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目黒の虐待事件で切に願うこと〜尊い犠牲に報いるたった一つの方法

約 16 分
目黒の虐待事件で切に願うこと〜尊い犠牲に報いるたった一つの方法

先日東京目黒で起きた両親による5才の女の子が虐待された末に幼い命を奪われた事件が社会にショックを与えています。

連日TVのワイドショーでも取り上げられ、紹介される写真の女の子の可愛らしい様子と、なによりノートに綴られた許しをこい助けを求めるけなげな文章に心を痛める人が多いのでしょう。

私も子を持つ親として本当に悲しい気持ちになりますし、父などは、「かわいそうで見てられない」とすぐにTVを消してしまうありさまでした。

亡くなった女の子の御魂が安らかであることを心から祈りたいと思います。

とはいえ、TVの報道やネットでの反応を見るにつけ、違和感を覚える方もまた多いのではないかと推測します。

違和感の正体と、どうすればこの尊い犠牲に報いることができるのかについてまとめてみました。

1.怒りや憎しみからは何も生まれない

(1)尊い犠牲に報いるために

TVによる報道が、このような悲劇が起きたことを多くの人が知るために有益であることは疑いがないでしょう。

救いようのないひどい状況と亡くなった女児の無垢で愛らしい様子が繰り返し映し出され、出演者は時に涙を流して悲しんで見せ、一様に加害者を非難します。

それを見た視聴者も同じように、女児のために泣き、加害者を許せないと断罪する。

ネットでの反応を見ると、加害者に対する激しい言葉が溢れています。鬼や悪魔と比べたり、人ではないと言ってみたり。

極刑に処すべきという意見や、ひどいのになると父親の親族まで罰せよといった明らかに行き過ぎの過激な意見も見られます(江戸時代か!)

この悲しみと怒りを誘うような材料を投下して、視ている側が激しい感情の炎を燃え上がらせるという一連の流れをみるにつけ、言葉は悪いですが、悲劇を題材とした一種のエンターテインメントにさえ思えてくるといったら言い過ぎでしょうか。

少し前までは日大アメフト部の悪質タックル事件でしたが、実際に起きた事件をしつこく取り上げて、視聴者が飽きるまでしゃぶり尽くす構図のようにも思えます。

そうして、その事件についての追加情報というか、新しいネタがなくなると飽きられます。その点、日大事件は秀逸でした。学生本人の会見という予想外の展開があった上、例の司会者や学長など新しい炎上ネタが続きましたから。

飽きられた事件はほどなくして忘れ去られてしまいます。まさに事件のショー化であり、消費財のような扱いです。果たして、それでよいのでしょうか。

この事件は、亡くなった子の心情を垣間見れるノートの存在であったため、見る者の心を揺さぶる要素が特に多かったということかもしれませんが、実際に悲惨な虐待事件は日本中でものすごい数が起こっています。

児童相談所が対応した案件だけで、年間12万件という数だそうです。不幸にして亡くなる子供も少なくなく、毎年50人前後が虐待により命を落としています

この事件が知られることをきっかけに、そうした虐待による悲劇を減らすことこそ、尊い犠牲に報いるたった一つの方法ではないでしょうか。

しかし、報道を見る限り、残念ながらそうした方向には向かいそうもありません。

起きてしまった虐待をいかに見つけ出し、加害者である親から引き離して子供を保護するか、といった制度や児童相談所の働きにのみ焦点が当たっている感じです。

もちろん、今現に苦しんでいる子供たちがいる以上、喫緊の課題として早急に対処する必要があるでしょう。

でも、残念ながらそれは対症療法です。起きてしまった虐待をやめさせるための緊急避難的な措置でしかありません。

そして、怒りや憎しみからそのような動き方をすることが、新たな悲劇を生むことにつながるのです。

(2)10年前のイギリスで起こったこと

私たちはそれを他国の例から学ぶことができます。

約10年ほど前にイギリスで起きた、母親とその恋人、母親の兄による虐待で、1才5ヶ月の男の赤ちゃんが亡くなった事件です。

この時は、ソーシャルワーカー(児童相談所の職員のような立場)に非難が集中しました。あろうことか大手新聞が担当者と組織の委員長の実名と写真を電話番号付きで紙面に掲載し、その他新聞も大々的に非難したのです。

最初の新聞社は、この二人の解雇を求める嘆願書を作成し、160万人もの署名が集まったそうです。役所には群衆が殺到し、委員長とその娘には殺害の脅迫や予告まで行われるという騒ぎに発展しました。

過剰な騒ぎになったものの、それでソーシャルワーカーの仕事ぶりが改善されるだろうと人々は思ったそうです。

ところがそうはならなかったのです。

ソーシャルワーカーの辞職が急増し、必要な人員が確保できなくなったり、多くの欠員が発生する事態となったそうです。

残った職員が担当する案件の数は増え、当然ながら、きめこまかなケアはむずかしくなります。

しかも、あとで責任を追及されないために、自分の管理下の子供たちに対して、強引な介入、つまり、親から引き離すことを行うようになったそうです。

裁判所は事案の処理に追われ、多額の財政負担も発生したということでした。

保護された子供は里親に預けられるのですが、保護案件の急増により、それまでより質の低い家庭にも里親としての承認が与えられるようになっていったそうです。

その結果、本来の家庭から引き離された子供たちは、心身に大きなダメージを抱えることになりました

すると、今度は、メディアはそれまでとは逆に、「愛する子供を無理やり奪われる母親のストーリー」を報道し始めたのです!

中にはこんな見出しもあったそうです。

「子供をあやしただけで虐待疑惑!引き離されるのを恐れて逃避行を続ける母娘」

日本のマスコミを批判する人が多いように感じますが、これだと日本よりずっとひどい感じですね。とはいえ、日本でも同じようなことが起きないとは言い切れないのではないでしょうか。

怒りや憎しみを原動力に、不信の連鎖が続くと何が起きるか、わたしたちが学ぶべきことは多いように思います

2.根本的な問題の改善に向けて

対症療法は問題の発生を抑えるものではありませんし、憎しみや怒りに押し流されて行きすぎるととんでもない弊害を生むことがわかります。

そのためには客観的で冷静な目を持つことが大切です。

(1)原因に目を向ける

対症療法ではなく、根治を目指す場合に欠かせないのが原因を特定することです。つまり、このような虐待を生み出すものがなんなのかを考えてみることが大切です。

今回のニュースに対して、多くの人が親として信じられない、許せないという声を耳にしました。

そこには親であれば子供に愛情をかけるのは当然であるとか、幼い子供は守ってあげるのが人としてのごく普通の姿であろうという期待があります。

当たり前のことですよね。

でも、その当たり前のことができなかったのが、今回の両親です。

そして、それは今回に限った極めて特殊なケースではなく、この日本で年間12万件も発生していることなのです。

ここから先は今回の具体的なケースではなく(具体的な事情は報道だけではうかがい知れないので)、一般的な虐待案件に関する考察として話を進めていきます。

①家族構成の変化

虐待発生の背景のひとつとして、核家族化があげられるでしょう。

父親の育児参加についての意識は高まりつつものの実態はまだまだのように思われるし、そもそも仕事をしながらですからやれることにも限界があります。やっぱり子育ては母親一人に集中することになります。

母親の7人に1人が産後うつになるというデータもあるそうですが、生まれてしばらくの子供の世話は本当に大変です。

授乳にオムツにとにかくまとまって睡眠が取れないので、体力的にとてもきついです。

うちの場合は産前産後しばらく実家で過ごし、戻ってきてからも母親が手伝いにきてくれたりしたので大いに助かったものです。

それに初産だと子供の体調やお世話など、ちょっとしたことで心配になることが多く、経験者がそばにいないことの不安もバカになりません。

大家族であれば、祖父母や叔父叔母などが面倒を見たり助言をしたり、母親の負担はかなり軽減されることに比べたらその差は著しいと言えます。

その上、公園デビューという言葉に象徴されるように、ママ友同士、子供同士の同士の付き合いは、とても神経を使うようです。狭い世界で逃げ場が少ない人間関係として非常にストレスフルです。

さらに子供のしつけや教育をどうするかなど、それらを1人で背負わされる母親は本当に大変だと思います。

男親が育児を自分ごととして関わるなら少しは緩和されるかもしれませんが、本人はやっているつもりでも母親からみたら全然ということもあるように思います。

ましてや、今回のように父親が育児に参加するどころか家族に暴力を振るような場合、救いがない状況となってしまいます。

 

それでは、この戦後急速に進んだ核家族化はなぜそうなったのか、ということを考えてみたいと思います。

戦後民主主義が家というしがらみから個人を解放し、家や共同体という面倒な縛りから逃れたいという個人の思いの現れであったことと並行して、戦後の経済復興のためという目的があったことは否めません。

世帯が別になることで、住宅も、車も、家電も、すべてにおいて多くの需要が生まれことになりました。

おかげで日本は戦後の焼け野原から世界第2位の経済大国へと奇跡の復興を遂げました。

一方で、経済優先で富や物質的な豊かさを追求した結果、このような弊害を生むことになったのです。

だからといって、虐待をなくすために戦前のような大家族に戻りましょうと主張したいのではありません。

好きなように生きることの自由さを知ってしまった人々が、いまさらそれを受け入れるのは現実的ではないでしょう。

経済優先、物質的価値優先の歪みが大きくなりすぎているのは虐待の問題に限ったことではないでしょう。

そこにこの問題を少しでも良い方向に向かわせるヒントがあるように思います。

②世代連鎖

もう一つ、虐待の原因についての別の視点です。

虐待の問題について調べていくとある事実に直面します。

それは加害者である親が、かつて虐待されていた子供であったという事実です。

虐待に限らず問題のある家庭であったケースを合わせれば、相当な割合になるのではないでしょうか。

加害者はかつての被害者であり、今は被害を受けている子供も、大人になって子供をもうけたとき、自分の親と同じようなことをしてしまうということです。

これが世代連鎖と呼ばれる現象です。

ここに加害者を糾弾することが本当の解決とは程遠い理由があります。

虐待は罪ですが、その罪を犯させたのが一体誰かということです。「罪を悪んで人を悪まず」という言葉のとおりではないかと思います。

実際、イギリスの例にあるように親から引き離された子供は、心身に深い傷を負ってしまいます。

子供は虐待するような親であっても、やはり親を愛しているからです。

ソーシャルワーカーが本来なすべき仕事は、カウンセラーなどと連携して親の心をケアし、親が親としての役割を果たし家庭が子供にとって安心できる場となる手助けをすることだと思います。

しかし、現状では、意識の面、人材面、人員面、いずれをとってもむずかしいことなのでしょう。

いずれにしても、親が子供の頃のつらい体験や気づいた心(トラウマと呼ばれます)が、本当の原因であると知る必要があるでしょう。

虐待の原因は過去にあり、世代を超えて連鎖が続いているのです。

(2)内面的成長を重視する社会への価値の転換

虐待の原因がトラウマ(幼少期の心の傷)の世代連鎖だとすると、対処法が少し見えてきます。

核家族化を推進した価値観、すなわち、経済優先、物質的豊かさ優先の価値観を見直すことです。

物質的な豊かさの追求はもう十分、心の豊かさこそ重要という声はよく聞きます。

しかし、世の中全体ではまだまだ大きな流れとなっていないのが実情です。いったいどうしたらいいのでしょうか。

たしかなことは、内面を変化させるのは、表面、すなわち、生活の形を変えるよりさらに大変ということです。

外側を変えるのは本人でなくてもできますが、内面の変化はそうはいきません。

身体はたとえ牢屋に閉じ込められても、精神は不服従ということさえ可能です。ですから、政治のようなトップダウンでは無理があるのです。

草の根の社会運動のようなかたちで、気づいた人から考えを改め、行動に移していくよりほかありません。

エンリケ・バリオスが書いた「アミ 小さな宇宙人」という有名な小説がありますが、その続編の中で、地球内部の高次元の都市シャンバラに存在する高次元のマスター的存在シルクがこんなことを言っています。

個人が内的成長を遂げるために努力することによってのみ、人類全体が進化していけるのだ。

「アミ3度目の約束」エンリケ・バリオス著

本当にそのとおりで、一見遠回りのようで、これが一番確実だし早い方法です。

私たちが暮らしているこの社会も人類の一部である以上同じですし、規模が小さい分変化するのもたやすく早いです。

このやり方が有効な理由は、私たち一人一人の意識は、深い部分でつながっているからです。個人の意識の最深部である魂をとおしてつながった先が、集合意識と呼ばれます。

個人の意識の変化は集合意識に微細なレベルで影響を与えていますが、個人の意識の変化がある一定割合を越えると、集合意識において急速に顕在化していくことが知られています。

亡くなった船井幸雄さんが、「100匹目の猿」現象として紹介されていました。ご存知ない方のために説明すると、離れ小島の猿の群れで、海水で芋を洗うという習慣が広まると、行き来のない別の島に住む猿の群れにおいて、ほどなくしてその習慣が伝播したというものでした。

また、ある都市において一定人数がある期間、超越瞑想(TM)という瞑想法(の上級バージョン)を実践したところ、その期間中だけ、犯罪発生率が統計上有意に減少したという調査もあります。

ちなみに、一定人数はルート(√)1%ということです。1億人の集団であれば、1%が100万人、その2乗根(√)ですから1,000人となります。

この1,000人を多いと見るか、少ないと見るかは人それぞれかもしれませんが、私は少ないと感じました。

1,000人の意識が変われば、日本全体に目に見える影響を及ぼすことができるわけです。一人一人の力は大きくないようにも思えますが、人の本気の思いは案外軽くみることはできないと感じました。

(3)内的成長とはトラウマの世代連鎖の解消

それでは、内的成長とは何を意味して、具体的に何をすればいいのでしょうか。

まずなんとかすべきは、世代連鎖の元凶である心の傷、トラウマです。

トラウマとは何かを考えるにあたって、正常な心の発達プロセスを考えてみたいと思います。

人は生まれて思春期を終えるころまでに、親をはじめとする養育者から(必ずしも親でなくてもよい)、無条件の愛を受けて成長するのが理想です。

そうして、成長した子供は、自分の存在そのものに価値があることを潜在意識レベルで深く知ることができます。

つまり、「自分は価値のある人間で、他人から愛され尊重されるに値する」という基礎信念が形成されるのです。

この自分の存在に対する認識は、自分の感じることや感情、考えること、他人からどのように扱われるかなど、自分に関わるすべてに関係してきます。

これが満たされると、思春期ごろには、心身ともに能力が高まって、精神的に自立することができるのです。

つまり、自分で自分を愛し、満たすことができる状態になります。

これは他人からエネルギーをもらわなくてもいい状態で、例えるなら、永久発電機関を自分の心の内に備えるようなものです。

(4)トラウマの影響は他人事ではない

しかし、現代社会では、あいにくこのような理想的な条件下で育つ子供はほとんどいないのが実情です。

親の立場で考えればわかるのですが、いつも子供のあるがままを認めて愛することは容易ではありません。

ここにも世代連鎖の原理が働いていて、一般的な親は子供を“使って”自分の欲求を満たすものなのです。

こう書くとえげつない感じですが、残念ながら世の中で普通に行われていることです。

たとえば、親が子供を自分の意のままに動かしたいというのは、支配欲、制御欲求を満たす行動です。

また、子供から必要とされることで、自分は必要とされている、だから、価値がある存在だ、という自己価値を確認したり、承認欲求を満たしている面があります。

これの程度がひどくなると、子供が成長しても事細かにあれこれ口出ししたり、子供の自立を邪魔して親に依存させるように仕向け、子供はスムーズに自立ができずに苦しむことになります。

さらに病的になると、暴力で子供を支配したり、あたかも暴君のように振舞ってなんでも自分の思い通りにしないと気が済まない状態になったりします。

注意したいのは、トラウマの影響は、虐待の加害者である親に限った問題ではないということです。

虐待するような親を自分とはまったく別世界の人間として分離してしまうことで、今回のような事件から何も学べずしたがって成長もできなくなってしまいます。

法律的に線を引く必要があることは認めますが、理想的な心の状態からみれば、誰しも程度の差こそあれ問題を抱えているということで、だからこそ、多くの人が悩みの多い人生を送っているのです。

その原因を端的に言えば、「他人からエネルギーをもらわないと自分が満たせない」という勘違いです。

世の中の問題の大半はこの勘違いに端を発しています。

本来自分で無限に生み出せるエネルギーを限られたものであると勘違いし、そのエネルギーの奪い合うことで、争いが起きているのです。

家庭では、愛し合う男女がお互いに自分のことを100%受け入れてくれるかのような幻想のなかで結婚します。

遠からずその幻想は破れて、自分をもっと愛してほしい、自分のすべてを受け入れて欲しいと要求をぶつけ合います。つまり、愛というエネルギーを求めあって争うのです。

会社では、もっとたくさんの承認が欲しいと、限られたエネルギーを奪い合います。それは業績上位というタイトルだったり、経営者や上司からの寵愛だったり、同僚からの尊敬だったり、ポスト(地位)、肩書きだったりします。

お金も同じで、お金があれば他人から大切にされるし、より安全であるから、より多くのお金を集めようと争います。

もっと大きな単位である国と国との争いも結局は同じで、限られたエネルギーをめぐっての争いに変わりはありません。

このように、個人から国家まで、限られたエネルギーの奪い合いという視点において、まったく同じ争いをしているのです。

トラウマの影響が他人事ではないというのがおわかりいただけたでしょうか。

(5)トラウマの影響をなくすための王道

だからこそ、いわゆる普通の人の内的成長が社会の意識の進化にとって大切であり、虐待のような社会の病理を象徴する問題の根本的な解決になりえるのです。

トラウマの影響をなくすことは、成長過程で得られなかった愛情を自分で自分に与えることであり、いわば育ち直し、ないしは自分自身の育て直しです。

実際には、それは潜在意識、感情、顕在意識と多岐にわたっており、その扱いも異なります。

それらの心の多様な部位を総合的に進化させるのが、このサイトで言うところの「悟り」ということになります。

悟りについて一言で語ることはとてもできませんが、あえていうならば、魂との結びつきを取り戻し、魂の成長という方向に向かうことです。

(悟りの概要については、他の記事もご参考にしてください。)

悟りを開くの意味ー9つの特徴と8つの方法

そして、魂は成長したがっており、いつも私たちに向かって呼びかけてくれています。

外側で起きているように見える争いやこれまでの価値観に惑わされることなく、本当に大切なものに目を向けようと。

今回のような事件も、それを促してくれるきっかけの一つです。

多くの人が自分の魂の呼びかけに気づき、生き方を見直すことができれば、まさに愛想のものである宇宙の望みにかなったものであると言えるでしょう。

3.まとめ

子供への虐待は言うまでもないことですが、今の社会は経済優先主義でやってきたひずみが極限に達しつつあるように思われます。

そのなかでは、子供だけでなく大人も苦しんでおり、余裕がない状態です。

大人が幸せで笑顔でいられる社会であってこそ、子供たちものびのびと明るく成長できるにちがいありません。

多くの人が心の豊かさやその成長に重きを置く、そんな社会を1日も早く実現させたいものです。

以上

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この記事を書いた人

祇場 駿矢(しば しゅんや)
座右の銘は「自分にとっての自分の価値は自分が決める」
自分だけの軸を己の中心に据え、自分を信じて生きることのすがすがしさを伝えています。
普段から物静かですが、悟りや自己成長のこととなると少しおしゃべりになります^^
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