
いきなりで恐縮ですが、個人的見解として現状をみるにつけ、近い将来かなり悲惨な未来が訪れる可能性は低くないと思っています。
それは最終的に人類の滅亡につながりかねない、それぐらい重大な破局という意味です。
ポジティブ信仰の人だと、そんなことは考えずに毎日楽しく生きれば未来もよくなるということになるかもしれません。
個人レベルとしてはそうかもしれませんが、残念ながら、人類全体の集合意識が作る現実は厳然として存在し、誰であってもその影響を受けてしまいます。
もちろん希望はあると思っていて、だからこそ発信しているわけですが、その前提として、現状から目を背けていては何も始まりません。
一方で、ネガティブ情報に接して過酷な現実を知ってしまうと、どうしたって気持ちが暗くなったり心が塞いだり、マイナスの影響を受けてしまいます。
これがジレンマなわけですが、その対応策についてまとめてみました。
1. 情報の出所を検証する
まず、この手の情報で最も大切なことは、誰が発信しているのかということです。
有名無名という話ではなく、どんな人がどんな立ち位置でという意味です。
ありがちなのが、不安や恐怖を煽るだけの人です。危機を訴えているように見えて、その実、必要以上に読み手に恐怖心を起こさせるような感情的な表現が特徴です。
そのような文章には書き手のマイナスのエネルギーが乗っていることも多く、実際に、感情的身体的に影響を受けてしまうので注意が必要です。
影響を受けてしまうと、気持ちが暗くやる気が失われ、必要な行動にも差し支えが出て、かえって現状より悪くなってしまいます。
このような書き手は、実は本人が一番怖いのです。一人で怖いのはイヤだから、他人を巻き込めば少しは安心というわけです。
しかも、本人は世の中の役に立っていたり、人を導く善いことをしているつもりだったりするので、始末に負えません。
肥大したエゴで他人を利用する傾向があるので、関わらないのが一番です。
次に、可能な範囲で根拠を確認しましょう。
ネットを使えばかなりの情報が集まります。行政などの公的機関、国際機関、海外の報道などの情報を参照するします。
すると、恣意的に都合のいい数字を取り上げて、自分の主張を補強しているような例はちょくちょくみつかります。
SNSなどでシェアする際も、調べればすぐわかるようなウソにすぐに飛びついて、デマの流布に加担しないように気をつけたいものです。
一方で、この手の情報は、明確な根拠を求めすぎてもいけません。
根拠の最有力は科学でしょうが、確実な科学的根拠を求めてもおそらく見つかりません。
複雑な要素が絡むので、現代科学のレベルでは検証が難しいのです。
反対する立場の人も、同じく科学的根拠でもって反論するので、たいがい水掛け論に終わります。
たとえば、遺伝子組換え作物に関して、有害という科学者も、無害という科学者も存在します。
地球温暖化に関しても、人間の出すCO2が原因という科学者も、そうではないという科学者も、むしろ地球は寒冷化しているという科学者も存在します。
2. 翻弄されるならとりあえず遮断する
前項では、まず情報を選別しましょうという話でした。次に、受け取った自分がどうするかです。
結局、すべてをたしかめることなどできないのです。ただ、たしかなことが一つあります。
ギリギリまで本当かどうかはわからないということは、誰もが認めるほどに「本当とわかった時にはすでに手遅れになる」ということです。
ですから、情報の出所、根拠をできるかぎり調べ、確実と思われる情報をつなぎ合わせて自分で判断するしかないのです。
たとえば、南海トラフ巨大地震について、今後30年の発生確率が70〜80%というのは政府の組織である内閣府が認めている信頼できる情報です。
私がなぜ破局が近づいている可能性が高いと考えるかについては別項に譲りますが、行政をはじめ人任せにしたり、受け身になったりするのではなく、一人一人が自分の責任で判断すべきことだと思います。
その際、普段から自分の内面にタブーなく目を向けている人なら、最も有効なのは直感や肌感覚かもしれません。
ですが、どうしても翻弄されるような場合はとりあえず情報を遮断することです。
煽られて足掻いているような状態では、何か行動を起こしても空回りか、事態を悪化させるのが関の山です。
内面の状態に応じた現実が引き寄せられるという見方もできるでしょう。
まずは自分の心を平穏に保つことを最優先としましょう。
その上で、不安を感じている自分をありのまま認めましょう。
なんとかしようとしなくても大丈夫。これが受け入れるということです。
親が子を、祖父母が孫を見守るような優しい思いやりをもって自分の気持ちに寄り添います。
そして、落ち着いたらできる範囲で次のような要領で情報を使っていきます。
3. 自分のためになるように使う
人類滅亡という究極のネガティブ情報を、自分のためになるようポジティブに使うにはどうしたらいいでしょうか。
このような情報の恩恵は、まず「小さなことが気にならなくなる」こと、そして、「先延ばにしていられなくなる」ことです。
私たちは、やりたいことがあったとしても、人からどう思われるか、失敗したらどうしよう、などと考え、つい、また今度、いつかやれればいいか、と先延ばしにします。
しかし、またの機会は訪れないかもしれません。そして、大概のことはちっぽけなことです。
だったら、思い切ってやりたいことをするのが、いいのではないでしょうか。
基準は、後悔しないこと。
人類滅亡が本当だったとしても、そうではなく平穏な世の中が続いたとしても、後悔しないことなら、きっと自分にとってよいことだからです。
そういう意味で、私が最もオススメするのは次の生き方、行動です。
それは「人として自分を高め、自分を幸せにして、人類全体にも貢献する」ことです。
これであれば、ネガティブ情報がどうであれ、動じないで自分にとって最高に活用することができます。
4. 情報の真偽は関係ない理由
ネガティブ情報の真偽が関係ない理由について考えてみます。
まず、それが事実だったなら、起きる事象を少しでも軽減できる可能性があります。
「人として自分を高め、自分を幸せにして、人類全体にも貢献する」とは、人間の集合意識を高めることに他ならないからです。
現実レベルでも、見えない世界のレベルでも、意識の波動が高まれば起きる事象は変わってきます。
たとえば、災害が起きる時期が遅くなったり、規模が小さくなったりということが考えられます。
そして、個人レベルでは、本人が経験する現実が変わります。
これは同じ出来事をどう感じるかといった主観的捉え方にもそうですが、客観的な意味でもそうです。たとえば、大地震が起きる際、自分の居る場所が変わるぐらいの変化は簡単に起き得ます。
このように、自分も社会も少しでもマシな未来につながる可能性があること、破局を迎えたとしても、やれることはやったということで、悔いが少なくて済むという気持ち的に少しは楽になれる可能性があると思います。
そうでなければ、悲惨な未来に生きる子供や孫、その下の将来の世代から、「どうして何もしてくれなかったんですか」と問われたとしたら、わたしたちはどう答えればいいのでしょう。
次に、幸いなことに、そのネガティブ情報が事実じゃなかったら、とてもうれしいことです。
なぜなら、「人として自分を高め、自分を幸せにして」いるので、もともと幸せです。
そして、破局が訪れなければ平穏な日々に感謝がして、さらに幸せになるでしょう。
もともとなにも失っていない、つまり、犠牲は払っていない方法だからこそです。
むしろ、「人類全体にも貢献」して、集合意識の波動が高まれば、今日抱える問題のいくつかは解決するかもしれません。
このように、「人として自分を高め、自分を幸せにして、人類全体にも貢献する」生き方ならば、真偽のいかんにかかわらず、ネガティブ情報を人生に活かせることが明らかではないでしょうか。
5. まとめ
このようにみてくると、人類が滅亡するかもしれないという究極のネガティブ情報も、
よく生かすこともできるし、翻弄されて転落していくこともできると言えます。
結局のところ、ネガティブ情報があってもなくても、実際にネガティブな状況であってもなかったとしても、自分次第なのかもしれません。
人というのはそれほどまでに主体性を持ち、自由な存在であるのです。
本記事では情報への接し方、活かし方についてみてきました。
「人として自分を高め、自分を幸せにして、人類全体にも貢献して」生きる方法についても、順次お伝えしていきます。
以上