悟りの窓

魂とつながる日本固有の自己成長の道

“手放す生き方”のススメ

“手放す生き方”のススメ

このサイトは、あなたが自分の真の価値に目覚め、新しい明日の自分で生きていくキッカケとなることが目的です。

自分を成長させて本来の自分に目覚めることを「悟り」と考え、タイトルを「悟りの窓」としました。

それは、余計なモノを手放して、一番大事なモノに集中していくプロセスです。

手放す対象は、いわゆる物だけではありません。

時間、人間関係、お金などなど、人生全般にはびこる「今のあなたにとって不要なモノ」すべてです。

では、人間にとって一番大切なものとはなんでしょうか?

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わたしは、宇宙の生命の根源とつながりを強め、大いなる存在からいただいた生命の目的を果たすことだと思っています。

といっても、むずかしいことではなく、どんな自分も受け容れて自分を愛し、自分らしく人生を楽しむ生き方として表わされるものです。

そのために、最初の一歩として“手放す生き方”をオススメしています。

何を「手放す」のか?


繰り返すと、手放すモノとは、今のあなたにとって必要のない、あらゆる余計なものです。

そもそも、目の前の人や出来事につい振り回されてしまうのはなぜでしょう。

一番大事どころか、どうでもいいものであることさえよくあります。

その理由は、結果が欲しいからかもしれません。

こうじゃないと困る、嫌だと思い込んでいるからかもしれません。

誰しも経験があると思いますが、欲しい結果に執着すると苦しいですよね。

だから、「結果への執着」を手放しましょう。

また、こうでなければならないという類の「思い込み」も手放しましょう。

ついでに、「結果そのもの」も手放していけるといいですね。

すべてのことは移り変わり、いつもあなたにとって最善のことしか起きませんから。

すると、未来への不安、過去への執着、現実逃避も手放して、今ここにいることができます。

自分はこういう人という「アイデンティティ」も、過ぎれば自分を縛る檻となります。

そうやってどんどん手放していくと、身の回りが、今の自分にとって必要なもの、適切なもの、快いものだけになります。

するとあら不思議、今まで不要なもの、不適切なもの、不快なものへの対処や管理へのムダ遣いがなくなるので、自分の中にエネルギーが満ちてくるのです。

手放す生き方は究極の信頼ベースの生き方


「今の自分にとって必要」という基準で選んでいくと、自分の成長につれて、今自分の元にあるほとんどすべてのモノを手放すことになるかもしれません。

しかし、唯一絶対に手放さない、手放せないものがあります。

それは、自分の本質、魂です。(思考で認識するアイデンティティとは違います)

魂は、宇宙の大いなる存在からその一部を授かったものであり、生命そのものです。

だから、どんなことがあっても失いようがないのです。

魂はあなたの存在の核であり、片時も離れず常にあなたと一緒です。

そして、魂とは、小いけれど宇宙の根源的生命であり、等価値です。

だとしたら、全宇宙がバックについているようなものです。

これ以上、安心なことはあるでしょうか。

もちろんそれを信頼するもしないも、あなた次第ですが。

このように“手放す生き方”は、究極の信頼ベースの生き方なのです。

“手放す生き方”のベースは日本古来の縄文古神道

このような手放す生き方についての考え方を読んで、すでに知っているような、どこか懐かしいような感覚を持った方も多いと思います。

それもそのはずです。

手放す生き方のベースにあるのは、日本に縄文の昔から伝わり、日本人の生き方の根幹を成している古神道の教えだからです。

詳しい説明は別に書きますが、私が古神道の考え方を特に素晴らしいと思うのは、次の3つの点です。

性善説

古神道では、人は創造神である天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)の分け御霊(みたま)と考えます。

魂とは「たま(賜)わりしひ」を縮めたもので、「ひ(霊)」とは神の御霊に他なりません。

人間は神の一部をいただく神の子なので、その本性は善です。

生きていくなかで罪や穢(けが)れを受けたとしても、禊(みそぎ)や祓いにより清めれば、もとの神に還ると考えます。

原罪説を取るキリスト教、イスラム教と根本的に異なっていて、人間という存在に対する大きな信頼の元となっているのです。

楽観的で笑いを大切にする

古神道では、明るく朗らかな笑いを一番大切にしてきました。

ウラタノシという古語があります。裏にあるものを大事にする考えのもの、裏にある心が楽しいという言葉です。

そうして、家庭の中に笑いが絶えないような暮らしぶりを尊びました。

それは古事記の岩戸開き神話に象徴されると言われています。

天照大神(アマテラス)が岩戸に隠れ、地球上が真っ暗になっても、神々は深刻ぶりはしません。

神々が集まって、天宇受売尊(アメノウズメ)が神楽を舞います。それもちょっと艶っぽい踊りで、神々がどっと笑ったことで、天照大神は岩戸を開かれるのです。

深刻な場面でも、暗くならず、芸能で遊び、笑いをもって事態を切り開く、それが神道の流儀なのです。

包容力・寛容さ

古神道では、自然全てに神が宿るという考え方をします。いわゆる八百万の神ですね。

ですから、この神、教えが正しい、他は間違っていると否定する排他的なところがありません。

また、「言挙げしない」(いちいち言葉で表現しない)という特徴から、論争しません。

世界中で宗教対立が悲惨な殺し合いを生んできた歴史を振り返れば、評価や判断を手放す考え方が、賢く未来志向的であることがわかると思います。

“手放す”ことのしんどさへの対処

以上みてきたように、手放すことには大変な恩恵があります。

しかし、同時にしんどい要素もあります。

不要なものにしがみついている自分を見るのは誰しも気持ちよくありませんし、得るより先に手放すことは怖くもあります。

そこで、手放すことは、仲間と一緒に行うのが有効です。

自分以外の人の考え方を参考にすることもできますし、不安が生まれたときに支えあったりできるからです。

そこで、“手放す生き方”を実践したい人の集まりとして、「手放す会」というコミュニティを作ろうと思いました。

必要なのは、“手放す生き方”を実践したいという気持ちだけです。

会費等もありませんし、やらなければならないこともありません。

体験や知識を分かち合ったり、お互いをサポートし合うのが目的です。

興味のある方は、「手放す会」詳細ページをご覧の上、ご登録ください。

以上