悟りの窓

ようこそ 最高の自分 という生き方へ

悟りの道こそ皇室が伝えてきた日本古来の人としての生き方の大道だった

約 9 分

悟りについて、仏教の考え方だとか、神道には覚醒や悟りという考え方はないという人がいます。

私たちは神の分け御魂だから、もともと悟っているということのようですが。。

仏教関係者は知らなくても仕方ないとして、神道の人までこんなことを言うのは本当に困ったものです。

だって、どう考えても、人の意識や心は神のレベルから程遠いですから。

エゴの欲望に打ち克てず、お金に振り回され、21世紀になっても、世界のどこかで戦争やテロが続いています。

言葉の定義ではありますが、すべての人が「悟り」に向かって生きるべきと感じます。

その理由を、日本の国の成り立ちから紐解いてみましょう。

1.イザナギノミコトの悟り

古事記・日本書紀の原典ではないかと言われる古代史書「ホツマツタヱ」には、イザナギ(伊弉諾命)が「ヤマト(大和)の悟り」を開くというくだりがあります。

イザナギが、亡き妻イザナミを黄泉の国まで追って行き穢れを受けた時のことです。

イザナギとイザナミは両神(ふたかみ)と呼ばれ、力を合わせて7代目の天神として一度乱れた国を再びまとめ上げるのですが、イザナギは、愛する妻の突然の死を受け入れられず、執着してしまったのです。

イザナギは、ひたすら禊(みそぎ)をして自らの身を清め、本当には理解できていなかった、日本の建国の理念、人としての真実の生き方を感得したということなのです。

その内容がどのようなものであったかも、ホツマツタヱに記載があります。

ヤマトはイヤマト、マトとも言い、「大いなる真実のト(瓊)の教え」という意味です。

「ト(瓊)の教え」とは、初代天神クニトコタチ(国常立神)が定めた日本建国の理念であり、三種の神器の一つ八尺瓊勾玉が象徴するものです。

トヨケ大神(豊受大神、伊勢神宮外宮に祀られている神様)が語ったところによる理想的な国家とは、すべての人民が自分の生を真正面から見据え、生きる価値を見いだすことができる国家であるとのことでした。

生きる価値とは、宇宙を創造したアメノミオヤカミ(天御祖神、記紀には登場しない)が、自らが創り出した生命に与えた役割です。

それは、生まれ変わりを繰り返しながら魂を成長させることであり、我欲に囚われて貪る心を排し、相手の楽しみや幸せを自分の喜びとするような生き方とすることです。

そのような生き方をナガタ(汝がたのしみ)、ナガサキ(汝が幸)と言い、我が先ではなく、あなたが楽しいこと、あなたの幸せを祈りますということです。

そういう魂の成長の場として、日本という国があり、上に立つ者は世のため人のために尽くし、民が安心して暮らせるように、政(祭りごと)を行いなさいということなのです。

2.祈りを通じて天と繋がる

そのためには、どうすればいいのか。その方法もちゃんと書かれてありました。

それが「ヤマト」の「ヤマ」であり、「トの教え」の奥義です。

ホツマツタヱが記述されている古代文字ヲシテでは、『ヤ』のヲシテは天を表わす『丸』と地上に立てられた『アンテナ』を表わし、神に御霊を降し賜ることを祈る行為を意味します。

また、『マ』のヲシテは、その祈りを聞き届けて御霊(みたま)を降し賜る神の御意志を意味するのです。

つまり、祈りを通じて天に在る神とつながり、地上に神の御意志を体現するということが、人としての務めなのです。

やまとことばの「ヤマ」にはこんな意味があったのですね。古来、人々は山を神聖なものとして崇め、ときに神そのものとして祀ってきましたが、それも頷ける話です。

そして、このように天とつながるための手段も、この国にはちゃんと用意されていたのです。

それは、歌(和歌)と禊(みそぎ)です。

歌の道は人の心の内を明らかにし、禊の道は身の内を清浄にする。この二つの道があいまってイヤマト(ヤマト)の道になるということです。

実はホツマツタヱそのものが、すべて五七調の長歌体で書かれています。歌は思いを伝え合う手段であり、お祓いなどの呪い(まじない)としても使われました。

回文といって上からも下からも同じ読みになる形式や、目的によって意味のある文字数が用いられたり、特定の形式を備えた歌なども伝わっています。

目に見えない力を知って、実際に利用していたのですね。

ちなみに、ホツマツタヱは、時系列を前後させてまで、イザナギとイザナミの子であり、アマテラスの妹であるワカ姫の物語から始まっています。

ワカ姫はその名の通り、両神がアワ歌で人民の知性の発展と国の統一を図ったのを助け、和歌の道を発展させた功労者です。

作者が如何に和歌を重要なものと考えていたかが窺えると思いませんか。

禊は現代でも清めるという意味で使われていますが、歌もそうだったわけですね。

そもそも清め(キヨメ)とは、生きる(イキル)を表す「キ」を、よく(ヨメ)する、元気にするということだそうです。

そうやって、心身を清浄にし、天とつながることが意図されたようです。

人間は、しっかりと人生に向き合って、心身を清浄にし(清め)、エゴを超えて互いの幸せを思いやれるように心を高めるために生きることを求められているのです。

イザナギは、国中の人々がこの道を志し、身も心も明るく晴れやかになる時、日本は真にヤマトの国と称えられる素晴らしい国家になるのだ、とこれまた歌を通じて教えてくれています。

ヤマトという国名がどれほど尊いものか、漢字で書く大和の意味以上のものを初めて知って、身が引き締まる思いがします。

「ヤマトの悟り」とは、そのような生き方に目覚め、その道を歩むということです。

ヤマトの悟りを目指す生き方こそ、日本という国に生まれた者の最も大切な務めではないでしょうか。

3.万世一系の皇室を戴く意味

昔、社会科で、国家は力の強いものが周りを従えて、集散離合を繰り返しつつ大きくなって、成立したと習いました。

世界のほぼ全ての国はそうだと思いますが、我が国は違います。

すめらみこと(天皇)の本質は、征服者ではなく、祭祀王なのです。

クニトコタチ以来の神意を受け継がれ、まつりごと(政と祭祀)を担ってこられた家系なです。

その祈りの中身とはどのようなものであったでしょう。

想像がつくのではないかと思いますが、天皇がお祈りされているのは、何をおいてもまず第一に国民の幸せです。

皇室には基本的人権というものはありません。私としての自由や権利を放棄し、自分のことは一切省みず、公(おおやけ)つまり、国民のために居てくださっているのです。

それは今上陛下や皇后陛下、皇太子殿下の折々のお歌や言葉にも表れています。

「公」というもののとらえ方、そして「私」というもののとらえ方というものはその時代時代で変わって来ているわけですけれども、いずれにしても国民の幸福を一番誰よりも先に、自分たちのことよりも先に願って、国民の幸福を祈りながら仕事をするという、これが皇族の一番大切なことではないかというふうに思っています。

平成16年2月の記者会見での皇太子殿下のお言葉

一国の道を選ぶような判断とか、その方法とか、それはやはり、その時のその国の人々の叡智であり、判断であると思います。それに対して皇室というのは、常に「よかれかし」と思って祈り続けるのが大事なのではないか(後略)。

平成3年の皇后陛下のお言葉

以前、元東宮大夫が記した記事の中で、皇后さまがおっしゃっておいででした『皇室は祈りでありたい』という言葉を、よく思い出します。

平成2年の紀宮さま(当時)のお言葉

皇居内にある宮中三殿で行われる天皇陛下が執り行われる祭祀は年に30近くあるそうですが、中にはたいへん厳しいものもあります。

特に元旦の午前5時半から行われる「四方拝(しほうはい)」、「歳旦祭(さいたんさい)」は、私たちが年越しで浮かれて寝床にあるうちから、暖房もない宮中三殿で重い伝統的な装束をつけられて儀式に臨まれるそうです。

明け初むる賢所(かしこどころ)の庭の面(も)は雪積む中にかがり火赤し

平成17年の歳旦祭の様子を詠まれた御製(天皇の御歌)

元日朝の祭祀においては、皇族のみなさまも、皇居の方角の窓を開け放ち、儀式が終わるまで共にお祈りになられるということをお聞きしました。

恥ずかしながら、私は今までこの国で生きてきて、このような話をつい近年まで知りませんでした。

報道機関には、こんな大切なことをこそきちんと伝えてほしいものです。

毎朝のお祈りは、9世紀の宇多天皇の頃から始まっていたそうで、その後、一日も欠かさず続けられ、現在も宮中三殿で代理の侍従がお参りしている間、天皇もお祈りされているのだそうです。

わが国は神国です。ですから毎朝、四方の大・中・小の天神地祇を拝むのです。このことは、今日から始めて、以後、一日も怠りません。

仁和4年(888年)の宇多天皇の日記より

天皇陛下のお姿を目にするだけで、国民が心を打たれ、涙する人さえ少なくないのは一体なぜでしょうか。

生涯を通じて国民の幸せを一番に思って祈りを捧げ続けてこられたあり方が、御聖徳として言葉を超えて感じるからではないかと思います。

まさにヤマトの道を自ら歩かれているのだと思います。

ただ、それは天皇お一人の務めではなく、本来、私たち一人一人がなすべき生き方です。天皇陛下はお手本を示してくださっているのです。

後奈良天皇は自らを「民の父母」に譬えられたということですが、歴史を超えて天皇の国民に対する思いは本当に親が子を思うかのようです。

もちろんそれは一方的なものではなく、子の側も親を敬愛し、親を見倣って成長し大切にするという互いに思い合う関係性に他なりません。

天皇陛下の徹底した無私の境地に比べれば、当然のごとく及ぶべくもないもののの、私たちが目指すべき悟りの道とは、きっとこのようなものではないかと思います。

自己犠牲などといった浅いレベルではなく、深いレベルでの自他一体、他人の喜びこそが自分の喜びであり、それ自体が自己の魂の成長である、そんな生き方を目指したいものです。

4.まとめ

日本という国が、ヤマト(大和)という国名が表すとおり、生まれ変わりつつ天の意志を体して魂を磨く道場のような場ということがわかったでしょうか。

そして、皇室は、その環境を維持するために、親のような愛で国民を見守り、国民と苦楽を共にしながら、国民の幸せを祈り続けてこられたのです。

世界のどこにこんなありがたい君主を戴く国があるだろうかと思います。

そのご恩に報いるためにも、自分の人生ときちんと向き合い、魂を磨いて、生まれた時よりは少しでも高まってこの世を卒業したいものだと思います。

以上

(参考文献、「はじめてのホツマツタヱ」「日本人なら知っておきたい皇室のこと」)

この記事を書いた人

祇場 駿矢(しば しゅんや)
座右の銘は「自分にとっての自分の価値は自分が決める」
自分だけの軸を己の中心に据え、自分を信じて生きることのすがすがしさを伝えています。
普段から物静かですが、悟りや自己成長のこととなると少しおしゃべりになります^^
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