
最近、仕事にやりがいを感じない。
このところ、そんなふうに悩んでいる人の声をよく耳にします。
そんな時、当の本人にはそう思えないでしょうが、実は生き方を見直す大チャンスなのです。
袋小路に迷い込まないため、その深い意味を探ってみます。
目 次
1.やりがいは幸せに直結している
やりがいの意味を調べると、「物事をするに当たっての心の張り合いのこと」とあります。
ほかには、充足感・手応えといった言い方もあるでしょう。
やりがいを左右するものとしては、自分がした仕事の価値も大きな要素です。
例えば、人の生命を救う仕事に対しては、世間的にも、自分自身も高い価値を見出す可能性が高いでしょう。
また、自分の能力(に対する自己評価)も関係します。
持てる能力に比べて仕事が簡単すぎるなど、能力をいかんなく発揮できない場合は、やりがいも低くなる傾向があります。
一方、仕事に対する他者の評価、そして、報酬などもやりがいを左右します。
報酬とは、必ずしもお金だけに限った話ではなく、相手からの感謝されたり集団における存在価値を認められたり、などを含みます。
このように、様々な要因により規定される仕事のやりがいは、人それぞれと言われる幸せ感を大きく左右する点で、誰にとっても大切なものといえます。
2.自分でやりがいを増す考え方
(1)仕事の価値を深掘りする
やりがいを感じられない大きな原因の一つが、やっていることに意味を感じられないことではないでしょうか。
レンガ職人のたとえ話を聞いたことがあると思います。
同じレンガを積むという作業でも、ただレンガを積んでいる人、建物を作っているという自負のある人、子供たちのための学校を作っていると思っている人で、それぞれ仕事の価値づけは大きく異なります。
たとえつまらなく見える仕事でも、誰かがそれをしないと社会は回っていきません。
想像力を働かせることで、自分一人でも仕事への価値認識を高めることができます。
(2)自分の能力との関連づけ
仕事の内容が自分の能力に比べて簡単すぎるという場合、たしかにやりがいは生まれにくいかもしれません。
しかし、それで腐っていても、一つもいいことはありません。
上司や同僚からの評判も低くなるでしょうし、何より自分の成長に結びつきません。
そもそも仕事内容よりも能力の方が大きいのだから、余裕があるはずです。
その余裕を有意義な方に生かすことができます。
効率化、省力化など仕事のやり方を改善すること。
直接の仕事以外でも、職場の空気に気を配って働きやすい雰囲気を作ること。
開かれた可能性を自分から探ることは、自分のスキルや能力アップにつながることでしょう。
(3)主体的に仕事に関わる
上記二つにもその要素が含まれますが、要するに当事者意識を持って、主体的に仕事に関わることが大切なのです。
他人からの評価や報酬などは必ずしも自分の思う通りになりませんし、むしろその方が多いかもしれません。
そんな時でも、仕事に対してどう関わるかは、自分一人で決められます。
元南アフリカ大統領のネルソン・マンデラは、政治犯として26年間独房につながれましたが、時の権力も彼の心の自由までは奪えませんでした。
思うようにならないとき、被害者意識全開で、うまくいかないことをすべて他人のせいにすることもできます。
一方で、理不尽に思える出来事も自分で責任を引き受けて、自分のできる範囲のことに精一杯励むこともできます。
ネルソン・マンデラがそうしたように。
どちらを選ぶのも自分次第ですが、どちらが心の張り合いであるやりがいを高めるかは言うまでもないでしょう。
3.やりがいがあるはずなのに感じられないとき
上記のような観点でチェックしてみて、いかがだったでしょうか。
努力する余地が見つかったなら、まずはそこに注力できるといいですね。
一方、すべての項目をクリアしていたとしても、どうしても今ひとつやりがいを感じられないケースも、実際に存在します。
見極めはむずかしいですが、100%自分で責任を取っていて、周りからも評価され、金銭的な報酬も十分など、客観的にみても充実しているはずなのに。
あるいは、以前はとてもやりがいがあったし、環境は変わっていないのに、最近どうしても以前のようには思えなくてモヤモヤしてしまうなど。
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英語で「コーリング(Calling)」というと、天職を意味します。
もともとはキリスト教で神から与えられた使命、召命という意味から転じたものです。
仕事のやり甲斐を失うときは、「神様から呼ばれている」タイミングなのかもしれません。
といっても、宗教的、あるいは、地に足のつかないスピリチュアルな意味ではありません。
人間にとって、一番大事な原点に戻りましょうというサインです。
多くの人が仕事に求める報酬、すなわち、お金、肩書き、他人の賞賛などは、いずれ手放す必要があります。
どんなに遅くとも死ぬときには、そうしなければなりません。
結局、やりがいを失くすとは、うたかたを追い求めるゲームを卒業した証ということです。
いずれ失われる“どうでもいいもの”よりも大切なこととは、“人間として磨かれること”です。
魂の成長といってもいいでしょう。
魂は不死なので、死んでしまっても失われません。
もとより科学的に証明することも、ましてあなたを説得することはできません。
自分の心に深く問いかけて、かんじるのみです。
4.まとめ
人が幸せに生きる上でたいせつなやり甲斐。
仕事にやりがいが感じられないときは、自分の生き方を見直して軌道修正するチャンスです。
その修正は、多くの人が求めているお金や社会的な評価など世俗的報酬の範囲で済むこともあります。
けれど、もはやそれらに興味がないとしたら、今までの枠を超えて、自分の本当の思いに向き合うべき時かもしれません。
以上
追伸 すべての答えは自分の中にあります。けれど、慣れないうちは答えを導くのに時間と労力がかかるもの、他の助けを借りるのも選択肢です。そんな方は以下リンク先をご覧ください。