
今という時代、人類のすべてに「悟り」が必要だと思います。人類の明日がかかっていると言っても過言ではないからです。
ただ、その話をするにあたって、まずは「悟り」が意味することを明らかにしておく必要があると感じています。「悟り」に対して、多くの人が一般的に持つイメージ、認識そのものが現代社会の問題の一つでもあるからです。
1.「悟り」に関する最大の誤解
まず、多くの人がしている誤解のうち最大のものを一つあげてみます。それは、悟りは「自分には関係ない」ということ。
多くの人が抱いているイメージは、悟りは一部の宗教の考え方である。だから、信者の人以外には関係ない。
悟りは、ブッダとかイエスとか、特別でごく限られた聖人のような人だけのものである。普通の人間である自分には、関係がない。
いずれも、「悟り」と自分のとの間に線を引いてしまっています。これは人として生まれてきて最大の過ちといえるかもしれません。
誤解を恐れずに言えば、私は「悟り」のない人生などほとんど無意味とさえ考えます。
2.「悟り」の意味すること
では、そんな私の考える「悟り」とはどんなものでしょうか。
それは、人としての心や魂と言われる内面の成長に関わる全ての段階を指すということです。
一部の聖人が到達し得る高みの精神状態だけに限局されないものです。
また、精神的成長や内的成長という漠然とした言葉では、人間が「悟り」を目指すことで到達可能な、想像するのも困難な高い境地を表せません。
「今の時代、すべての人に『悟り』が必要」という際の「悟り」、悟りを目指す道には、それらの全てを含んでいるのです。
3.「悟り」を富士山に例えると
イメージしやすいように、「悟り」を富士山に例えてみましょう。
私がいう「悟り」とは、麓から山頂に至るまでの富士山全体を指します。
今の世の中では、ほとんどの人は、平らな麓で遊んでいるイメージでしょうか。
そのうちに、中には上を目指そうと志して、登山道を歩き始める人が出てきます。
そこそこ取り組みを行ってやっと1合目ぐらいでしょうかね。
で、現在の地球人類で最高点に到達したと思われている人たちで、おそらく2、3合目あたりでしょうか。
そんなに低いの、と意外に思われたかもしれません。
たしかにブッダやイエスが達した境地は、普通の人からするとすごいものに見えるでしょう。
彼らを教祖とする宗教では、それを最終的な境地であるかのように位置付けています。
しかし、冷静に考えれば、その考えは井の中の蛙であることがわかるのではないでしょうか?
後述しますが、宇宙の中で地球人類はきっと相当未熟です。
今、宇宙から多くの知的存在が地球へのサポートを目的としてきてくれているようです。
おそらくその存在で、ブッダやイエスと同レベルか、1、2ランク上なのではないかと思われます。
なぜなら、あまりにも格差がありすぎると、私たちの状況が想像できず、適切なサポートが困難だからです。
本来は創造主と同じ無限に近い能力を持ちながら、制限や否定まみれで苦しんでいる私たちを、彼らからみると滑稽に感じるそうですから。
さらにその上になると、もう想像するしかありませんが、意識体としては極めて高い水準に達しているでしょう。
山頂になると、宇宙を創造した普遍意識と呼ばれる存在と同程度ということになるでしょう。
魂の進化過程としては、おそらくこのようなものではないかと想像されます。
この麓から山頂に至る、富士登山全体が「悟り」のプロセスということです。
いかに深遠かつ遠大なものか、なんとなくでも想像していただけたらと思います。
4.地球人類が未熟であると考える理由
少し前に戻って、いったい今の地球人のレベルは宇宙的視野でみたとしたら、どんなものなのでしょうか?
大多数の人が利己主義を克服できず、自分たちの住む惑星の環境を破壊し、他の生物に迷惑をかけ、自分たちの生存すら危うくしている私たちの精神レベルは??
これはもう相当低いと思われますよね。学校制度でいったら幼稚園レベルではないでしょうか。
一方、科学技術はどうでしょうか。西洋文明は、ある意味、心の領域を犠牲にして、科学や技術を偏重してきましたが、その科学力もまだまだ大したものではないでしょう。
ここ半世紀でようやく宇宙に進出するようになりましたが、自分たちの住んでいる太陽系を出ることでさえ何年もかかるような状況です。
今、遠い宇宙から地球人を支援するためにやってきてくれている多くの知的存在が持つ、恒星間を瞬時に移動するような技術に比べたら、これも幼児の遊びのようなものでしょう。
そのような存在を疑う人からは、なぜ彼らが姿を表さないのかを疑問視する意見がありますが、私に言わせればその理由は明らかです。
高度な技術を行使することはそれだけ大きな影響力を持つことになります。使い方次第では、星や星系を破壊するなど大きな悲劇を招きかねません。
それはあたかも幼児におもちゃとして本物の銃器を与えるようなものでしょう。
地球人類の心の成長なくしては、技術の供与をやりたくてもできないのももっともなのではないでしょうか。
また、周波数の高い存在と物理的に遭遇した時、周波数の低い領域で活動している私たちは、自意識を保つことさえ困難なようです。
少し雑な例えですが、高速かつ大量な水の流れの前では、ちょろちょろした細い水流は巻き込まれてしまい、独自性を保つことは困難なイメージといえばよいでしょうか?
5.全ての存在が還っていく道
ワンネス、全ては一つにつながっているという考え方があります。
The one is the all, the all is one. (一なるものは全てであり、全ては一なるものである)という言い方をされることもありますね。
この宇宙は一なるものから始まり、無数の多様なものに分かれ、やがてまた一なるものに還っていくようです。
この全体に関わる大きな流れを個の視点からみると、内的成長であり、「悟り」の道を行くということになるでしょう。
そして、人類は地球にあっては他を大きく引き離して、地球と地球に住む全ての生物に大きな影響を与えています。
いわば地球の管理人というべき存在であり、自由意志を与えられています。
また、個人の価値観や嗜好以前に、すべての人はベースになる魂を持っています。
人としての魂を持って地球に生まれてきた以上(そもそも自分で選んできていると思います)、誰一人として、悟りなんて自分には関係ないではいられないことが理解していただけたでしょうか。
6.まとめ
このような考え方に触れてみていかがだったでしょうか。わかる人にはわかるし、思っていたとおりという方も多いでしょう。
魂を磨くためにこの世に生まれたという考え方は昔からありました。昔から伝わる考え方は、案外正鵠を射ているものです。
一方で、なら証拠を示せと言われても、簡単にはいきません。
それぞれの意識がそれぞれの現実を作っていて、ということは、自分が思っているとおりの現実を体験するわけで、それに反することを納得してもらうのは容易でないからです。
私がどういったとか、常識ではこうとはさておき、今自分が感じていることを大事にしてくださいと申し上げておきます。
感覚はうまく磨けば、確実に思考を超えるものだと思います(感覚も歪みますし慣れも必要ですが)。
次は、今という時代がどういう時なのか、そして、時間がないということについて、取り扱いたいと思います。
以上
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