人生は選択の連続と言います。ランチで何を食べるかといった毎日の小さなものから、進学、就職、結婚といったその後の人生を左右する大きなものまで、無数の選択で人生は決まっていると言えるでしょう。
さらに進んで、無意識の選択、不作為(何かをしないこと)を含めると、人生はすべてが選択と言い切っても過言ではないかもしれません。
そんな大切な選択について、迷いの森に入り込まないために、多くの人が知らないこと、知っておくといいことをまとめてみました。
1.選択について予め知っておくといいこと
人間の心には、共通する癖のようなものがあって、当然ながら選択に影響を及ぼします。これをバイアス(偏り)と呼びますが、知らないと気づかないまま影響を受けてしまいます。
心理学の研究などにより判ってきた心の傾向やその構造を知ることで、迷いから脱してより適切に選択しやすくなります。
(1)人は自分が選んだものを好きになる
こんな実験があります。
A~Eまでの5種類の異なる絵があり、被験者にその絵の写真を好きな順に並べてもらいます。
わかりやすくするために、1番目から5番目まで
A B C D E
の順だったとします。
その後、3番目と4番目の絵のどちらかをプレゼントすることを告げます。
そうすると、ちょっと迷うかもしれませんが、普通はより好きとした3番目を選びます。
そして、何週間かのち、もう一度、A~Eを並べてもらいます。
そうするとどうなったか。
A C B E D
(元の順位) 1 3 2 5 4
と並べる人が多かったそうです。
つまり、自分が選択したCをより好きに、選択しなかったDをより好きではないとしたのです。
これは自分の選択が正しかったのだと思いたい、という心理からくるものということです。
多少迷っても、選んで決めてしまえば、それなりに満足できる方向に心が後押ししてくれるということかもしれません。
(2)選択肢が多い(ある)方が幸せとは限らない
実は、この実験には続きがあります。
前の実験で、3番目と4番目の絵から1枚を選択したあとに、1週間は交換可能という条件を追加するバリエーションの実験です。
するとどうなったか。
選んだ絵が好き(満足)という人の比率が大幅に低下したそうです。
つまり、Cがいいか、Dがいいか迷い続けることでそれが悩みのタネとなり、その原因である絵も好きではなくなったのです。
そして、交換可能な期間が終わってもCの絵の好感度が上がることはなかったのです。
選択肢があることでかえって幸せが減ってしまった例です。
私たちは、選べないよりは選べた方がよいに決まっていると考えがちですが、そうでない場合もあるということです。
(3)背負いきれない選択は幸せを遠ざける
次は、未熟児で生まれた脳無酸素症の赤ちゃんを亡くした両親へのインタビューで判ったことです。
その人たちは、子供が生まれて2日ほどのち医師から選択を迫られました。
人工呼吸器を外すかどうか。
外すと数時間で子供は亡くなります。
延命措置を続けた場合は、数日で亡くなるか、もし生き延びたとしても一生植物状態、 歩くことも、話すことも、人との交流も不可能です。
そして、いずれのケースも、生命維持装置は外されて子供は亡くなりました。
フランスでは生命維持装置を外すべきか、またその時期は医師に委ねられました。米国では最終判断を下すのは親でした。
米国人は小さい頃から、人生の選択は自分で行うべき、それは素晴らしいことであると教えられて育ちます。
そして、重要な選択に背を向けるべきではないとも。
我が子の喪失と向き合う上で、このことはどんな影響があるでしょうか。
1年経っても、米国人は9割近くがこの我が子を失った体験をネガティブに捉えていました。一方、フランスでは、3分の1近くがポジティブでした。
フランス人の親には、こんなことを言った人がいました。
「息子と過ごした時間は短かったけど、たくさんのことを教えてくれた。新しい人生観を与えてくれた」
一方、米国人の親たちはこんなことを言ったそうです。
「もし他の選択をしていたら・・・」
「ドクターの意図的な拷問としか思えない。なぜあんなことを私にさせるの」
「死刑執行に加担した、そんな心境です」
多くの人がうつ病と診断されていました。
でも、米国人の親は医師が決断した方がよかったかと尋ねられると、全員ノーと答えました。
彼らはその選択を他者に委ねることは考えられない、たとえ、罪悪感や怒りに苛まれることになったとしても、と言いました。
インタビューの結果も、選択自体については、真逆の結果となりました。
選択に対する感情は、米国人の3/4が肯定的だったのに対して、フランス人で肯定的だったのは1/3程度にとどまりました。
つまり、フランス人の親は、医師に委ねたことは必ずしもよしとしてはいなかったけれど、我が子を失うという最悪の出来事を乗り越えつつあった。
それに対して、米国人の親は、選択から逃げなかったがために、体験に打ちのめされてしまう人が多かったということです。
(4)選択に対する適正な態度
以上のようなことから、どんなことを感じるでしょうか。人それぞれだとは思いますが、こんな気づきがあるかもしれません。
(1)や(2)からは、自分ではきちんと選択したつもりでも、人の心の性質上、それは案外いい加減なものかもしれないということ。もしかすると、正しい選択ということ自体、幻想かもしれません。
(3)や(2)からは、選択は万能ではないということ。なんでも自分が選択することがいいとは限らないし、選べればいいものでもない、ということに気づくかもしれません。
一方で、選択する側の資質というのもあるでしょう。自分のキャパシティを超えてしまい、選択に押しつぶされかねないケースでも、人としての器、感性と知性に裏打ちされた総合的人間力とでもいうべきものが備わっていれば、的確に選択できるのかもしれません。
人生でシビアな選択をいつ迫られるかは神のみぞ知るというところですが、日頃から自分を磨いておくに越したことはないでしょう。
次項では、より的確な選択をするために、どのような点に留意すればよいかを見てみます。
2.選択に直面した際に役に立つこと
(1)選択肢は無限と考えてみる
選択肢には与えられるものと、そうでないものがあります。与えられる選択肢は限りがありますが、実は自分で作り出せば無限にあります。
中には荒唐無稽なものもあるかもしれませんが、実行可能どころか、最も有効なものであっても、思い込みがあると最初から除外してしまうということも起こりがちです。
馬鹿馬鹿しいと感じるものであっても、あえて枠を取り払って柔軟に考えることで、いつもと違うパターンで神経回路がつながり、素晴らしいアイディアが生まれることがあります。
2者択一で優劣が拮抗し、どちらも選択しかねるような場合でも、新しい第三の道が、問題点を解決した、いいとこ取りのベストの選択を可能にするということもあるかもしれません。
また、これは上で述べた選択肢が多いのはよいとは限らない、という点と矛盾しません。
日頃から多くの可能性を柔軟に考えるということは、実現性がなかったり得策ではない選択肢を切り捨てる作業に慣れるということでもあります。
処理能力が向上すれば、選択肢が多過ぎたり、選択肢があることで、選択できなくなったり、迷いに迷って悩んでしまったりすることも少なくなるでしょう。
(2)選択に損得はない
通常、人は損得を考えて選択を迷います。
ということは、損得がなければどちらを選んでも同じということになります。
もしそうだとしたら、選択で迷うことの悩みはほとんど解消するかもしれません。
なぜらなら悩む原因は、間違った選択をしたらどうしよう、損したらどうしようという恐れに起因するからです。
でも、損得はないって、本当なの?と思われることでしょう。
それが本当なのです。
聞かれたことがあるかもしれませんが、万物のすべてはニュートラル(中立)だからです。
この陰陽のバランスは、どんな物事にも当てはまります。
私が以前携わっていた心理メソッドでは、ネガティブに捉えて心を塞いでいる出来事に対して、本人にとってのポジティブな面を探していくと間違いなく見事にバランスするのです。
このメソッドは世界中で行われているのですが、レイプや殺人などの犯罪、交通事故で子供を亡くすといった極限的な出来事でさえ例外ではありません。
起きてしまったどんな出来事も、損得、有利不利、好都合不都合ということはなく、最後はそのままであっていいと受け入れ、感謝に至ります。
ということは、どの選択肢を選んでどのような結果になったとしても、同じことが当てはまるのではないでしょうか。
逆に言えば、必要なことしか起きないということも言えます。
問題は何を選ぶかではなく、自分がその結果を引き受けられるかどうかです。
他人のせいにしていては、どちらを選んでも結果は不幸です。
必要なことしか起きない、すべては自分の責任と受け入れたとき、道が開けるのです。
このことも上で述べた未熟児の両親の話と矛盾しません。
ここで述べているのは、結果を引き受けるられるのは、主体的に選択するからに他なりません。
しかし、上記ケースでの米国人の親の場合、「選択から逃げるべきではない」という社会的な刷り込みによって、選択を余儀なくされたと考えられます。
つまり、主体的に選択したのではなく、させられたから、結果を引き受けられなかったのです。
とはいえ、重大な選択にあたっては恐れが出てきて当然です。
具体的に、選択肢それぞれのメリットデメリットを詳しく見ていき、どちらを選んでも同じというところまでいければ、間違うことへの恐れもかなり軽減できるでしょう。
その方が冷静に視野を広げて物事を見られるので、より適切な判断につながることが多いでしょう。
ただ、どの選択肢も優劣がないとすれば、何を基準に選べばよいのか、困ってしまいますね。
次項では、その基準について見てみます。
(3)選択の基準は価値観
価値観こそが選択の物差しとなるものです。無数に存在する価値観の中から、何を優先するのか、その選択こそが本当の選択と言えるかもしれません。
わかりやすい例で言えば、重なった予定を選ぶのに、家庭を優先するのか、仕事を優先するのか、といったことです。
価値観というのは物差しなので、その物差しを境に評価が生まれます。
例えば、時間という物差しを選ぶと、選択肢ごとに、時間がかかる、短時間で済むといった評価が生じます。
状況に応じて、自分がどの物差しを選択したいのか、どれを優先するのかによって、選択肢は自ずと絞られます。
価値観の優先順位は、損得、有利不利といった観点ではなく、好きかどうか、人生で何を優先するかなど、本来理由はないもので、あえて言うなら、幸せを望むからというところです。
幅広い選択肢の中から、メリットデメリットの両面を見た上で、自分の価値観を明確にして選択を行うことで次のような効果があります。
たとえば、仕事を優先順位1番として持っている人がいるとしましょう。
その人は様々な選択の機会を通して、時間やお金、エネルギーを仕事に振り向けます。たしかに、仕事にはメリットがありますね。
ところが、それをよいことに仕事にばかり資源を投入し続けているとバランスが崩れます。そうし続けると、家族との人間関係や健康の面でデメリットが生じます。
そうすると、幸せ度が下がって、何のために仕事をするのかという疑問がわいて、価値観の修正を余儀なくされるといった具合です。
選択の際、メリットデメリットを検討し、自分の価値観を見直すということは、上記のようなことが実際に起きる前に、修正できるということでもあります。
教訓を先取りして学べば、わざわざ痛い目に合わなくてもいいということなのです。
3.まとめ
私たちは普段何気なく選択していますが、思いの外、人生と密接に関わっていて、選択とどのようにつきあうかが、幸せを左右するものでもあります。
であれば、短期的な損得に一喜一憂するのではなく、中長期的な人生の幸せにつながるような選択に対する態度を身につけていきたいものです。
以上