悟りの窓

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自然災害の不安とどう向き合うか〜不安に飲み込まれないための5ステップ対処法〜

約 13 分
自然災害の不安とどう向き合うか〜不安に飲み込まれないための5ステップ対処法〜

関西に大きな被害をもたらした台風21号が去ったと思ったら、北海道で震度7という極めて強い揺れの地震が発生しました。

私が住む関東地方では、台風後も連日強い風が吹きすさび、人々の不安を反映するかのようです。

テレビを見ていたらデイブ・スペクターさんが、「今年は『災害元年』のようなもので、これからはずっとこんな感じだと思った方がいい」と発言されていました。

この先の日本ではこれが普通というのは、過去の記事などでも書いているとおり、私も同じことを感じています。

被災された方はとてもお気の毒ですし、一日も早い復旧を心からお祈りしています。

本当に他人事というのはなくて、「明日は我が身」という言葉を噛みしめています。

この先を不安に思う気持ちは誰しもあるでしょう。そして、不安にどう対処するかが将来の明暗を分けるのだとお伝えしたいです。

誰もが無関係ではいられない、自然災害の不安とどう向き合うかについてまとめてみました。

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1. 不安があって当たり前と認める

たしかに不安は心地いいものではありません。しかし、反面、必要な感情でもあります。

不安を有益なものとすることもできれば、心と体と現実に仇なすものとすることもできます。

不安を逆手にとって活かすには、まず不安を忌むべきもの、あってはならないものではなく、あって当然のものと認めることが第一歩です。

不安を見ないことにしたり、無理に押さえ込んだりしても、不安のエネルギーはなくなりません。

潜在意識に浸透して、意識できないうちに有形無形の影響を及ぼすのでむしろ一段とやっかいです。

大阪で何十本もの電柱が軒並み道路に倒れた画像をご覧になったでしょうか。

そんなこと今までなかったですよね。

温暖化の影響かどうかは科学的に証明されていませんが、これまでの経験則が役立たない領域に立ち入っていることは否定できないでしょう。

北海道での震度7も観測史上初だと言います。

内陸地震の発生周期は5千年〜1万年ですので、断層がそこら中にある日本ではどこで地震が起きても不思議ではありません。

しかし、一昨年の熊本地震に至るまでの各地で頻発する大きな地震といい、南海トラフ巨大地震が明日起きても不思議ではないと言われていることといい、日本列島が地震活動の活発期に入っていることは間違いないでしょう。

これで不安にならない方がどうかしていると思います。

だから、不安はあっていいのです。

まずは自分が不安を感じていることを容認し、不安を感じている自分を受け入れましょう。

家族や親しい友人などと静かに気持ちを分かち合うのもいいですね。

こんな時だからこそ明るく振る舞おうという考えもわからないではありませんが、不安な気持ちを親しい人にも表現できない環境というのはとても窮屈です。

心が深く呼吸して、新鮮な空気を吸い込めないようなもので、瑞々しさや本当の活力を失ってしまいます。

まずは現状をありのまま認めようということであり、不安な気持ちによりよく対処するための第一歩です。安心して読み進めてください。

2. 「今ここ」に集中する

不安な気持ちを認められたら、少し落ち着くのではないでしょうか。

不安は感情であり、感情はエネルギーですので、ちゃんと感じてあげるとエネルギーが抜けるからです。

少し落ち着いたところでやってみるといいことがあります。

それは、「今ここ」に集中するということです。

別な言葉で言うと、マインドフルネスな心の状態ということになります。

その定義は以下のとおりです。

「今この瞬間の体験に心を集中させ、評価・判断をしないでありのままを観察すること」

なぜ、今この瞬間なのでしょうか。

それは心配の性質にあります。心配は起きていない未来を想像し、その未来を憂う行為です。言ってみれば妄想ですが、不安はそれに伴う感情です。

妄想はさらなる妄想を呼びやすく、不安は雪だるま式に拡大する性質があります。誰しも覚えがあるところだと思います。

そこで、妄想の連鎖反応を断ち切るために、今という瞬間に意識を集中することが有効なのです。

マインドフルネスの恩恵は数々ありますが、その代表的な一つが、「心が安らぐこと」です。

不安が実現した不幸な未来から、今ここに意識を戻したとき、当たり前ですが、不幸な現実は実在しません。

あなたの目の前にあるのはなんでしょうか。

愛する人の笑顔であったり、穏やかな日常であったりしないでしょうか。

電気が明るく照らしてくれ、蛇口をひねれば飲める水が出ます。

当たり前と思えばそっくり見逃してしまいがちですが、ありふれた日常が明日失われない保証などどこにもないのではないでしょうか。

脆く壊れやすく、本当は奇跡のようにありがたい瞬間かもしれません。

そうしたら、感謝が湧いてこないでしょうか。

生かされていることに。無事でいられることに。

何をするにしても、自分のあり方が大切だと思います。

行動の元となった思いであり、思いの元となるあり方です。

自分のあり方のバイブレーションが、行動の結果に直結するからです。

ですから、何か行動するのであれば、今ここに意識を置いて自分の状態を整えた上でしていただければと思うのです。

不安や恐れからではなく、愛、信頼、感謝から、今自分ができることを。

被災された方々が一日も早く笑顔に戻るのを祈ることもそうだし、次の現実的な対策をすることもそうです。

3. 可能な防災対策をする

前項の内容を読んでなるほどと思った方も、そうは言ってもという方もいることでしょう。

実際に、災害が起きる可能性自体が減ったわけではないですから。

とはいえ、不安からではなく信頼から行動する重要性はご理解いただけると思います。

不安に囚われていると、きちんと現実が見えず、有効な行動が取れず非効率だったり、却って事態が悪化することもありますから。

とにかく、現状では、不安が完全に払拭されることはないと思います。

でも、それでいいのです。それも当たり前のこととして受け入れましょう。

次になすべきは、不安を生かして現実的な対処をすることです。

感情は行動の原動力となる力です。

当たり前ですが、自然災害を不安に思う気持ちは、災害発生時に起こり得る事態を心配しているからです。

誰しも災害に備えることで、起きうる事態を少しでもマシなものに変えることができます。

その備えとは、具体的に、災害に対する正しい知識と備蓄です。

インターネットを利用して、たとえば、南海トラフでどのような状況が起きうるのか正確な知識を得ます。

日本政府の組織である内閣府が災害予測を動画で公表していますので、信頼の置ける情報を取るようにします。

そうすると、伊豆半島から九州までの超広域に甚大な被害があること、避難所も水も食料も不足し、自治体をはじめ外部からの早期の支援は期待できない(少なくも一週間)ことは明らかです。

そこでフル活用したいのが想像力です。悪いことの妄想ではなく、有効利用です。

災害発生後の一週間、電気、水道などライフラインが途絶した中で、自力でなんとか生き抜くにはどうしたらよいでしょうか。

まず、飲料水と食料。そして、トイレです。それから、夜の明かり。真っ暗になります。

飲料水や食料は普段の買い置きを少し増やして、ローテーションで使っていくことで、少ない費用や手間で対策になります。

自宅にとどまれるよう、そして、何より怪我をしないように、家具の転倒防止、食器等の落下防止も欠かせないでしょう。

怪我をしても、病院も医師も被災者です。重篤な患者が膨大に発生し、骨折したって診てもらえる保証はありません。

健康でも厳しいその後のサバイバルのために、ちゃんと普段通り動けるよう、まず怪我をしないことが肝心です。

このように身近なところから手をつけましょう。もちろん建物の耐震補強等、多額のお金がかかることも、可能な範囲で順次やっていく必要があります。

何と言っても、命には代えられません。

万全の対策なんて存在しないか、近いものはあってもお金がかかりすぎるので現実的ではないでしょう。

しかし、より多くの人が自助の防災を行うことで、自宅にとどまれる人が増えれば、自宅が倒壊するなどより深刻な被災状況の人が避難所を使いやすくなります。

後にも述べますが、まず「自分の命は自分が守る」という当然すぎる意識をしっかり持つことが、あらゆることのベースになると思います。

4. その上で開き直る

個人でできる備えには限界があります。具体的な防災が一通りできたら、心配しすぎる心を手放しましょう。

なぜかというと、もう不安を抱えていてもよいことは一つもないからです。

江戸時代の禅僧、良寛禅師が被災した際、知人への手紙の中で有名な次の言葉を遺しています。

「災難に遭う時節には災難に遭うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候、是はこれ災難をのがるる妙法にて候」

(良寛禅師)

「災難がやってきたら遭いなさい。死がやってきたら死になさい。これが災難から逃れる一番の方法です」といった意味です。

一見、突き放したような言葉に思えるかもしれません。しかし、そこには深い知恵と、人という悲しい存在への思いやりや愛があると私は思います。

誰だった、災難や病気、死ぬような目には遭いたくありません。でも、生きている限りその可能性は常にあり、神ならぬ人の身で逃れる術はありません。

ならばいっそのこと、丸ごとその境遇を受け入れましょうということです。

一種の開き直りですが、起きてもいない災難に怯えながら生きるより、何かが起きるときまでは安心して生きた方がよいではないかということです。

だって、やれることはちゃんとやった上でさらに不安に思ったところで、もう現実的にやれることは残っていないのですから。

冷静になって比較すればどちらが合理的かは明らかです。

不安はあるものとして、でもそれでいいのだと開き直る方がよりよい結果を生むでしょうし、よいバイブレーション、つまり、自分がよい状態でいるからよい現実が生まれるのだと思います。

人生には様々なことが起きますが、煎じ詰めれば、自分の解釈でどのように捉えることもできす。

力のない被害者ではなく、主体的に人生を選びとる者として誇りを持って生きようということではないでしょうか。

個人的には、大いなる存在の本質は愛であり、すべては一つに繋がっていると思っています。地球は、永遠なる魂が成長を続けていくための学びの場です。

だから、起きることはすべて魂の成長を促すという意味があるし、出したものが返ってくるという法則が存在すると思っています。

自然災害が頻発する状況は、私たち一人が人生をどのように捉えるかを問うているのかもしれません。

5. これからの生き方を考える

その上で、考えて欲しいことがあります。

自然災害の脅威が高まっている日本で、自分がどのように生きていくのかということです。

苦言を呈せば、先ほど防災のところで「自分の命は自分で守る」は当たり前と述べました。

しかし、その当たり前のことが今の日本人には浸透していません。

2016年の熊本地震後に全国を対象に行われた防災対策に関するアンケート調査で、以下のような残念な結果が出ています。

自宅で防災用品や生活必需品を備蓄しているかという問いに対して、「備蓄している」は45%で、「備蓄していない」の55%を下回っています。

そして、備蓄していない理由を尋ねる質問に対しては、一番多かった回答が「面倒だから」(30.9%)となっているのです。

危機意識の低さ、誰かが何とかしてくれるだろうという他人事感の高さが伺える回答です。

豪雨被害のたびに繰り返される自治体の避難指示は妥当であったか、というマスコミの責任追及も同根かもしれません。

住民に危険を知らせる義務を負う行政が、不断の改善のための努力を行う必要があることはいうまでもありません。

しかし、いくら避難勧告やハザードマップ等の情報が充実したとしても、当の住民にそれを活用する意識がなければ、十分な効果は得られないということでうす。

昨年、米フロリダ州を歴代最強クラスのハリケーンが襲った際、同州知事が380万人を対象に避難指示を出した際、それを受けて避難したのは650万人にのぼったそうです。

これはこれで過剰避難ではないかという議論があるそうですが、自分の命は自分で守るという主体性において、考えさせられるものがあります。

この他人任せ、主体性なし、思考停止の悪癖は、災害に限ったことではなく、以前から日本の社会を蝕んでいる病のようにも感じます。

大東亜戦争の前、日米の国力、戦力の差から戦争すれば負けるというのは、国の上層部、知識人の間では常識でした。

だからこそ、昭和天皇も政府は、最後まで戦争を回避すべく必死の交渉を行いました。

しかし、世論はそうではありませんでした。戦えば負けるなどと言おうものなら、敗北主義者、非国民と罵倒され、正論が言える雰囲気ではなかったのです。

「昭和天皇独白録」には、昭和天皇が戦後連合国に対し、あくまで戦争を止めようとしていたら、病気か何かを理由に幽閉されただろう、もし自分が国民に嫌われていたら殺されたであろうという話をされています。

本音を誰も言い出せず、体裁のよい建前が幅を利かせて、おかしな方向に向かっても誰にも止められない。

なにか近頃、思い当たることはないでしょうか。

世間を騒がせている、日大アメフト問題、それに続く、ボクシングなどアマチュア体育協会のパワハラ問題はそっくりだと思います。

こうあるべきという「正論」しか許されず、それに反することを言ったりしたりすると一斉に相手を叩きのめす、いわゆる「炎上」も同じ構図です。

悲惨な事故に至った原発も、点検などで異常が見つかっても、「あってはならない」事故だから、起きてしまっても隠蔽する、もしくは「想定外」で言い逃れ誰も責任を取らないのも同じ理屈です。

先日の台風20号の際、宅配ピザの配達について批判が起きています。あれも、「営業は継続しなければならない」という本社の建前が、目の前の現実の「どう考えても危険」という現場の当事者の判断を上回った例ではないでしょうか。

経済性優先で、それこそ雨が降ろうが槍が降ろうが、「何があっても出社」、「何があっても開店」、「何があってもサービス継続」と、決まりどおりに運用できたのは本当に幸せな時代だったのかもしれません。

でも、お客様のためと言うと聞こえはいいですが、経済を回すこととは、所詮金儲けです。

ピザ屋の件では、注文するお客に対しても非難する声が多かったですが、「人の命を危険に晒してまで、ピザ食べなくていいいだろう、こんな時なんだから我慢しようよ」ということなんだと思います。

何を大切にするのかという社会のあり方も問われているのかもしれません。

お金じゃないことは確実ですが、果たして、その常識論を汲み上げて反映できるように日本の社会が変われるのかどうか。

そこに日本の将来が左右されるようにも感じています。

社会は個人の集大成ですから、社会の話はいったん脇におきましょう。

これからは、好むと好まざるとにかかわらず、一人一人が自然災害を「自分ごと」として、これからどう生きるかを真剣に考えることを迫られます。

もしかすると、きちんと今の不安に向き合うことができれば、私たち日本人にとって、戦前から続く国を滅ぼす悪癖を改めるチャンスとなるでしょう。

地震という自然現象を災いではなく福と転じることさえ可能であるのかもしれません。

6. まとめ

自然災害に関する不安にどう向き合うかをテーマに、以下の5ステップで論を進めてきましたが、いかがだったでしょうか。

  1. 不安があって当たり前と認める
  2. 「今ここ」に集中する
  3. 可能な防災対策をする
  4. その上で開き直る
  5. これからの生き方を考える

どんなときでも、まず現状を受け入れること、今に集中すること、委ねることが大切なように思います。

その上で、多くの人が主体的に、そして自由に人生を生きるようになれば、たとえ災害が増えても日本の将来はそう悲観することもないように思います。

そして、もし多数の意識が変わったなら、それは現実を変える力として働く希望さえあることを最後に触れておきたいと思います。

以上

(参考)外側への対処でなく、まず内面的処理を行うべきである理由についてはこちらの記事もどうぞ

世の中をよくしたいなら自分の内側から始めよう

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この記事を書いた人

祇場 駿矢(しば しゅんや)
座右の銘は「自分にとっての自分の価値は自分が決める」
自分だけの軸を己の中心に据え、自分を信じて生きることのすがすがしさを伝えています。
普段から物静かですが、悟りや自己成長のこととなると少しおしゃべりになります^^
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