療法的な見ないこと、頑張ることで押さえつけることは、反作用も大きくなります。
そこでは、悟りによる究極的な解決も見据えつつ、処世術的に不安をうまく手懐け、不安とうまく共存できる方向性が有効です。
どうぞ参考になさってください。
以上