
今、この国では多くの人が将来に不安を感じています。
アクサ生命が2017年に20代から50代を実施した調査によると、全体の実に8割近くが将来について「不安に感じている」「やや不安に感じている」と回答しています。
その原因は主としてお金が絡んでいるようで、その不安の対処法については別の記事で書きました。
具体的に対処することも役には立ちますが、今回はより本質的な観点から不安にやられないさらに確実な方法について説明します。
1. 不安があって当たり前
日本の社会に蔓延する不安の原因として、大きく分けると、人為的なものと自然によるものに分けられます。
人為的なものとしては、個人レベルでの蓄えの不足、特に働けなくなる老後の資金に関するものが多いでしょう。
社会的なものとしては、少子高齢化、財政赤字、社会保障、医療など社会システムの機能不全が挙げられます。
自然によるものとしては、大地震、火山噴火、台風、大雨、集中豪雨、酷暑などの災害や異常気象が考えられます。
後になるほど、人の力ではどうしようもなくなり、十分なお金があったとしても、不安を払拭するには至らなくなります。
いずれも平和で安心して暮らせる日常を破壊してしまうぐらいのインパクトを持っています。
こうした自然の変化の背景には人間の集合意識レベルの低下があると考えています。
物質的な豊かさへの欲求と自分さえよければ他人はどうなってもかまわないというエゴの肥大化はとどまるところを知りません。
信じるかどうかはご判断に任せますが、こうした流れが世界の破滅につながりかねないところに来ていると考えています。
だから、むしろ不安があって当たり前なのです。
2. 心配のタネは尽きない
このように、本当にもうタイヘンだし、心配だし、心配のタネは尽きません。
状況に身を委ねて生きることもできます。
不安で不安でしようがないというふうに。
心屋仁之助がそんな状態で生きている人のことを歌った「心配戦隊タイヘンジャー」という面白い歌があります。
ユーチューブにPVがあるのでよかったら見てみてください。
「心配戦隊タイヘンジャー」
テレビのニュースにかじりつき
被害者と一緒に悲しんで
ひどい加害者に腹を立て
ありえないわと憤り日本の政治を憂いながら
役人の不正も許せない
年金介護も医療費も
消費税とか防衛費夫の会社の行く末も
待機児童も保育費も
医療と企業にあおられて
健康のためなら死んでもいい保険をたくさんまだ不安
老後とローンはどうなるの
お金が減るのも心配で
通帳と家計簿見張り番タイヘンジャー
タイヘンジャー
心配戦隊タイヘンジャーわたしはいつもシンパイジャー
そんなあなたがシンパイジャー子供は出来るか産めるのか
産んだら産んだで二人目は?
それより結婚できるのか
このままいけば孤独死よ子どもの勉強心配で
子どものいじめが心配で
夫のリストラ心配で
親の介護も心配で
シングルマザーの将来と
あしたの地球はどうなるの世界のどこかの戦争も
飢えてる子どもも心配で
世界の平和を守るため
今日もニュースをチェックして
ワイドショーから週刊誌
いつでも怒りが刺激的タイヘンジャー
タイヘンジャー
心配戦隊タイヘンジャーわたしはいつもシンパイジャー
あなたの脳内シンパイジャーお金を貯めて資格を取って
あなたもちゃんとしなさいよ
地震の準備も完璧よぼやぼやしてたらアセンション
あいつら気楽に遊んでて
将来ひどい目に遭うのよ
こんなに心配してるのに
誰もわかってくれないのフアンイエロー
どこまでやってもフアンジャーフアンブルー
わたしばっかりタイヘンジャーフアンピンク
ママ友の視線もコワインジャーフアンブラック
空気を読まなきゃキラワレンジャーフアンレッド
苦労しなくちゃタタカレンジャータイヘンジャー
タイヘンジャー
心配戦隊タイヘンジャー潜在意識じゃ引き寄せジャー
タイヘンジャー
タイヘンジャー
ヒーロー気取りのタイヘンジャー何にもやらないタイヘンジャー
文句を言うだけタイヘンジャータイヘンジャー
タイヘンジャー
敵はどこにもいないのよタイヘンジャー
タイヘンジャー
心配が趣味のヘンタイジャー今日も行くのさタイヘンジャー
何を言ってもキカナインジャー(作詞:心屋仁之助)
いますよね、こういう人(笑)
現実を直視することは大切ですが、ネガティブな事象にフォーカスしすぎると、どうしてもこんなふうになりがちです。
気がついたら自分がそうなっていたなんでシャレになりません。
3. 人生を暗示する虎とイチゴの話
とはいえ、現実から目を背けたとしてもなんの解決にもなりません。
最近読んだ本に、虎とイチゴという面白い話が出ていました。
虎に追いかけられて逃げてきたある男が、崖に追い詰められてしまいます。
崖は高く落ちれば、まず命はないでしょう。
虎が迫ってきてあわやというところで、男はたまたま生えていたツルにつかまって虎の牙を逃れます。
しかし、一難去ってまた一難。
虎は諦めずに崖の上で待ちかまえているし、白と黒の二匹のネズミがツルをかじり始めます。
さあどうしようかと周りを見ると、目の前においしそうなイチゴが。
男は手を伸ばしてイチゴを摘むと口の中へ。
すると、イチゴはとても美味しかった。
以上です。いかがでしょうか?
これだけだと何のことやらかもしれませんが、この話に出てくるものは次のように暗喩になっています。
崖の下 未来
蔓 物質的身体と物理次元
白と黒のネズミ 時間(昼と夜)
イチゴ ?
わたしたちは過去に戻ることはできません。
そして、時間とともに老い、やがて死んでしまいます。
この運命からは誰一人逃れられません。
では、イチゴとはなんでしょうか?
刹那的な快楽や感覚的な刺激、楽しみなどではありません。
多くの人がそうやって気を紛らわして人生を送っていますが。
イチゴが象徴しているのは、悟りです。
また、悟りをもたらすマインドフルネスという今ここにいる心の状態です。
悟ったからと言って、死から逃れられるわけではありません。
ブッダもまた世を去りました。
置かれている状況は変わらなくとも、圧倒されることがなくなるということです。
4. 人生は心配無用のそのわけ
ここで現在わたしたちが置かれている状況に戻りましょう。
世界が破滅の危機に瀕しているとしたら、まさに絶体絶命です。
それこそ虎に追われて、一本のツルで断崖絶壁にぶら下がるようなものかもしれません。
その瞬間はどんどん近づいてくるので、そのツルをネズミがかじっているようなものです。
さて、ここで立ち止まって考えて欲しいのです。
虎に追われて断崖絶壁にツルでぶら下がる。ツルをネズミがかじる。
この状況って、先ほどと変わったでしょうか?
あなたはこう答えるでしょう。
「いいえ、同じです。」
そう、同じなんです。
世界が破滅に瀕していようといまいと、私たちの状況に変わりはないんです。
物質的身体にぶら下がって物理次元にとどまっている。
いつか落っこちて死を迎えることは間違いなく、それがいつかもわからない、という点において。
もちろん違う点もあります。
安心して天寿を全うできる環境と、多くの人が命を落とすような過酷な環境と。
でも、それがいいことかそうでないかは、一概には言えないところです。
なぜなら、環境が厳しいほど真剣に悟りに向かうことを余儀なくされるという見方がありえるからです。
恵まれた環境では、自覚のないままうかうかと目先の楽しみに心を奪われて一生を終える可能性もあるでしょう。
これが明らかになったとしたら、世界がどうあれ私たちが目指すべきことは一つです。
少しでも長くマインドフルネスでいて、心を高め悟りに近づくということですね。
その地点からあらゆる活動が生まれるべきだと思うのです。
5. まとめ
今年2019年は何が起きるかわからない波乱の年と言われます。
しかし、だからと言って、タイヘンジャーでいることはとてももったいない。
「何にもやらない」、「文句を言うだけ」では、何が起きても起きなくても、不幸のタネを育ててしまうようなもの。
わたしたちにとって、環境を変えることが不可能なことは当然あります。
けれど、環境がどんなものでも、わたしたちがそれを人生に生かすことはいつだって必ず可能なのです。
以上