悟りの窓

魂とつながる日本固有の自己成長の道

お悩み対処法

お悩み対処法

1. 本当の願いは何ですか?

今の世の中、悩みのない人はいないと言われます。
あなたも例外ではないと思います。

悩みはなぜ生まれるのか?
こうなったらいいなという願いが思いどおりにならないと悩みが生まれます。
願いがすべて思うようになることはないため、人生に悩みは付きものなのです。

そして、その願いは人により様々です。

  • もっとお金があったらいいのに
  • 恋人、結婚相手さえいてくれたらなぁ
  • 上司が一番の悩みのタネ、いなくなってくれないかなぁ
  • 成功してあの人を見返したい
  • 世の中が平和であってくれれば

などなど、スケールもジャンルもさまざま。。

けれど、仮に願いが叶ったとしても、喜びもつかの間、また新しい願いに向かって奔走するのが世の常です。
本当に欲しいのは幸せ、それも一時的ではない本当の幸せではないでしょうか。

多くの場合、願いと本当の幸せは、つながっていません。
人は自分が本当に何を求めているのか知らないのです。

2. 誰もが生きづらい社会

前項で見たように、見せかけの願いに翻弄されてしまうのは、今の社会が誰にとっても生きづらいためです。
社会構造がピラミッド型なので、誰もが上を目指して競争に励みます。
でも、競争は誰にとっても苦しく厳しいものです。

その理由は、まず、本来自由で崇高な存在である人は、他人から評価されること自体で傷つきます。
次に、気をぬくと追い越されてしまうので、いつも気が休まりません。

さらに、競争に勝ったら勝ったで、今度はステージが上がり、強者同士での競争が待っています。
理屈の上では、最終的に勝者はただ一人です。
その勝者も、今度は防衛のための戦いが待っています。

祇場が勤めていた会社はメガバンクでしたから、ほとんどが一流と言われる大学の出身者です。
一流大学を出ても、みんながそうだとアドバンテージにはなりません。
倍返しの半沢直樹で描かれたように、常に気の抜けない競争にさらされている風情です。

だからでしょうか。
勝ち組のはずの役員や部長さんたちを見ていると、みんな老けるのがすごく早いんですよね。
勝つためには自分らしさを曲げねばならず、それは魂の望みとは逆なんじゃないかと思うのです。

とはいえ、勝者はつらいが、敗者は一層つらいのもたしかです。
つまり、勝っても負けても、誰にとっても生きづらいのが今の社会です。

3. 悩みの3つの本質

今の世の中は生きづらい。生きづらさから逃れようと、多くの人が的外れな願いを持ってしまう構造が見えました。
これを踏まえた上で、悩みの3つの本質を見てみます。
そこから悩みにどう対処すればいいか見えてきます。

(1)悩みは幻

作家の小林正観さんが名言を残しています。

「問題はない。問題と思う心があるだけ」

あらゆる事象はニュートラルで、自分にとってのメリットもデメリットも実は同じだけあります。
だから、本質的に問題はないのに、心がわざわざ問題と悩みを作り出しているということです。
なんのためにそんなことを?

(2)悩みは暇つぶし

生きづらい世の中ですから、希望もなしに生きていくのはとても大変です。
そこで、「この願いさえ叶えば・・」と偽りの希望(願いが叶っても解決にはならないので)にすがります。

そして、今度はそれが叶わないといって悩んでいるのです。
この事象のもう一段深い意味を探ると、多くの人が人生が前に進まないようにしています。
同じところをぐるぐる回って、限られた人生の時間を浪費することで。

人は変化を恐れる生き物です。悩みに満ちた人生であっても、そこに居とどまりたいのです。
「慣れ親しんだ場所にいれば安全」というのは幻想ですが、そんなものにも支配されやすいのです。

なんだかバカバカしいですね。
そう思えたら、もう一息です。

(3)悩みは宝の地図

さて、ここで私たちは大きな決断を迫られます。

今の場所にとどまるか?

それとも、先に進むのか?

自分を変えたい、変えようという強い思いを持ち、変化への恐れをに向き合うと決めた人だけが先へ進めます。

そのとき、悩みは解消するものではなく利用するものとなります。
悩みがあるところ欲があり、欲しいものが手に入らないという恐れがあります。

そのとき、悩みをなくそうとあくせく動かないようにします。
ぐっとこらえて、自分が何に捉われ、恐れているのかを知る手がかりとして悩みを利用するのです。

そして、あらゆる場面で人生につきものの選択の際、静かに心の奥に問いかけ、恐れが大きい方を選ぶのです。
それは自分の本質や魂により忠実な選択であり、悟りに向かう道と言えます。

4. 悟りは究極の悩み解消法

これまで見たように、悩みに翻弄されて同じ場所をぐるぐる回るのではなく、悩みを利用しようとすることで、悟りの道へと導かれます。

前項で見たように、悟りは究極の魂の目的です。
表面的な願いとそこから生じる悩みの奥にある本当の願いに続く道です。

最後にまとめておくと、表面的な問題や悩みの解決は、実は本当の幸せにはつながらない、堂々巡りに陥るだけのものでした。
そこから抜け出すと決めた者だけが、悩みを超えて真に価値ある魂の目的に向かうことができるのです。

5. おまけ

悟りに関するよくある誤解として、欲を捨てなさいというものがあります。
たしかに、宗教などが説いている修行によって悟る方法には、これが当てはまります。

しかし、現代の悟りの道では、欲は捨てずに満たすものです。
なぜって、それが魂の、そして、神様の願いだからです。

もともと神様の一部だった私たちは、あの世にいてはできない「体験」をしたくてこの世に生まれました。
だから、ネガティブな体験もありはありなんですが、基本的には楽しむためにこそ人生はあります

私たち一人一人が世界を創っているわけですから、そう望むならそうすればいいんです!
いやいや、そうは言ってもと、思うかもしれません。
それは普通のことです。

昔から、欲に身を任すと溺れてしまうとか、身を滅ぼすとか言われてきましたから。
でも、それは見栄だったり、人との競争だったりが動機だからです。

不足、欠乏している(と思っている)自分を満たそうとして欲を追いかけるからキリがないのです。
その場合、いつまでたっても空っぽの自分は埋められませんよね。
そうではなく、魂の目的と一致した方向で欲を満たすのです。

たとえば、上質の素材を使って心を込めて作られた美味しい料理は、体も心も満たしてくれます。
着るものも、身の回りのものもすべて同じです。

そうすると、心身ともにどんどん満たされるので、ある程度で十分満足できてしまうんですね。
Fillzが提唱する悟りの道は、物質的に思いどおりになるのは当たり前、初歩の初歩です。
物質的にも精神的にも豊かさを楽しみましょう!