悟りの窓

魂とつながる日本固有の自己成長の道

悟りから見る 人は人で磨かれる9つの視点

約14分
悟りから見る 人は人で磨かれる9つの視点

「ダイヤはダイヤでしか磨かれない、人は人でしか磨かれない」という言葉があります。

この言葉は真実だと思いますが、この記事では特に悟りの視点からその理由と自分を磨くことに役立てるものの見方、視点について考えてみました。

内面の成長や悟りを目指す人が、人との関わりを通じて成長する一助になればと思います。

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1.動物では人は磨かれない?

人でしか磨かれないというと、動物ならどうなの?という疑問が浮かぶのは、私が天邪鬼だから?(笑)

必ずしもそうではなく、人が人である所以を明らかにするために有益な疑問だと思うのです。

まず、人が動物と接する中で成長できないかと言うと、そうとは限らないでしょう。

動物にも感情があり、人と心を通わせることができるのは、言うまでもないことですので。

相手の気持ちを推し量る力を養い、思いやりや優しさを育むことができるでしょう。

けれど、これほどまで自由な選択ができる生き物は人間だけです。

動物は本能に従うか、人間の意志に従うことしかできません。

とりわけ、自分を高めようという意志は人間だけのものではないでしょうか。

反対に、選択においては、自ら堕落することさえも可能だという自由さがあります。

悟りを目指すという人間性の高みを追求するような前提だと、人と人が関わることでしか引き出されないものは、確かにあるように思います。

2.思いどおりにしたい欲求と向き合える

悟ることには、生きることにつきものである一切の苦を超越するという一面があります。

苦が起きる理由は、仏教によれば、「求める心」が引き起こしています。

求める心は、7つの欲求に別れるとされ、具体的に、生存欲、睡眠欲、食欲、性欲、怠惰欲(ラクをしたい)、感楽欲(映像や音で気持ちよくなりたい)、承認欲(人から認められたい)です。

求める心が叶わないと人は苦しみます。

四苦八苦のすべてがそうです。

四苦とは、生老病死。

八苦とは、愛別離苦(愛する者との別れ)、怨憎会苦(嫌いな人に会うこと)、求不得苦(求めて得られない)、五蘊盛苦(五感への執着)。

すべて思うようにならないことで苦しむのです。

で、思うようにならない最大のものは人です。

お金があれば大抵なんでもできますが、すべての人の心は動かせません。

人は神の分け御霊という考え方からも、同じく神である他の人は、思いどおりになりません。

神対神だから、同格というわけです。

で、他人が思いどおりにならないことに対してどうするかということで、自分を磨くことにつながっていくのだと思います。

3.あらゆる視点からの理解

悟りとは、あらゆることをわかっていることです。

いちばん目が届きにくい自分自身も、無限に広大な宇宙も。

他人についてももちろん同じです。

悟っているということは、どんな相手に対しても、相手の立場を理解し、共感することができるということです。

ただし、もちろん自分と相手は違う人間なので、境界線はちゃんと引いているし、同調はしないという感じです。

しかし、凡人である私たちは、相手のことが理解できずに、感情的になったり、反発したりということがよくあります。

この場合、相手に感じる違和感や自分の苦しい感じは、ある方向からの自分の視点が欠落していることを意味します。

たとえば、電車の中で、子供たちが騒いでいるのに注意しない父親に腹を立てたとします。

でも、この男性が、さっき病院で子供たちの母親である妻を亡くしたばかりで茫然自失の状態であり、子供たちもどうしていいかわからず混乱していたと知ったら、どうでしょう。

親子への感じ方はまったく違ったものになるのではないでしょうか。

たしかにこれは極端で、やや不自然な例かもしれません。

でも、わたしたちはいつでも、相手が置かれている状況を完璧に知っているわけではありませんし、相手が信じている価値観を、相手がそれを信じるに至った事情を含めて知らないのではないでほうか。

異なる価値観や考え方に出会った時、ぶつかったり、どちらが正しいと争うのではなく、理解、共感するように努めるのです。

感情的なすれ違いがいかに多くの不毛な対立や争いを生んでいるでしょう。

自分のことをわかってもらえた、つまり、尊重してもらえたと思うだけで、その大部分は解決してしまうかもしれません。

そうでないものについても、お互いが納得できる解決方法は必ず存在します。

ましてお互いに尊重しあえる関係のなかなら、それを見つけるのは容易です。

私たちの本質は愛だからです。

嫌いな人との付き合いをとおして、私たちは、人としてまだ磨けていない部分をケアし、輝かせることで、まん丸な愛に還っていくことができるというわけです。

4.統合という「道」

人間関係の影の面といったとき、長く心に引っかかるものとして、誰かの許せない言動を上げる人は多いのではないでしょうか。

人にはそれぞれが抱える事情や立場があり、さまざまな考えや思いがあり得るとわかっていても、これだけは別というようなものです。

親子や夫婦などの家族かもしれませんし、先生や会社の上司かもしれません。

心に刺さったトゲのようにいつまでも思い出され、怒りや悲しみの感情が生々しくぶり返し、繰り返し私たちを苦しめます。

実は、最悪に思えるこのような出来事や体験も、人の精神性を高めるのに非常に役に立ちます。

 

具体的には、嫌っている相手の特性は、形は違うかもしれませんが、必ず自分も持っています。

あの自分勝手で最悪の人と私が同じなんて絶対にない、あり得ないと怒った人がいました。

でも、少しの時間一緒にいただけでも、その人も相当自分勝手で相手を振り回す性格だと感じたことがありました。

母親の自分の考え方を押し付けるところが嫌いで、自分はそうならないように努めてきたから、同じということはあり得ないと言った人がいました。

その人は、人に介入してはいけないからと、人と深いところで交流するのを頑なに拒んでいました。

このケースはストレートではないですが、その人と仲良くなりたいと思った人は、拒絶されたと感じたはずです。

それは、相手の意思を否定し、自分の考え方を押し付けたという見方もできるのではないでしょうか。形を変えてとはそういうことです。

なかなか自分のことは見えないのですが、もし自分に同じ性質がなく、それを否定していなかったら、基本的にスルーです。気づかないことさえ多いでしょう。

 

また、自分にとって、不都合、デメリット、不利益、役に立たないと思った出来事も、実は同じだけ、好都合、メリット、利益、役に立っています。

あらゆるものは、中立の特性として存在しており、人がそれに意味付けしているからです。

意味づけの視点が一方向であるため、もう一方が見えなくなっているのです。

それは自分を守るものの見方や考え方であると同時に、誰かがそれを否定したり、それに反する言動をすると、苦しみが生まれます。

ところが、両方の見方を受け入れて統合を行う時、大きな変化が起きます。

粒子と反粒子が衝突して消滅し光のエネルギーに変換される対消滅という現象があります。

心の世界でも同じことが起きるのです。心の世界はエネルギーの世界ですから、別段不思議ではありません。

ポジティブな感情とネガティブな感情が統合されて、生まれる光のエネルギーが愛です。

悟りとは、人が宇宙の普遍意識である無条件の愛に還るということです。

このように、対人関係の葛藤の統合は、悟りに至る重要な手段といえるでしょう。

5. 理不尽な対人関係の意味

私たちは人と接する中で、自分の正しさにこだわる癖を持っています。

人とぶつかった時、自分が進もうとしていた方向に相手が立ちふさがってきた。自分は遠くから歩いてきたのに、急に横から出てきた相手が道をふさいだ。

これに対しては、相手も相手なりの言い分があるでしょう。

正しさとは所詮相対的なものだから、正しさにこだわるのはやめましょう、と言われたりもします。

ところが、世の中には、どう考えても理不尽なことがあるものです。

自分にはなんの非もなく、その可能性さえなく、相手に一方的に非があり、100人に聞いたら100人とも相手が悪いと思うと答えるような。

たとえば、道を歩いていたらいきなり殴られたというようなことです。

このようなとき、怒ったり、反発したり、相手に自分の正しさを主張するのはごく普通の反応です。

もしくは、スピリチュアルを勉強した人は、正しさにこだわることはいけないと、たとえば、過去生のカルマに原因を求めるかもしれません。

そういうのも否定はしませんが、無理を感じることもあるでしょう。そういう場合は無理に納得しようとせず、こう考えてみたらどうでしょう。

理不尽な出来事は、人生における踏み台、ジャンプ台だと。

高く飛ぼうとするとき、腰をかがめて力を溜めますが、まさにその状態です。

一見自分に何の責任もないような状況のとき、それも自分の責任として引き受けて、主体的に行動を取っていくと道がひらけます。

本質から見ると、自分の責任でないことは何一つ起きないので、そのように考えて行動することは、潜在意識に自分がそういう存在であることを落とし込む効果があります。

そういう存在とは、つまり、大海のひとしずくのように、神のわけ御霊、宇宙の普遍意識と同等同質であるということです。

そして、理不尽さが大きいほど高く飛べる、飛躍も大きいのです。

理不尽な出来事の前に、無力な被害者としてただ怒ったり悲しんだりするのか、こういうことを思い出して主体的に対処するのか。

その選択は一人一人に委ねられています。

6. 人は鏡

少し哲学的な話をしてみます。

自分で自分の姿を見ることは、誰にも見ることはできません。

鏡を使えばというかもしれません。

でも、鏡で見えるのは例えば距離1メートルからの自分の姿です。

この距離は実は重要です。

1メートルからだんだん遠ざかってみましょう。

10メートル、100メートル、

遠ざかるにつれて、相手の身体はどんどん小さくなります。

その反対に背景の景色が大きくなります。

十分な距離をとりたいので、上空に上がることにします。

上空一万メートルまで上がったらどうでしょう。

当然、相手の肉体は見えませんね。

日本地図の一部、関東地方とか、そういう陸地の形が見えるでしょう。

さらに上空何万メートルになると、今度は、相手は日本列島の形に見えるでしょう。

さらに遠ざかると、地球、

さらに遠ざかると太陽系、

そして、銀河系、

やがて、宇宙、、

このように、距離によって相手の見え方が変わるのです。

今度は逆に近づいてみましょう。

どんどん近づいていくと、視界が相手でいっぱいになります。

さらに近づくと、虫眼鏡で拡大したようになります。

さらに近づくと顕微鏡で観察したときのような見た目になるでしょう。

もっと近づくと、皮膚に接します。

でも、それはAさんならAさんの皮膚なり、身体であって、Aさんそのものではありません。

Aさんの本体を求めて、自分がミクロ化して進んでいきましょう。

そうすると、細胞を構成する細胞膜とか、核とか、その中のDNAとか、ミトコンドリアとか、そういうものが見えるはずです。

でも、そういうものがAさんではないので、さらに奥に進みます。

すると、分子とか、原子とか、原子核とか、陽子とか電子とか、そして素粒子になります。

無限にミクロ化していくと、最終的には、何もない空間になるはずです。

こうしてみると、距離によって私たちはさまざまに姿を変えるし、結局、自分の場所からの、すなわち、距離ゼロの自分の姿は絶対に見えないということになります。

だからこそ、私たちは、他人を鏡に使って、自分の姿を確認する必要があるようです。

もちろん、物理的身体ではなく、心というエネルギーの有り様という意味ですが。

少なくとも、自分のことは自分が一番よくわかっているという予断は脇に置いて、他人との関わりのなかから、自分をちゃんと見ようすることが悟りを目指す上で欠かせない、と言えるでしょう。

7. 自分の枠外に出る

話が抽象的になったので、具体的な話に戻しましょう。

人との関わりは、すべて出会いから始まります。

出会いによって、新たな道がひらけ、人生が展開していくと、私は思います。

思えば、私が今いる場所に導かれたのも、人のご縁でした。

たまたま書店で目についた本から講演やセミナーに参加し、そこで知り合った人や得た情報から、次の展開がありました。

一つ確かなことは、信頼できる方からのご縁でつながった人は、やっぱり信頼できる人である可能性が高い。

その逆もまたしかり、ということです。

長年、生きていると、どうしても自分のコンフォートゾーンというか、枠みたいなものをこしらえてしまい、ものの見方、考え方、行動など、さまざまなものが自分の枠みたいなものにしばられます。

これにしがらみという人間関係の慣性の法則みたいなものも加わるので、精神的に成長することを含めて、人生を変えることはむずかしくなります。

情報、お金、メンター、それらすべて人を介してやってきます。

もし、人生に閉塞感を感じているなら、自分の枠を壊すことを意図して、新たな出会いを求めるのも一つの方法かもしれません。

よき人のご縁など、良質な出会いであるべきことはもちろんです。

8. 全てうまくいく人生の詰まらなさ

「思いが現実を作る」といいます。

思いに、潜在意識も含めるという前提で、そのとおりだと思います。

ですから、コツが要りますが「思い」を自由にできれば、人生は思いどおりになります。

しかし、なんでも思い通りになるゲームは、実はすごく詰まらないものです。

ゴルフの名プレーヤーが、「すべてうまくいったら、ゴルフは面白くない」という言葉を残しています。

私も若い頃、熱中した時期がありましたが、それはもう全然思った方向に飛ばなくて、悔しい思いをしました。

でも振り返ると、うまくいかないからこそ、あれほど熱心に研究したり練習したりしていたように思います。

ちょっとやっただけでそこそこうまくいくことは、案外飽きるのも早いものです。

翻って、いくら人生が思いどおりになったとしても、人間ほど思いどおりにならないものはありません。

国の偉い人や会社の社長など、多くの人に仕えられているような人でも、身近な奥さんや旦那さんが意に沿わないことをするなど、誰かしらそういう存在はいるものです。

大きな視点からみれば、それこそ、自分の成長ポイントであり、天の配剤とも言えるのでしょう。

人と接する醍醐味は、自分とは異なる価値観、考え方、バックグランドを持っているので、わりと少なくない頻度で思いもかけない反応が返ってくるということです。

自分の正しさにこだわっていると、相手を否定したくなったり、イライラする気持ちが湧いてくるかもしれませんが、違いを楽しむという心構えでいると案外平気でいられるものです。

思いもかけない他人の考え方を知ることで、視野が広がり、多様な視点を持つことができます。

悟りというのは、偏見なくあらゆる角度からの考え方が見えており、すべてをありのままフラットに捉えられるということですので、このような視野の拡張こそ、悟りに近づくための有効な手段なのです。

9. 今の時代のメリット

過去のおいては、家庭、職場、交友関係などで人間関係は固定化する傾向にありました。

自分と同じような嗜好を持った人を見つけるのは、今ほど簡単ではありませんでした。

趣味など社会的にわかりやすいものであれば、まだしもでしょう。

釣りとか、登山とか、バイクとか、分野別に雑誌も刊行されているので、その気になれば同じ趣味の集まりを見つけることは可能です。

ところが、悟りや自己成長など、内面に関わることは外側からでは見分けがつきません。

しかも、一見同じようで実は本質が異なるという、似て非なるということも多くなります。

たとえば、スピリチュアルな傾向のグループだったとしても、主体的に人生に活用する目的で活動しているのと、現実から目をそらすため一種の逃避先としてスピリチュアルを利用するのでは、真逆といっていいほどの違いがあります。

こう書くとわかりやすいですが、言ってることとやってることが違う場合などもあり、実際には、ある程度相手を深く知る必要があります。

その点、現在の状況は恵まれています。

インターネットのおかげで、距離を超えて同じ考え方の人を知ることができますし、ブログやSNSで日々の発信や行動を一定期間追いかけると、見かけだけでない、その人の本質を掴みやすいからです。

もちろん、ネットでも上手に外向けの顔を作っている人もいるので、会ってみないことにはというのも事実でしょう。

しかし、相手やグループの名前だけで、判断していた時代に比べれば、比較にならないほどの事前情報が簡単に得られることはたしかです。

10.まとめ

以上見てきたように、「人は人で磨かれる」は悟りや自己成長にとって、まさに的を射た表現かもしれません。

悟りが人間性の最高峰の高みを目指すものだからこそ、それも納得がいくように思います。

悟りや自己成長というと、内面に向き合うとか、自己を律するとか、どこか一人で取り組むイメージがあります。

けれど、所詮人は一人では生きられないのも紛れもない事実です。

独力にこだわらず、他人の力も借りながら、お互いにお互いを磨きあい高め合えると、自分にも他人にも社会にも、より多くの実りがあるのではないでしょうか。

以上

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この記事を書いた人

祇場 駿矢(しば しゅんや)
幼い頃から「人は何のために生きるのか」「人はどこからきてどこへ行くのか」「ここは自分がいる場所ではない」などと考える子供だった。

ところが、昭和の成功の常識に染まり、京大法学部からメガバンクに。バブル崩壊からITバブル、リーマンショックなど日本経済の栄枯盛衰を経験。

忙しい毎日を送りつつも、目に見えるモノ(物質、金銭、地位、肩書き)では、決して心が満たされることはないことに気づく。

世間的なうたかたの価値に見切りをつけ、人間が生きることの本質的価値を探究して2014年に銀行を退職、起業する。

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