
みなさんは、自分のなかにある弱さに対してどのように感じていますか。
弱さはよくないもの、できたらなくしたいもの、克服しないといけないもの、、、
色々な思いがあると思いますが、概ねネガティブに感じていないでしょうか。
しかし、ここに一つの宇宙の法則があります。
「陰陽はバランスする」
「すべてはニュートラル(中立)である」
「すべての物事にはメリットと同じだけデメリットが、デメリットと同じだけメリットがある」
いずれも同じことを表しています。
とはいえ、なかなかそう思えないのもたしかです。
先日、登山をしているとき、すぐにヒザが痛くなるという自分の弱さから、たくさんの恩恵を受けていたことに気づきました。
身体の痛みは、ダイレクトに苦痛であり不快なので、とりわけメリットを見つけるのがむずかしい事象です。
しかし、そのとき私は、その痛みに感謝すら覚えたのです。
この記事では、そのときの話と他のことへも応用するコツについて書いてみます。
目 次
1.なぜ登山するのか
まず話を始めるにあたり、私にとって登山がどんなものか話をしておこうと思います。
心の成長を目指す人にとって登山が無縁なものではないと知ってもらうためです。
私が登山している目的を一言で言うなら、自己成長のためです。心身を鍛えて、自分を高めるためです。
自己成長のための登山は趣味の登山とは趣が異なります。
だいたい自己成長の仲間と一緒に登りますが、同行者とはほとんど別行動で、全行程ほぼ一人で自分のペースで歩きます。
3、4時間ぐらいの登りでしたら、途中で休憩しません。頂上でおにぎり等を食べて20、30分くらい休んだらすぐ下山します。
食べるのは最小限です。空腹状態の方が、山に満ちているエネルギーを自然に身体が取り込みやすいからです。
登山は想像のとおり決して楽ではありません。つらいことやしんどいこと、不快なこともたくさんあります。
いろんな思いや感情が湧き上がってきます。
しかし、山にいる一人の時間をとおしてそれらと向き合うことで、様々な気づきが生まれ、自分を高めていけるのです。
2.苦しい修行は無意味
よくある誤解が、自己成長のための山登りというと、苦しい修行のように捉えてしまうということです。
しかし、私は登山を苦しい修行としてやっているのではありません。
苦行は苦しさを抑圧してがんばる方向なので、色々と弊害があるからです。
上で述べたように、登山中に浮かんでくる思いや感情は向き合うことで様々の恩恵をもたらしてくれますが、抑圧して感じないことにするとその恩恵は得られません。
かつ、抑圧したものはいつか爆発するので反動が出て思わぬ憂き目に遭うことになります。
ですから、私はいかに楽に登るかを研究しながら登山しています。
関節や筋肉など身体の機能を十二分に、正しく使い、ゆっくり丁寧に登ることで、いかに負担やダメージを軽減できるかに意識を集中しています。
登りは全く苦しくないといったら嘘になりますが、しんどい時はペースダウンして歩き続けながら回復を待ちます。
苦しいと呼吸が浅くなりがちですが、むしろ意識してしっかりと腹式呼吸をすることで、疲れにくくなり、高山病も防げます。
そうやって集中して登っていると、山を歩くこと自体が楽しくなってきます。
すると不思議なもので、ゆっくり登っているのにもかかわらず、結果として短い時間で登れてしまいます。
だいたい標準タイムの7割ぐらいでしょう。これはエネルギーの集中によって起きる現象で、他の作業にも当てはまるのを最近知りました。
3.登山で受け取れるもの
このように、山に登るのは、自分を高めることが楽しいから、また、身体をとおして実感を持って心のことが学べたり腑に落ちたりするからです。
最近の日光男体山への山行では次のような体験がありました。
その2週間前に北海道東部の斜里岳に登ったのですが、気をつけていたにもかかわらず下りでヒザが痛くなってしまいました。
そのあと、2週間後には南アルプスを4日かけて縦走する予定なので、前回の山行でのヒザ痛の原因解明と対策をやっておく必要がありました。
自分なりに斜里岳での失敗の原因と対策を考え、自己成長の師にも質問してアドバイスをもらい、実際に試してみたのです。
すると、結果として、とてもうまくいきました。
一般に誤解されていますが、登山でのヒザの痛みは下山する時ではなく、登る時にすでに原因を作っています。
もちろん昔の私のように、無頓着にドスドスとヒザに大きな荷重をかけつつ急いで降りたらヒザは悲鳴をあげるでしょうが。
要するに、登りでは、身体をどの関節や筋肉を使って持ち上げるかという話です。
重い身体をか細いヒザで持ち上げていたらそれは痛くなるよねということです。
正解は股関節にいかに働いてもらうかなんですが、ポイントは骨盤の使い方にあります。
ちょっとマニアックな話になりますが、お付き合いください。
多くの人のイメージは、極端に言えば、四角い胴体に足がくっついているロボットのようなもので、これだと骨盤はほとんど動かせませんし、実際に固まっています。
正しい動きのなかで、骨盤は前傾や後傾するほか、左右別々に前後にズレたり上下したり、開いたり閉じたりと、実にさまざまで微妙な動きをします。
姿勢というと静的なイメージですが、実際には動きの中でダイナミックに正しい姿勢は刻々と変化するものです。
今回は自分の体の状態を意識しつつ調整することができました。
でも、本当の恩恵はここからでした。
4.ヒザ痛という恩恵・ギフト
(1)ヒザ痛から得ていたもの
そこまではよかったんですが、まだまだ発展途上で荒削りなため、下りの3合目からは右のヒザが痛くなりました。
一歩踏み出すごとに走る痛みは、歩けないほどではないですが、それでもかなり嫌なものです。
ここまでいろいろやってるのにまだ痛むかと、正直ちょっと恨めしい気持ちも出ました。
若い時は無理しても平気だったし、歳を取ってもヒザが痛まない人もいますしね。
でも、そこで気づいたんです。
このヒザが弱くて痛くなるおかげで、自分が得ているものの数々に。
まずはじめに、上記のような正しい身体の使い方。
多くの人がもっと高齢になって腰痛やヒザ痛で歩くのも困難になっています。
もし無頓着なままだったら自分もそうなっていた可能性は大いにあります。
そして、身体への的確な意識と操作は覚醒の重要な要素です。
物質的身体と心や意識、その先の霊的能力はリンクしているからです。
また、友人に頼んで歩き方の講座を開催してもらい、初回の受講生の中から引き継ぐ人が出てくれました。
おかげで、正しい身体の使い方をし、山に登る楽しみをともにする仲間が広がっていること。
それも自分のヒザが弱かったからこそ起きたことです。
さらに、「弱さから得られる恩恵」は身体に限りません。心その他の面に応用できると思いました。
(2)組織や心への応用
「弱さから得られる恩恵」とは身体に限らず、心その他の面への応用が利きます。
たとえば、組織においても同じです。
弱みを持つ部署や人というのはどの会社や組織にもいるものです。
それを切り捨てることは簡単ですが、得策とはいえません。
相対的に弱い部分は必ず一定割合存在するわけですし、それが切り捨てられるとなると、組織内はギスギスしてきます。
むしろ、弱い部分に障害が生まれる原因を探ることで、早期に問題を認識し、根本原因を発見して改善することが可能になります。
心の領域でも同じです。
人前で話すのが苦手とか、こういうふうに言われると傷つくなど、人それぞれ誰しもメンタルに弱い部分を持っています。
(3)弱さにフォーカスしない
そして、対処法として大切なことは、弱さにフォーカスしないことです。
フォーカスするとは何とかしようということ。
まず、弱さをかばってはいけません。
登山ならば、痛むヒザをかばっておかしな歩き方をすると、反対側のヒザや足の他の部分に負担がかかって、今度はそちらを痛めてしまいます。
また、弱い部分を強化しようとするのも、理にかなっているようで実は違うことがわかります。
ヒザの場合で言えば、ヒザの周りの筋肉を必要以上に鍛えてカバーしようとすると。。
予想される弊害として、他の部分とのバランスが崩れることがあります。
間違った歩き方を続けることで、ヒザ以外の弱い部分に負担がいくことになるでしょう。
また、軟骨部分の摩耗などヒザの中でもさらに弱い部分にしわ寄せがいくことも考えられます。
対症療法では根本解決にならないのです。
5.弱さを恩恵・ギフトに変える方法
(1)受け容れる
それでは、弱さを恩恵に変えるにはどうしたらいいでしょうか。
まず、手始めにすべきことは受け入れることです。
どんなに嫌でも、どんなに理不尽でも、理由がわからなくても、目の前のことは必要があって起きているのです。
理由があって、と言い換えてもいいでしょう。
それを認めることで、事象と自分との間に隙間が生まれます。
そうでないと、近視眼的に、弱さにフォーカスした対応に終始してしまいます。
(2)原則に則る
次に、何事にも原則があります。有り体に言うなら理にかなった正しいやり方です。
ヒザ痛で言うと、対策として有効なのは、関節の柔軟性を高めて可動域を広げ、各部の機能を生かせる正しい身体の動きができるようにすること。
大腰筋など骨盤や股関節を動かすインナーマッスル、ハムストリング、広背筋など大きな筋肉の柔軟性を高めて、効果的に働くようにすることです。
いずれもヒザそのものをどうこうしようとはしていないところが注目点です。
各部が正しい動きをするように、痛みという問題が起きているヒザから遠く離れた部分の状態を整えるのがポイントです。
これを心で言えば、こうなります。
悩みを生み出しているのは、現実が思うようにならないこと。
それには法則があります。
たとえば、「すべては自分が出したものが自分に返ってくる」ということ。
だから被害者はいないのですね。
凝り固まって間違った動きをする身体の部位は、心で言えば思い込みや固定観念でしょうか。
加害者を責めたりやり込めたりしてなんとかしようとするのは対症療法と同じです。
上記の原則を腑に落として自分の思いを変えるのが、ヒザで言えば正しい歩き方をするのと同じやり方です。
このよう考えると、宇宙の法則を正しく自分の人生に適用してこそ、痛みや苦しみと手を切り、充実して楽しい人生を送れることが腑に落ちるでしょう。
(3)感謝する
このように考えると、弱みから生まれる問題や痛み、障害とはなんでしょうか。
それを受け入れて原則に立ち返り、正しいやり方を学ぶことで一歩ずつ、健康や幸福に近づくことができるきっかけと言えないでしょうか。
その後ろには、私たちが気づくことを願いつつ、問題や痛みを贈って寄こしてくれる、神、宇宙、大いなる存在の姿が見え隠れしていないでしょうか。
そう考えるとき、私はそんなふうなこの世界の仕組みに、しみじみ深い感謝が湧いてきます。
感謝は、私たちが弱さという神様からの贈り物をちゃんと受け取ったというしるしです。
遍在する愛を私たちが受け止めたときに発生する光が、感謝の波動なのです。
おめでたいなぁと我ながら思いますが、この頃の私は、そんなことで喜べる自分を心から受け入れ、祝福したいと思えるようになってきました。
6.まとめ
以上、文字どおり身をもって、弱さは恩恵であるという体験を記してみました。
一見ネガティブに見えることほど、限りないギフトを背中に隠し持って顕れてくれる。
この世界の慈悲深さ、そして、ちょっと茶目っ気のあるところに、魅了されています。
以上