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【体験記】世界遺産熊野古道を登山して得た「悟り」につながる人生の知恵

約 21 分
【体験記】世界遺産熊野古道を登山して得た「悟り」につながる人生の知恵

2018年の5月はじめ、世界遺産熊野古道の主要部分である大峯奥駈道を3日間に渡って歩いてきました。

当初の予定より、山岳修行という色彩が、意識の上でも装備の面でも色濃くなり、準備のプロセスを通して、自分の意識もそれに合わせてフォーカスが定まっていきました。

その結果、単なる登山として捉えるのではなく、よりよい人生を生きるため、悟りに近づくための修行としての位置付けがはっきりしていきました。

当初5日間の予定が、雨の影響などで約4割ほどに短縮した行程となりましたが、本当に多くを受け取った実りの多い山行でした。

本記事では、世界遺産熊野古道を歩いて得たものをまとめてみました。

1.行程紹介


(1)日程

5月4日(金)(前日)

熊野速玉大社(新宮)〜熊野那智大社〜熊野本宮大社の熊野三山を巡る(車で)

熊野三山は、大峯奥駈道の靡(なびき、修行場・礼拝所)の最初の3箇所(大峯奥駈道全体では75)でもあります。

翌日からの山行を前に、まずこちらにお詣りして、熊野に鎮座される神々に日頃の感謝とご挨拶を申し上げ、修行の成就を祈りました。

熊野本宮大社では、自分に勝つことを応援していただけるという写真の「本宮勝守」を授けていただきました。


5月5日(土)(1日目)

朝7時出発、17時到着 熊野本宮大社〜玉置神社 歩行距離18.4km   累積上り2,055m 下り1,165m

当日は午前7時に出発し、正式な作法にのっとり、熊野川を徒渉しようとしました。しかし、折からの雨で川が増水して濁流になっていました。

通常はひざ下ぐらいの水量のようですが、腿の辺りまでゆうにありそうで残念ながら断念することに。

しかし、川の水に足を浸すことで禊(みそぎ)を済ませることができ、一応の目的は果たせたのでした。

ちなみに、この音無川には江戸時代までは橋がかかっておらず、本宮大社に参拝する人は川を渡って、身を清めてから本宮の敷地に足を踏み入れたのだとか。

禊を済ませ、午前8時にいよいよ入峰、約9時間歩いたのち、午後5時に当日宿をお借りする玉置神社に到着しました。

玉置神社の標高は1千メートルちょっとなので標高からいえばたいしたことはないんですが、1回登ってまるまる下り、もう1回登るようなイメージですね。

あとあとこのハードさがずしんと応えるのでしたが、この時は標高では測れない大峯奥駈道の奥深さはまだ知る由もありませんでした。

かかった時間は、ほぼ標準タイムどおりでした。

しかし、今回はあとで触れますが、修験道の作法にしたがって登山靴ではなく地下足袋で山行にのぞんだため、足にマメができてしまい、足の痛みから終盤はコースタイムより遅れるようになっていました。


5月6日(日)(2日目)

早朝4時出発、19時到着 玉置神社〜持経の宿 歩行距離21.0km  累積上り2,097m 下り2,015m

この日は、標準タイムで12時間の長丁場でした。前日の様子だと、日暮れまでに宿泊地にたどり着けない可能性がありました。

そこで、同行者より遅れることを想定し、1時間早置きして午前4時、あたりが真っ暗な中、ヘッドランプを灯して出発しました。

北アルプスなどと違い、行き交う人は誰もいません。日中でさえほとんど人に会わないのですが、この時間であればなおさらです。けっこうな不気味さで、ちょっと道を間違ってしまいました。

この日は案の定というか予想通りというか、足裏にできたマメ、足の爪先の痛み、そして、腿の痛みに耐えながらの山行となりました。

長年の課題だった膝の痛みが出ないのはなによりでしたが、足の痛みをかばって体重のかけ方が不自然になり、それが腿の痛みにもつながったようでした。

痛みに耐えながら歩くのはとてもつらかったですが、それもまた気づきや心を鍛えることにつながったと、今振り返って思います。

その状況で本当に応えたのが、これでもかと続くアップダウンの連続でした。

この日は、1日のうちに名のある山々の山頂を5つぐらい通過します。

それで、急な坂を登り、そろそろ頂上かなと思ってたどり着くと頂上ではなく、すぐまた下が見えないぐらい大きく下っている。

その先にはさらに高い峰がそびえている。

そして、やっとそれを登っていくと、やっぱり目指す山ではなく、名もないピークにすぎない。

こんなことが何度も繰り返されました。

心が折れそうになりますが、誰も助けてくれませんから、黙々と歩くのみです。

あとで同行者と話していて気づいたのですが、この道は本当に修行のために作られた道で、登ったり降りたり、わざわざ通る人が鍛えられるように道がつけられているのだと思います。

普通の道は、通る人の負担が軽くなるよう、なるべく高低差をなくすように通すと思いますが、まったく逆の発想です。

そんなことで、標準タイム12時間の道を、14時間以上かけて、日も暮れて道が見えなくなる時分にようやくたどり着いたのでした。

そして、天気予報より少し早く、雨が降り始めたのでした。それでも、本降りになる前に宿にたどり着けたのは幸いでした。


5月7日(月)(3日目)

朝9時出発、12時30分到着 持経の宿〜下北山村 歩行距離12km

この日は早朝5時に起床し、当日の行動について検討しました。

雨はかなり激しく降っており、ラジオをつけると、近隣を含めて大雨、雷、強風などの注意報が出ているとのことでした。1日降り続く様子でした。

予定していた当日の行程は標準タイムで13時間と、今回の5日間の行程中最も長い行動時間です。

雨が降ると、岩と土からなる登山道はずるずる滑るようになることを、他の登山者から聞いていました。

そうしたなか、こちらの装備は地下足袋で、靴底の凹凸は少なく、グリップ不足で難渋するのは明らかでした。

さらに、同行者のなかには本格的な修行スタイルを踏襲し、頭に被るヒノキの傘以外、通常のレインウェアを持っていない人もいたのでした(私はそこまでする自信がなく通常の雨具を持っていました)

長時間、雨に打たれて体温低下を引き起こそうものなら命にかかわりかねない状況です。

これらの要素を勘案し、先に進むことをあきらめ、林道を通って下山することにしたのでした。

麓の村まで、3時間ほどの道でしたので、そうと決まれば急ぐ必要もありません。

雨の中を休みなく歩かなければならないため、それからさらに睡眠をとり、体力回復に努めました。

下山道は整備された林道で前半は砂利道、後半は舗装もされていいて、普通であればなんということのない道です。

が、足と腿の痛みに耐えながらの3時間半は、これもまたなかなか心が鍛えられる経験でした。

当初予定では5日間かけて90kmを踏破する予定でしたので、1・2日目に歩いた40kmは約4割程度です。

下山するとなれば、あっけなく終わってしまった感じがしますが、相当濃い体験を伴う2日半でした。

(2)熊野という場所

熊野詣は平安期の院政期に皇族貴族がさかんに詣でたことが、時代が下って庶民にも広がり、最盛期の室町時代以降には、アリの行列になぞらえて、蟻の熊野詣と言われるほどだったとか。

熊野の歴史はさらに古く、熊野本宮大社は今年創建2,050年を数えるそうです。なんと紀元前の建立なのですね。

これは神社が建った時期であり、熊野はこれをもさらに遡って神話の舞台でした。

古事記の元になったのではないかと言われる歴史書「ホツマツタヱ」によると、熊野は素戔嗚尊(スサノオ)が生まれた場所でした。

実際、熊野本宮大社は、素戔嗚尊を祀っています。

そして、スサノオの母である伊邪那美命(イザナミ)が亡くなり、埋葬された場所です。熊野市にある花窟神社がその場所であったと伝えられています。

そして、夫であった伊奘諾命(イザナギ)が、イザナミを忘れられない未練から、黄泉の国にイナザミを追いかけたために穢れを受け、熊野川の支流音無川で禊をして、悟りを開いた土地であるのです。

その悟りの内容とは、「人間の魂は、宇宙の創造神である天御祖神(アメノミオヤカミ)によって肉体をもって地上に遣わされ、生まれ変わりを繰り返しながら、成長していく」というものです。

これを「行き来の道」と言います。あの世とこの世を行き来するわけです。

現代のスピリチュアルで、俗に「この世は魂の学校」などと言いますね。これを聞いた時、全く同じ考え方であることが驚きでした(ある意味では、当然なのかもしれませんが)。

そして、これこそが国之常立神(クニトコタチ)が示した日本建国の理念です。

つまり、日本という国は人間は魂を磨くための道場のような場所であり、イザナギやイザナミのような神と言われる統治者は、天上の神の信託を受けて、上記のような目的で機能するように国を治めるのです。

それを担ってきたのが皇室であり、争いの果てに勝利を遂げたものが打ち立てるという、世界で一般的に見られる国の成り立ちとは本質的に異なるのです。

「悟り」の道が、人として全ての人に求められ、最も優れた生き方であると信じる私としては、熊野は非常に思い入れのある場所であったわけです。

(3)修験道について

和歌山県の熊野〜奈良県の吉野にいたる大峰山系は、修験道の開祖と言われる役小角(役行者)が開いた修験道(しゅげんどう)の聖地です。

修験道とは、山へ籠もって厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを目的とする日本古来の山岳信仰が仏教に取り入れられた日本独特の宗教。実践する者を修験者、または、山伏という。
(wikipediaより)

であり、古神道の自然崇拝の流れを汲み、神仏習合という日本に特徴的なおおらかな宗教観のなかで、在家の宗教として、庶民のあいだに根付いたものでした。

「体を使って心をおさめる 修験道入門」という本を読み事前勉強していったのですが、明治の初期には修験者(山伏)は17万人にも及んだそうです。

当時の日本の総人口は現在の4分の1、現在の仏教の僧侶が33万人ということから、いかに存在感が大きかったかが想像できます。

しかし、明治になって政府から、神仏分離令に続いて修験禁止令が出され、修験者は姿を消してしまいます。

明治政府が考える国家統治の形に合わなかったということのようですが、真相はよくわかりません。いずれ自分なりに調べてみたいと思っています。

ただ、当時の廃仏毀釈によって、貴重な文化財である仏堂、仏像、経文などが数多く失われたことが非常に残念です。

私は、悟りに必ずしも修行は必要ないという立場ですが、修験道は、自分を律して高めていくという日本建国の理念を体現するものの一つであったように思います。

今回の山行を機に修験道についてすこし学んでみることで、肉体を鍛錬することの大切さについて、改めて感じるところがありました。

2.今回なぜ出かけたか

帰ってきて、なぜ大峯奥駈道に行こうと思ったのかと、何人かに聞かれました。一悟術の覚醒登山の企画としてあったからが直接的な理由です。

ですが、もう少し掘り下げてみると、次のようなものではなかったかと思います。

(1)「死と再生」を目指して

先の「体を使って心をおさめる 修験道入門」によると、山伏の修行は「死と再生」がテーマだそうです。

平たく言うと、悪行(自己の利益のみに走るわるい行い)をする自分を滅し、世のため人のために役に立てる自分に生まれ変わるというような意味です。

このくだりを読んだ時、今の自分に必要なことだとピンときたのです。

現在、私は、ヒーリングやカウンセリングを通じて、人がよりその人らしく生きるのをお手伝いする仕事をしています。

一見、人の役に立つ仕事のようですが、そこに落とし穴があります。

このような仕事はよほど気をつけないと、その仕事に携わることをもって自分の価値とするようなところに陥ってしまいます。

つまり、自分の価値証明や甚だしきはお金のために「人助け」をしているにもかかわらず、なかなか気づけないということです。

にもかかわらず、自分は人のお役に立っている、尊い仕事をしていると勘違いしていると、傲慢になって、真逆の方向にいってしまいます。

それだったら、自分はお金儲けのために仕事をしていると思ってやっている人の方がまだマシです。

そもそも、すべての仕事はなにかしら人の役に立つからこそ、お金をいただけるのですから。


ということで、自分がこの先、本気でこの仕事をやっていく上で、とても重要であり避けては通れないことだったのです。

自利を捨て利他に生きる決心と言えるかもしれません。

熊野本宮大社でおみくじをひいたのですが、

こゝろをすなおにし身もちをただしくすればますます運よろしく何事も思うまゝになるでしょう
欲をはなれて人のためつくしなさい
大吉

とありました。

「欲をはなれて人のためつくしなさい」なんて、あまりにも当たり前で、大吉に気を良くして、つい見過ごしそうです。

でも、わたしには偶然とは思えず(実際偶然はなく、必要なことしか起きないのですから)、神様からのメッセージと受け止め、深く心に刻みました。

(2)用意された舞台

そんなわけで当初は普通の登山と考えていたのですが、導かれるように、修行として真剣に向き合わざるをえない流れが起きてきました。

一週間前になって、一悟術の師匠から、白装束、脚絆に白地下足袋という修行者としての身支度を推奨するメールが入ったのです。

そればかりか、食べるものも、完璧に動物性の食品を排除する方がよいと記されていました。

それを読んでかなり反応が出ました。

靴や食料など買い整えて準備していたものが使えなくなったからです。

でも、どうやら真剣に向き合うことへ抵抗だったようで、自分の内面を見つめて解消しました。

で、どうせやるならということで、一週間、お酒と肉魚の類を断つことにしました。

完璧ではなかったけど、心身を整えて山行に前向きになれたように思います。

山の中で急に肉を断つことであぶり出されて出てくるものがあるという話を誰かがしていましたが、できるだけスムーズに行をする素地を作っていたともいえるわけです。

ということで、周囲の環境にも後押しされ、また主体的に自ら設定した目的のためにしっかり取り組む姿勢が築かれていったように思います。

3.歩くことで得たもの

このような意図で臨んだ山行でしたが、得られたものは大きかったです。たくさんあるのですが、その一部をご紹介します。

(1)自分が見えてくる

覚醒登山ではいつもそうですが、山行は集団では歩かず、各自のペースで淡々と歩きます。

そのため、一人で歩く時間が圧倒的に長いです。

一人で歩いていると、心の中での会話がクローズアップされます。

今回、私が感じたのは、心のうちをネガティブな内的会話が占めているということでした。

たとえば、

今日は暗くなる前に目的地にたどり着けるだろうか、
もし体力的にたどり着けなかったらどうしようか、
明日の天気はどうだろうか、
(早々に足にマメができたので)この痛む足の裏で果たして歩けるだろうか、
同行者はどこまで行っただろうか、

こんな調子で、考えてもしようのない思いが湧き続けて、キリがありません。

もちろん、美しい緑の中の山道をほとんど人の姿を見ることなく歩ける幸せも感じてはいます。

けれど逆に、素晴らしい自然のなかにいて、今は困ったことはほとんどないからこそ(足の痛みはだんだん増していきましたが)、そんな思いがあることが不思議でもありました。

それに気づいたとき、本当に無駄なことをしているなと思いました。

また、そんなネガティブな思いがどれだけ身体に負担となるのかも実感することができました。

私は、常々内面の思いが自分の現実を創っていると考えているので、このような心の傾向を直面することはとても有意義だったと思います。

(2)余計なことは考えないという処し方

2日目の行程で、他のメンバーより1時間早く出発したおかげで、しばらくして追いついてきた師匠の跡を3時間ほど歩くことができました。

足を降ろす位置、歩くペースなどいろんなことが参考になりました。

中でも特に印象に残ったのが、その淡々とした歩きっぷりでした。

今回、実際に山の中を歩いていて感じたのは、私はどこの辺りまで進んだのか、目的地はまだかということがすごく気にしていたということです。

足がつらいことも相まって、つい立ち止まり、GPSや時計を見てしまいます。で、一喜一憂する。

これはすぐに目に見える結果を求めてしまうという自分の心のクセであるようです。

悟りの道、ビジネスや他のこともそうですが、結果が出るまでには辛抱してやり続ける期間が必要です。

山歩きと違い、他のことでは結果が出るまでの時間や距離は目に見えないことが多いですから。

前項のようにネガティブな思考が優勢だと、今やっていることや自分自身への疑いが膨らみ、結果が出るまで継続することができなくなってしまいます。

疑いにやられると、あと少しで結果が出るところでやめてしまうという、残念なことになることも起きがちです。

これでは何事もものになりません。

正解があるという前提のもと手っ取り早くその正解を求めるというのは、効率的な受験勉強の弊害かもしれないと、そこまで意識が及びました。

道が合っているか、タイムスケジュールに無理はないかなど、最初だけでなく途中でもチェックが必要なことはあるでしょう。


それ以外、余計なことは考えず、たんたんと歩き続けること。

目の前にある坂道や岩場を見据えて、最適のルートで一歩を出し続ける。

そのためには自分を信頼すること。

当たり前すぎて恥ずかしいぐらいですが、悟りに至る道、自己成長、ビジネスなどに通じる身の処し方です。

あらためて自分の至らなさに気づき、自己信頼の大切さを学ぶことができました。

 

(3)「当たり前」のないところにある感謝

山を歩いていると、日常にある「このぐらい当たり前」という概念がよい感じで崩れていきます。

まず、生きるのに絶対不可欠な飲み水の調達さえままなりません。

食べ物も自分で背負って運ばずねばならず、お金なんかあっても何の役にも立たないことも多いです。

暇さえあればいじっていがちなスマホの電波も届かず、充電もままなりません。

数日お風呂やシャワーがないなんてのも、テントだけじゃなく山小屋でも当たり前です。

疲れた、足が痛いと言ってもタクシーもないし、誰も助けてくれません。自分の足で歩くしかないのです。

まさに自分の身体と頭と心が頼りの世界です。

 

そして、当たり前がない世界は、感謝に満ちています。

今回歩いた大峯奥駈道の南半分、南奥駈はほんの30年前まで荒廃して山に帰り、通行は不可能でした。

つまり古来より伝わる大峯奥駈道は、明治期以降、北半分で途切れた状態だったのです。

それが地元の有志の方々が御尽力され、数度にわたる刈峰行ののち開通したのです。

そのほかにも、宿を新設、管理していただいたり、その後70回にもおよぶ刈峰行で登山道を整備してくださっています。

ですから、自分が歩く登山道ひとつとっても、木を刈り、目印をつけ、階段をつくり、鎖を設置してくださったから、安心して歩けているのです。

2日目の宿などはやっとの思いで山小屋にたどり着いても、水場は山道を数百メートル下った場所です。

無人なので管理人もいらっしゃいません。

動くのも億劫な疲労困憊の状態で、水を汲みに行かねばならないことを覚悟していたら、管理されているそのグループの方が、小屋のポリタンクに汲み置きしておいてくださっていました。

「なんと、ありがたいことでしょう!」

お湯を沸かす、コンロやガス、やかんなども揃っていて、お湯を使うこともできます。

外は激しい雨と風でしたが、山小屋の中は暖かく安心で、ゆっくり眠って休養と回復ができました。


よく考えてみると、本当は普段の生活も同じなんです。

電気のおかげで夜でも明るく過ごせるのも、エアコンで一年中快適なのも、蛇口をひねれば飲める水がいくらでも出てくるのも、きれいに舗装された道路を信号のおかげで安全に歩けるのも、全部全部、「誰かがしてくれたことのおかげさま」です。

ところが、どうでしょう。

今の日本において、そんなのは「当たり前」

当たり前だから、感謝がないどころか、意識することさえ少ない。

そんなことより、ほかに気になること、思い通りにならないことを見つけ出しては、不平不満の思いをいだき、誰かに文句を言っている。。

乏しい状況でも感謝に溢れているのと、有り余るほど豊かななかでも心は満たされない。

どっちが幸せかは明らかですよね。

 

これって身の回りの人に対しても同じです。

「これぐらいしてくれて当たり前」

この思いこそ、人生全てを台無しにするぐらい強力な呪いの言葉です。

本当は、その人が「いてくれるだけで、ありがたい」のです。

失って初めて価値がわかるなどと言いますが、大切な人を失ってからでは遅すぎます。


当たり前なことなど何一つとしてなく、すべてが奇跡のようにありがたい。
 

今回の山行で、体験からそんなふうに思い至れたのは幸いでした。

(4)結果に価値を置かない

今回の山行で下山を決めた時、ふと頭をかすめたことがあります。

それは、5日の予定を2日に短縮することに対して、恥ずかしいという思いでした。

「死と再生」がテーマなどと大層なことを言っていましたから、それに対して、言ってみれば失敗したと見られても仕方がない状況です。

以前であれば、人の評価を気にして、自分を不十分と感じたり不甲斐なさを覚えたりして、自分のことを価値がないと思ってしまったかもしれません。

 

けれど、今回そうはならなかったのは、こんな思いがあったからです。


「必要なことしか起きない」「すべてのことはそうある理由を持っている」
 

歩いているとき、足のマメや脚の筋肉が痛んで苦痛でしたが、いつも自分に言い聞かせているこの思いがふと浮かんだのです。

もしそうなら(というかそうであるのは頭では理解しているので)、今感じているこの痛みさえ、きっと必要だから起きているんだろう。

であるなら、痛みを麻痺させて意識しないのではなく、感じながら歩くことが大事なように思いました。

そうやって歩いていると、不思議と痛みは感じない・・

はずもなく、痛いものは痛いと悟りましたが(笑)、、

痛みから逃げない心の強さが養えたように思います。

 

途中で下山するという結果に終わることも同じで、必要なことだから起きてきた、または、そうあるべき理由があったのだ、ということです。

これはどんなことも他者の責任にすることなく、自分を信頼して自分ですべての結果を引き受けるということでもあります。

そのような思いがあったからこそ、ふと頭を掠めたその思いはすぐに消えていき、山行での体験から豊かな学びと気づきを受け取ることができたのです。

(5)下山後に見えた現代の不幸の方程式

夕方に下山して実家の京都に向かう途中、大阪駅を通りました。

なんてことはないありふれた高層ビルの風景ですが、久しぶりのこの景色にも感じるものがありました。

電気は煌々と昼間のように灯り、歩いて登ればそれなりにたいへんなビルの上層階にもエレベーターでなんの苦労もなく登れます。

みんなそれを当たり前だと捉え、何とも思っていません。

私には、何でも思いどおりにしたいという人々の思いを象徴する光景のように感じました。

 

京都の実家で83歳になる父から、近所に住む90歳を超える高齢の方の話を聞きました。

「ええ加減なもんですわぁ。えろうてえろうて。早うお迎えがこんかなと思てますわ。」

その方の思いは、世間では長生きはいいこととされてるけど、自分にはとてもそう思えない。体が辛くて仕方がなく、早く天寿を全うしたい、ということのようです。

山にいると、判断ミスや軽率な行動が致命的となるだけに、自分の死を意識する機会が多いです。

ところは、現代の日本では、日常自分の死を意識することはほとんどありません。

仕事をはじめやるべきことに追われ、余暇もスマホゲームやテレビなどで時間を潰すのが、大多数の人の行動パターンではないでしょうか。

 

これでは限りある命も、かけがえのない今という時間も、あって「当たり前」のものへと堕してしまいます。

楽な方楽な方に流れて、自分を律して高めることもなく、自分の死を意識して時を惜しむこともなければ、人生の終わりに当たって、後悔するのはむしろ当然と言えないでしょうか。

辛辣な言い方かもしれませんが、ここに多くの人が陥りがちな「不幸の方程式」があると感じたのでした。

(6)山行のススメ

「不幸の方程式」にはまらないために、登山はとてもたくさんの気づきを与えてくれます。

当たり前はなく、なんでも感謝の対象となること

自分の死、つまり、終わりを意識することで、今が輝く

自分の足で歩くしかなく、精神力が鍛えられる

ことなどです。

 

私は悟りの道として、苦しい修行は必ずしも必要ではないという考え方です。

なぜなら体を痛めつけることで満足したり、ひどい場合はそこに自己価値を見出し、傲慢になる可能性があるためです。

過去生で自分もそれをし、そういう人を多く見てきた気がします。

それ以上に、生きようという肉体の意思に真っ向から逆らってねじ伏せる方向性なので、効率がよくないと感じるからです。

とはいえ、いかなる方法であっても、安楽さや怠惰に流れるままで、自分が成長していくことはあり得ません。

自分の中にある嫌な面など見たくないものを見たり、自分が正しく相手が間違っているといった偏った思いを修正したり、自分を高める不断の努力は必要です。

欠けているものを直すのではなく、もともと十分なものの価値をさらに高めるイメージです。

不安や恐れからがんばるのではなく、安心や喜びからリラックスして楽しんで取り組むイメージです。

山登りではそこに苦しさやつらさもありますが、だからといって、楽しめないことはありません。

取り組んでいる最中も、おわったあとは結果のいかんにかかかわず、さらに楽しみが待っています。

そんな山行であればやってみたいと思いませんか?

自分を高めて幸せになりたいと考える人なら、誰でも自分に合うかたちで登山をすることをお勧めします。

4.まとめ

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

大峯奥駈道での気づきを振り返ってきましたが、最後にひとつだけまとめを伝えるとするなら、肉体を通じた「体験」の重要さです。

ここに書いたこと、今回、私が気づいたことは、昔から言い古されてきた当たり前のことかもしれません。

しかし、実際に山の中を15時間も歩くという体験をして気づいたからこそ、私にとって本当の意味でそれらの考え方が意味を持つに至りました。

これを読んでくださったみなさんも、そんな体験を背景に書かれた文章だからこそ、最後まで読んでくださったのではないでしょうか。

これが頭の中だけで考えたことなら、ああそうだよねで、すぐに読むのをやめてしまったかもしれません。


この世は「体験の世界」と言います。

すべてのことはニュートラルで、よいわるい、善悪はなく、必要なこと、体験すべきことが起こっている。

このことを肝に命じて、ポジティブもネガティブも、すべてをありのまま受け入れ、体験から学んだことを伝えていこうと思います。

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この記事を書いた人

祇場 駿矢(しば しゅんや)
座右の銘は「自分にとっての自分の価値は自分が決める」
自分だけの軸を己の中心に据え、自分を信じて生きることのすがすがしさを伝えています。
普段から物静かですが、悟りや自己成長のこととなると少しおしゃべりになります^^
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